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  • e97h0017e97h0017映画やドラマのレビューを書くとき、褒めるのと貶すのとどっちが楽かと言えば貶す方なのかもしれない。一度批判モードになると、素材に対して真剣に向き合わなくなるから、2度見なんてしないし、労力は半分で済む。でも真剣に見ていないから説得力を欠くことになり、自ずと文章のクオリティは下がる。09/18 12:18
  • e97h0017e97h0017たくさんレビューを書いていると、そのうちその事実に気が付く時がくる。そんなときに書いたのが『大切なことはすべて君が教えてくれた』のレビューで、これは褒める時と同等の労力で書けたと自負している。具体的な例示・例証をもって説得力を付与したつもりだし、数は少ないが褒めるべき点は褒めた。09/18 12:29
  • e97h0017e97h0017『全開ガール』のレビューを書いていて思うのはやはり作品を褒める文章を書いている方が何倍も楽しいということ。具体的な根拠を提示することなくやれ脚本が悪い、演出が悪いと簡単に言い放っている文章には辟易する。褒めるにしても批判するにしても常に作り手に敬意を払うところから始めたいと思う。09/18 12:41

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(10)全開ガール [ドラマレビュー]

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『 全開ガール 』
第10回
( 2011年 フジテレビ 公式サイト
演出:谷村政樹 脚本:吉田智子 出演:新垣結衣、錦戸亮、平山浩行、蓮佛美沙子、薬師丸ひろ子

ちょっと野暮な物言いかもしれませんが、本作のようなジャンルのテレビドラマにおいては最終回を前にした直前回が担うべき役割は、最終回を盛り上げるために最大級のレバレッジ(=てこ)を効かせることであり、多くの方が信じておられるように本作の結末を主人公二人が結ばれると仮定すれば、二人の関係をこれとは真逆の方向へと導いていくのが今週回の重要な役割だったと考えられます。つまり、本作の場合、前回のラストシーンで若葉が草太に振られたという事実を端緒として、二人が進んでいく未来へのベクトルを真逆のものにして、いかなる接点をも絶つことによってこそ、最終回は大いに盛り上がっていくということです。言ってみれば振り子を上記の結末とは反対のできるだけ高い位置にまで持ち上げるのが今回の役割であって、それが成功したかどうかは最終回を観るまではわからないものの、少なくとも私の期待感が高い位置に到達しているのは間違いありません。たとえば『大切なことはすべて君が教えてくれた』の最終回を思い出してみてください。レビューにも書きましたが、最終回を前に主人公二人が別れを選択する理由がまったく見当たらない、というよりも最終回を前に「結論」が出てしまっているのですから、我々は盛り上がりようがありません。つまり、あのドラマの制作者は振り子を1ミリも持ち上げなかったのです。

前回のラストシーンが素晴らしかったので、私は今回の冒頭で鮎川若葉(新垣結衣)のあの表情をもう一度見たいと勝手に思っていたのですが、谷村政樹監督はそんな私の期待を見事に裏切ってくれました。涙のかけらもない若葉の目の表情を捉えるファーストカットは、前回のラストシーンの影響を微塵も感じさせないものです。この冒頭で結婚式の打ち合わせをする若葉は山田草太(錦戸亮)に振られたことを引きずることなく、すでに頭を切り替えているし、草太はイクメン仲間の前で汐田そよ子(蓮佛美沙子)と正式に付き合うことを宣言してしまうし、もはや二人のベクトルは真逆の方向に進み始めています。この冒頭は前回の若葉の涙が意味するもの(=未練)を完全に打ち消しており、今週回が果たすべき役割は冒頭から早くも始まっているのです。しかし、この脚本が優れているのは、そんな二人の気持ちとは裏腹に二人の距離を物理的に縮めるエピソードを盛り込んでいる点であり、これがラストシーンの若葉の涙へとつながっていきます。

