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洋菓子店コアンドル [映画レビュー]

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『 洋菓子店コアンドル 』
(2011年 アスミック・エース 115分)
監督:深川栄洋 脚本:いながききよたか、深川栄洋、前田こうこ 主演:江口洋介、蒼井優
          Official Wikipedia / kinejun.jp           

日に日にこの映画の良さがわかりつつあるといったところでしょうか。ストーリー自体は大して魅力的だとは思いませんでしたが、映像に刻まれている雰囲気に不思議な魅力があって繰り返し観てしまった作品です。観終わってから大分時間が経っているにもかかわらず、ふっとこの映画の1シーンを思い出してしまうのは、ひとつひとつの絵に力があるからだと思います。このあたりは熊澤尚人監督の『おと な り』(2009年 ジェイ・ストーム)を観た時の感覚と少し似ているところがあって、久々に将来有望な映画監督が出てきたかもしれないという期待感のようなものを感じています。

実は深川栄洋監督の作品では、『白夜行』(2011年 ギャガ)の方を先に観まして、ちょっとただ者じゃない雰囲気を感じさせる演出をなさる方だと感じて、ぜひレビューを書きたいと思っていたのですが、作品自体が難解ということもあるので、少し時間をかけて書きたいと思っていました。本作を手に取ったのは深川栄洋監督の作品だったからで、『白夜行』のレビューを書くときの参考にしようぐらいの軽い気持ちで拝見したのですが、まったくテイストが違う作品でも監督の力量というものはしっかりと発揮されるものです。観る映画は監督の名前で決めれば大きな間違いはないということを証明する典型だと思います。

おと な り』のレビューで「映像の記号化」というポイントで文章を書いたことがあるのですが、本作にも映像表現の奥深さを感じさせる演出が随所に盛り込まれています。わかりやすい描写が冒頭にありましたので、一例として取り上げてみます。

タイトル明けから十村遼太郎(江口洋介)が講師を務める料理学校のシーンが始まります。このシーンで十村は講師らしいことはせず、ジッポのふたを開閉させて音を鳴らしながら無為に歩いています。いや、正確にはこの時点では「無為に」とまでは読み取れないのですが、この次のシーンで十村がたばこを吸っている画を見せることによって初めて前のシーンにも意味が付与されます。生徒が質問に来ているのを知りつつ居留守を使う十村の姿からは、この仕事に対するモチベーションの低さが窺えます。つまり、十村がジッポを鳴らしながら歩いていたのは、早く授業を終わらせてたばこを吸いたいという心情からくるものだったと考えられます。十村は一言も発していないにもかかわらず、彼の人物像の一端が見えてくるのは、この二つのシーンが密接に結びついているからだと思います。言ってみればこの二つのシーンの映像は「シッポ」と「たばこ」という記号になっており、この二つのキーワードで二つのシーンが結びついたとき初めて「意味」が付与されるという高度なテクニックがいきなり用いられています。

初見ではなかなか感じ取れないことですが、およそ1分ほどのアバンタイトルの映像が意味するところも大変興味深いところです。観終わってみればケーキを作っているのは十村で、その傍らで眠っている女の子が十村の娘だということがわかりますが、この映像をしっかりと読み解いておくと、その後の十村遼太郎についての描写にとても奥深い意味が付与されてきます。

十村は洋菓子の批評家としての顔も持っていて、序盤は彼が洋菓子を大好きであることは伝わってくるものの、この方面の仕事に対してもいまひとつ覇気が感じられず、我々観客は、もう一人の主人公・臼場なつめ(蒼井優)がそうだったように、いつしか彼がシェフを辞めた理由に思いを馳せるようにます。この種の十村に向けられた観客の興味を導く描写として、絶対に見逃せないシーン、というよりも「画」がありましたので取り上げてみます。

 2011103101.jpg

洋菓子店を取材した後、十村が公園でメモを取るシーンは、とてもさり気なく盛り込まれているのですが、振り返ってみれば十村がシェフを辞めた理由を確実に暗示しているシーンということになります。このシーンで十村は、公園で遊ぶ母親と女の子が目に入ると筆を止め、親子に背中を向けて俯きます。十村の動きを捉えるだけの台詞がない短いシーンですが、結果的にとても重要な意味が込められていたことがわかると思います。この一見地味とも思えるシーンがとても印象に残っているのは、画に力があるからだと言っていいと思います。わずか20秒ほどのカットですが、ご覧のように観客の心にフックをかけて十村という人物に奥行きを与えるための緻密な計算を感じさせる構図になっています。ただ、正直なところ、初見の私はこのシーンに何らかの深い意味が込められているということは瞬時に感じ取ったものの、それが意味するものを正確には汲み取ることはできませんでした。それはあのアバンタイトルが意味するところをちゃんと読み解けていなかったからだと反省しています。深川監督は、この映画において何もシュールな表現を試みているわけではなくて、しっかりと筋道を通した表現をしてくれていることは、このシーンとアバンタイトルが結びついたときに初めて理解できるところだと思います。