リリカ(浅見れいな)の再帰国が若葉と草太にもたらしたものは二つあって、ひとつは別の方向へと歩み始めた二人の物理的距離を一時的に近づけたことで、もうひとつは草太が自分の未来を積極的に切り開こうとするきっかけだったと思います。ラストシーンにつながる一つ目については後ほど言及するとして、まずは草太の決断について触れておきたいと思います。

二人の未来へのベクトルを真逆のものに導くにあたって、草太がビー太郎との別れを決断するくだりは必要不可欠なものであり、これがなければ草太のフランス留学は実現しないのです。言うまでもなくこの草太の決断は容易ならざるもので、そこに至る過程にはそれ相応の説得力を持たせる必要があったはずです。でも、今回描かれたように草太は意外にあっさりとビー太郎との別れを選択し、これを機としてかつて若葉に言われたとおり、自分の夢を追いかけるために積極的に動き始めるのです。もしかしたらこのあたりの草太の心情と行動描写に違和感を感じておられる方もいるかもしれませんが、私は若葉がビー太郎を引き取りたいというリリカの希望を告げに来た時点で、草太はほとんど結論を出していたと考えています。というよりもこの時点で、むしろ草太はビー太郎をどうやって説得するかを考えてたかもしれません。

リリカが登場した第7話のラストシーンを思い出してみてください。このとき草太が流した涙は、自分がビー太郎と一緒にいたいという打算で行動していたことを責めるものであり、ビー太郎のために自分が最良の選択をしてあげられなかったことを悔いるものでした。ここでいう「最良の選択」とは、ビー太郎は母親と暮らすべきであるということで、草太はビー太郎の「かあちゃんのにおいがする」という言葉を聞いてそのことを確信したのでした。したがって、リリカが再びビー太郎と一緒に暮らしたいと言い出したら、これを断る理由を持ち合わせていないのが草太なのです。私は第7話のエピソードは、そのラストシーンが象徴するように若葉と草太の関係を接近させるために存在していると考えていたのですが、それだけではなく、草太の気持ちを自分の夢に向かわせるための重要な伏線だったということに気が付いて、改めて素晴らしい脚本だと感心しています。

一方で若葉は、ビー太郎を引き取りたいというリリカの相談に乗るかどうか最初は逡巡しますが、そこには再び草太と顔を合わせなければならないことからくる迷いもあったでしょう。それでも若葉はあくまでも弁護士として努めて冷静に対応すると心に決めて、リリカの依頼を受けることにしました。つまり、若葉自身はある条件の下で草太との距離が再び接近することを許容したのであって、それは絶対に「物理的」なものでなければならなかったのです。しかし、草太がビー太郎を説得する場に立ち会うことで、若葉の気持ちは彼女が当初心に決めた意思とは相反する方向へと否応なく傾いていくのです。

二人の距離の接近がいつの間にか物理的なものから精神的なものに移行してしまったことを表現しているが、ビー太郎を背負った若葉と草太が佃大橋を歩くシーンで、このシーンにおける二人の最初の会話は若葉がそのことを無自覚であることを端的に示すものでした。

 「替わります」
「いえ、背負っていたいんです」

ビー太郎を背負っていたい・・・弁護士として冷静に対応すると決めていたはずの若葉の行動は、もはや完全に草太とビー太郎に感情移入したものへと変わってしまっています。さらに、このあとの二人の会話は「共感」をテーマにしたものであり、二人を取り巻く客観的状況を踏まえれば、実に切ないものになっています。

 「あんな底意地の悪いことを言うようになったのは、若葉さんの影響です」
「それじゃあ、私と同じじゃないですか」
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本作がその出会いから描いてきた若葉と草太の関係は、二人の人間的成長の結果、同一の価値観へと到達したのです。皮肉なことに二人の精神的な距離は、この瞬間が最小値だったのかもしれません。この瞬間の二人がその事実に対して無自覚であるところがこのシーンを切ないものにしており、実際次のシーンでそよ子の姿を目の当たりにした若葉は一気に我に返り、自分の行動が逸脱したものだったことを初めて自覚するのです。この直後、我に返って早足で歩く若葉が、前のシーンで登場した佃大橋を逆に歩いていたところは隠れた名演出だと思います。もう暗くなった橋の上をさっきとは逆方向に逃げるように歩く若葉は、ついには橋の上にしゃがみこみ、自分をひたすら貶めるのです。

 2011091702.jpg 「バカでねか!バカでねか!バカでねか!」

このカットは、前のシーンのラストカットとほとんど同ポジであり、これら二つのシーンにおける若葉の心情(無自覚と自覚)の対比を表現してようとしているのは明白でしょう。そして、自分の愚かさを思い知った若葉にとって、自分が進む道を変えることは絶対に不可能なものになってしまったのです。したがって、今回の冒頭に始まる二人が進むベクトルが結局のところ行き着いた先にあったのが、若葉と新堂、草太とそよ子、それぞれが抱き合うラストシーンであり、言ってみればこれが「振り子の一番高い位置」ということになります。このときの若葉が流した「何でだか止まらない涙」とは、あらゆる意味で草太との別離が決定的になったことに由来するもので、ある種受け身だった前回のラストシーンとは違って、若葉は草太との別れを能動的に認めたのです。

冒頭であえて言ってしまったように私はこのドラマの結末については確信していますが、振り子が真逆に振り切れてしまっている以上、どうやってそこまでの過程を見せてくれるのか、ちょっと想像が付きません。振り子が中途半端な位置にあればむしろそれをヒントにいろんな想像が可能なのかもしれませんが、ここまで徹底的に二人の接点を絶たれてしまうと、想像する余地がありません。ただ、ひとつ言えることは、振り子が振り切れているだけに最終的な感動の到達点も高い位置になるに違いないということです。私は、脚本の吉田智子さん、演出の武内英樹監督には全幅の信頼を置いています。絶対に我々の期待を裏切らないでしょう。

吉田智子さんがツイートしてたんですけど、このドラマは書いていても観ていても楽しくて、完パケを何度もリピートして観ているぐらい愛着のある作品だそうです。これは武内英樹監督をはじめ演出スタッフも同じだそうで、もちろん作品を観ればちゃんと伝わってくることではありましたが、作り手がこのドラマを愛してくれていることをはっきりと知ることができたのはとても嬉しいことです。作り手が作品を愛しているのは本来当たり前のことですが、近年のテレビドラマは作品を観ただけでこのことを実感できる機会は少なくなってきているような気がしていました。このブログを丁寧に読んでくださっている方にはどのドラマのことかお分かりと思いますが、物語が進むにつれて作り手が主人公のキャラクターをもてあますようになっていくのが手に取るようにわかるような作品もありましたよね。実はその作品が成功したのか失敗したのかを決めるのは、視聴率や視聴者の評判といった客観的なものではなくて、最終的に作り手自身がその作品を心から愛せるかどうかという主観的なものなのかもしれません。彼らはプロフェッショナルですから、自分の仕事の成否は自分が一番よく理解しているはずです。自分が納得していない作品を愛しているなんて言えるわけがありませんから。作り手が最後まで愛情を注いだ作品でなければ、それを受け止める人間の心を捉える資格はないのです。私は本作の最終回が必ずや我々の心を掴んで離さないものになると確信しています。

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(9)全開ガール [ドラマレビュー]

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『 全開ガール 』
第9回
( 2011年 フジテレビ 公式サイト
演出:川村泰祐 脚本:吉田智子 出演:新垣結衣、錦戸亮、平山浩行、蓮佛美沙子、薬師丸ひろ子

鮎川若葉(新垣結衣)が信じてきた価値観とは、所詮は砂上の楼閣、世間知らずの女の子が頭でかっちに考えた幻想だったのかもしれません。若葉のこれまでの生き方のバックボーンとなってきた価値観のうち、若葉の生い立ちの貧しさを根拠とする「お金」に対する価値観は、前回の父親をめぐるエピソードを通じて若葉が幼少期の「精神的な豊かさ」を思い出すことによって、完全に揺らいでしまったと言っていいでしょう。それに続いて今回は、彼女が絶対的なものだと信じてきたもうひとつの価値観、すなわち「法律」対する考え方がおもちゃの特許をめぐるエピソードによって根本から揺らいでいきます。

 「でも、法律って何なんですかね。子供なら簡単に答えを出すと思うんです。どっちが悪いか。
 オレにとっての法律って、ばあちゃんに教わったことなんですよ。
 嘘をついてはいけません。人をいじめてはいけません。それって間違ってますかね」

一番大切なことは、六法全書には書いていなかった・・・困っている人たちの前に無力な法律、親しい人を救うことができない法律・・・この「学校では教えてくれない事実」は、弁護士になるために法律だけを勉強してきた若葉にとって、法律を熟知しているがゆえになおさら大きな痛みを伴ってその心に突き刺さったに違いありません。さらにこれは彼女の生き方と彼女が描いてきた未来を根底から覆す事実でした。

この不条理を打開しようとしたのが、若葉よりもむしろ「法律の限界」を痛感してきた先輩弁護士・九条実夏(青山倫子)であり、さらには園長先生(竹内力)の要望を聞き入れた桜川昇子(薬師丸ひろ子)であり、この二人が用いた手段とは言ってみれは法律とは別次元にある「情」だったわけです。ここで言う「情」とは、山田草太(錦戸亮)がその生き方によって体現し、若葉に対して訴え続けてきたものと言ってもいいし、その一方で、法律によって人生を切り開いてきたリアリスト・新堂響一(平山浩行)にとっては一笑に伏すような性質を持っていたはずです。若葉は最終的に「情に生きる人生」と「法律に生きる人生」のどちらを選択するのでしょうか。もう答えは出ているはずです。そのことがよくわかるのが桜川昇子にお礼を言い続ける若葉の姿でした。ここに謝罪したいときには謝罪する、お礼を言いたいときにはお礼を言うという草太の生き方が重なります。

次のシーンで昇子にこの件の真意を問うた若葉は、あっさりと草太の影響を認めるわけですが、このとき園長先生が初恋の人だったことを告白した昇子が若葉にかけた言葉とは、結局、彼女が若葉とまったく同じ気持ちでこの件に対処したということを認めるものであり、同時に若葉に上述のどちらの生き方を選択して欲しいかを示唆するものでした。この昇子の言葉が園長先生の言葉と結びついたとき、若葉の迷いは一気に吹っ切れるのです。

 「後悔するとしたら、そうねぇ、夢のために自分の想いをふいにしたことかしら。溜め込んだ想いっていうのは厄介でね。
きちんとケリをつけて吐き出さないと、一生自分に問い続けることになるのよ。もしあの時って・・・」
 「大切なものは目に見えないと言いますが、手探りでも、這いつくばってでも、あの想いを確かめるべきでした」

ここからはこれ以降のシーン、すなわちラストシーンを演出的側面から掘り下げてみることにします。

今週は若葉と草太が自分の気持ちをはっきりと自覚している中で、それぞれがその想いを相手に伝えようとする過程が描かれました。草太が冒頭から自分の想いを若葉に伝えるチャンスを窺っている一方で、若葉の気持ちは草太への想いと自分の将来的なステータス(≒新堂への思い)のはざ間で揺れ動いており、川村泰祐監督は、この綱渡りをしているかのような微妙な心情を若葉の一瞬の表情を切り取ることで表現しようとしていたような気がしています。

 2011091001.jpg 2011091002.jpg

今週の若葉は、草太と相対するとき、これまで見せたことがなかった「無防備な表情」を複数回見せていて、次の瞬間すぐに我に返るという描写がいくつもありました。その最初のシーンが冒頭の保育園のシーンで、前回のラストシーン以来初めて顔を合わせた草太を見つめる目は「恋する女の子」そのものだったと言っていいでしょう。さらに弁護士事務所に出前に来た草太が何か言おうとしているとき、その言葉を待っている若葉の表情は期待感を隠さないものだったし、ウェディングドレスを試着したときに草太と思いがけず顔を合わせた瞬間に見せた表情なども、恋に向き合うときの戸惑いや苦しさといったものを隠せずにおり、憂いのようなものを含んだ表情でした。第7話から第8話にかけて描かれたエピソードによって草太に対する若葉の気持ちは、もう退っ引きならないものに変わっていることが伝わってきます。また、これに対して新堂に見せる若葉の表情は、笑顔であってもどこか空虚なものを秘めていた点も見逃せません。この2種類の表情で見せる若葉の微妙な心情はいよいよラストシーンにつながっていくのです。

ラストシーンでは、若葉の表情を草太の肩なめで捉えるショットと真横から捉えるショットの2パターンで押さえ、草太の思いがけない返事に対する若葉のリアクションとその表情の変遷を余すところなく見せていきます。若葉にとっての「人生初めての告白」が作り出す雰囲気と緊張感が若葉の表情に浮かんでおり、上述の草太にだけ見せてきた若葉の表情がここに効果的に結実してきます。そして極め付けが、この印象的なラストカットがもたらす深い余韻です。監督がこの「瞬間」を撮るために相当粘っただろうことが想像できる素晴らしいカットでした。

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これがわずか5秒足らずのカットなんですけど、絶妙な長さだなと感心してしまいました。言うまでもなく監督にとって、視聴者に対してもっとも印象付けたい絵がラストカットであり、印象付けると言う意味では当然長く見せるという方法もあるわけです。でも川村監督がこのラストカットで見せたのは若葉が涙を落とす「瞬間」のみでした。草太に対する若葉の想いが行き着いた先にあったのがこの涙であり、私はエンドロールの余韻の中で、本編中若葉が何度も見せた「初めての恋に向き合う女の子の表情」を思い出さずにはいられませんでした。川村監督が表現したものは「瞬間の余韻」とでも言うべきものでした。そしてエンドロール左にあるワイプ上のラストカットもまたこの若葉の表情だったところがさらに心憎い演出です。やっぱりもう一度見せるかぁ・・・ブラボーです。以前『ハナミズキ』(2010年 東宝)のレビューで触れたことがありますが、女優さんの魅力的な表情を引き出して切り取るのも監督の重要な仕事です。

さて、前回言及した桜川昇子が若葉の決断を後押しするという描写が早くも今週盛り込まれてしまったので、2週残して二人を最終的に結びつける要素が不確定になってしまいましたが、いづれにしてもその点をどのように見せて盛り上げてくれるのかとても楽しみです。このレビューでほとんど毎回のように取り上げてきたように、実はこれまで若葉と草太の気持ちを導いてきたのは子供たちですから、やはりビー太郎(高木星来)と日向(谷花音)が重要な役割を果たしていくような気がしています。

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  • e97h0017e97h0017小宮山厚生労働大臣に鈴木先生のこの言葉を送りたい。「世の中には自分の価値観を絶対的なものだと信じ、そこに含まれたエゴの存在を自覚しないものがあまりにも多いんだ」タバコが嫌いという自分の価値観のみで、増税という政治判断を下してもいいものだろうか。建前は「総合的判断」なんだろうけど。09/07 17:59
  • e97h0017e97h0017「ひとつの価値観が何者かによって有無を言わせぬ方法でつぶされること。また、ひとつの価値観が世の中のすべてを支配してしまうこと。オレはこれらを何よりも怖れているんだ」民主国家の政治家ならば自分の価値観を信じる前に疑ってみなければならない。政治は「好き嫌い」でやっていいものではない。09/07 18:04
  • e97h0017e97h0017「現代は多様性の時代と言われている。だが果してそうだろうか。確かに様々な価値観を自由に選択する事が許されてはいる。しかしその結果一人一人が自分の都合のいい意見に閉じこもり他人の異なった意見に耳を貸さない。個々の胸の中は結局偏った考えに凝り固まって貧しくなってるんじゃないだろうか」09/07 18:05
  • e97h0017e97h0017鈴木先生の台詞は明快に真理を突いたものが多く、日常に起こる事象に当てはめて考えてみることが多くなった。私は非喫煙者なので、たばこ税増税に何ら異論はありませんが、喫煙者を目の敵のようにして増税に賛成するつもりもありません。大人はすべからく教育者の自覚を持つべし。いわんや政治家をや。09/07 18:11
  • e97h0017e97h0017本日『鈴木先生』DVD-BOXが発売されました。私のブログを介して合計3セットの予約がありました。もう皆様のお手元に届きましたでしょうか。ご購入いただいた皆様、ありがとうございます。また私が書いた『鈴木先生』の的外れなレビューにお付き合いくださったすべての皆様に感謝申し上げます。09/07 18:21


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日輪の遺産 [映画レビュー]

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(C)2011 「日輪の遺産」製作委員会

『 日輪の遺産 』
(2011年 角川映画 134分)
監督:佐々部清 脚本:青島武 出演:堺雅人、中村獅童、福士誠治、ユースケ・サンタマリア、八千草薫
          Official Wikipedia / kinejun.jp           
 

今回はレビューと言うよりも「感想」とお考えください。
佐々部清監督のお人柄を少しでも知ることができた私としては、あまり細かいことは申したくないという思いがあります。
私は、佐々部監督の作品の中では『出口のない海』(2006年)だけはあまり評価していません。
その点から本作の演出についての私の感慨はお察しください。

本作はおそらく原作を読んだ上で観た人とまっさらな状態で観た人とではまったく感じ方が異なるような気がしています。
私は、原作を読み込んでから映画館に足を運んだ口なのですが、本編が始まって少女たちが登場した瞬間から
早くも感極まってしまいました。それは少女たちが辿ることになる驚愕の結末を知っているからで、
こればかりは原作を読んでいない人にはわからない感覚だと思います。
逆に原作を読んでいない人がどう感じたのかは私にはわからないので、
あの結末をしっかりと理解できたか、また釈然としないものはないか、お聞きしてみたいところです。

著名な小説を映像化することの難しさはこれまでも言及したことがありますが、
映像作品で原作を超える表現を実現することは至難の業であり、本作にあってもどこまで原作の表現に近づき、
特に「終章」のインパクトをどうやって実現するかが重要な課題だったと思います。
私の感覚としては、少女たちの遺骸をごまかさずにしっかりと映像で見せてくれたところは賞賛すべきだと思っています。
さらに、守るように財宝を取り囲む少女たちが手をつないで横たわっている絵が訴えるメッセージは、
活字では想像できなかった性質を有しており、この点は大成功だったと言っていいでしょう。

このシーンで惜しむらくは、少女たちの遺骸を目の当たりにしたマッカーサーの怒りや動揺、
そして「諦念」に至るまでの過程をもう少し丁寧に表現して欲しかったようにも思います。
これはマッカーサーにとって戦後の日本において感じた唯一の敗北感だったはずだし、
また彼のリアクションは少女たちが成し遂げたことの意義の大きさを間接的に際立たせたことでしょう。
もっともマッカーサーの人物描写については、全体的に突っ込んでいない印象で、
ストーリーが散漫にならないように意図的に深く掘り下げなかったのかもしれません。
そう考えると映像化にあってはこの点もむしろファインプレーと言えます。

ただし、本作を評価するに当たっては、原作との比較ではなくて、
原作を読んでいない人たちがどう感じたかの方がより重要のような気がします。

 「みんなで鬼になって、この宝物を守ろう」

国の将来を思って「鬼になる」ことを主導したスーちゃん(土屋太鳳)とそれを素直に受け入れた少女たち、
さらには彼女たちを「引率」した野口先生(ユースケ・サンタマリア)の想いが何に由来するものなのか、
我々は深く思考しなければなりません。そしてその「魂」は必ずしもフィクションとは言い切れないことを忘れてはなりません。

総合評価 ★★★☆☆
 物語 ★★★★
 配役 ★★★★

 演出 ★★★☆☆
 映像 ★★★☆☆
 音楽 ★★★☆☆

関連記事 : Twitter 20110729 (2011-07-29)


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