そして中盤、十村に酷評された臼場なつめが逆ギレ気味にシェフを辞めた理由を十村に問い質すシーンから、彼の過去が次第に明らかになっていきます。

 「どうしてパティシエ辞めたんですか」
「意味がない。オレにはケーキを作る意味がない」

このやり取りをきっかけとして十村の頭の中に過去の出来事がフラッシュバックします。何かにとり憑かれたように足早に歩く十村の姿と過去の記憶がクロスカッティングによって交錯し、バスに飛び乗った十村の表情はただ事ではない雰囲気を感じさせます。ただし、この時点では十村がすべてを思い出そうとはしないところがとても重要で、これより先の十村の過去は、彼とともにパティシエの修行をしたコアンドルの店主・依子(戸田恵子)の口から明らかになっていきます。同時に深川監督の非凡な才能がはっきりとわかりはじめるのもこれ以降です。十村の娘・由実がダンプカーに轢かれて事故死するシーンの描き方は、ちょっとただ者ではありません。私はこのシーンを観たとき、本作が『白夜行』と同じ監督であることをはっきりと実感しました。

ダンプカーが通過した次の瞬間、由実の小さな体は姿を消し、それを訳がわからず呆然と見つめる十村の表情・・・そして次のカットでは道路に由美の帽子と靴とカバンだけが散乱しています。交差点の真ん中でカバンを手にして娘の名前を叫び続ける十村の姿の痛々しさに言葉を失います。彼の背後に停車したダンプカーが映り、さらに髪の毛が風に揺れている女の子の動かぬ頭部が映ると、観客の想像は事実に変わります。このシーンでは目を背けたくなるような女の子の悲しい死を徹底的に間接表現で切り取ろうとしており、十村の過去、そしてパティシエを辞めた理由が強烈に観客の心に刻まれます。特に、望遠レンズを使用したロングショットで捉える十村の表情と、手持ちカメラで捉える十村の全身の動きが訴えるものの力強さといったらありません。もちろん江口洋介さんのお芝居がすごいのですが、それをしっかりとフィルムに刻み付けようとする演出がなされているのがこのシーンなのです。

 2011103102.jpg

そして、極めつけはこのシーンの締めくくりのカットが道路上に落ちている由実のノートだったところがすごい。風にめくられたノートに描かれたケーキの絵は、先に取り上げたアバンタイトルで映された眠っている女の子の傍らにあった絵と同じものなのです。ここにおいても、アバンタイトルの映像を読み解くまではいかなくとも、最初からスクリーンに集中して向き合っている人ならば、より一層強烈なインパクトを得られたことでしょう。私は「ケーキの絵」という記号でこれら二つのシーンが結びついてしまうところに映像表現の真髄が詰まっていると考えています。

もうひとつ、どうしても取り上げておきたいシーンがあります。なつめが十村にシェフを辞めた理由を問い質したシーンについて、十村が過去のすべてを思い出さなかったところが重要だと先ほど書きました。それは十村が過去のすべてと向き合えた時とは、「ケーキを作る意味」を取り戻し、再びシェフとして厨房に立つ日に他ならないからです。十村のマンションに押しかけたなつめに一緒に厨房に立って欲しいと懇願されたとき、十村は否応なく「あの日の朝」を思い出します。ここから始まるのは依子がなつめに説明したときに描かれたシーンのリピートなのですが、カメラが逆位置のショットになっており、十村が「あの日」の出来事を客観的かつまったく初めて見る視点から思い出していることが表現されています。このシーンは、十村が感じたに違いない、あの日あの時、彼がそこにいるかのような生々しさを伴った感覚が巧みに表現されており、本編中屈指の名演出だったと思います。過去と現在、記憶と現実の区別がライティングによって見事に表現されていました。

 2011103103.jpg

最後にラストシーンを取り上げてレビューのまとめとしたいと思います。この映画は最初から最後まで一貫して映画らしい手法で満ち溢れていました。このラストシーンはほとんど一枚の画で成立していて、余計な情報がない分だけ、観客はすごく純粋な気持ちで十村がやろうとしていることを見守ります。結局最後まで主人公二人の表情を捉えるショットはなく、この物語を通じて二人がどこに到達したのかは、このラストシーンで得られる最低限の情報、つまり別居している妻に朴訥と語りかける十村の姿と、それを見届けて歩き出すなつめの後ろ姿から我々が想像するしかありません。我々はエンドロールを観ながらその心地良い作業に浸ることになるのです。

 2011103104.jpg

つくづく映画は「余韻」が大事だと思います。実は映画とは本編で描かれたストーリーでも登場人物でもなく、その結果として得られた余韻こそが重要なのであって、私は本作を観て、それこそが映画の本質なのではないかと気づかされました。本作は心地の良い余韻を長く継続させてくれる仕掛けで満ち溢れており、その意味では「映画らしさ」を伴った秀作だったと思います。そして、それは紛れもなく監督の手腕によるものであることを強調しておきます。追いかけてみたい映画監督がまた一人現れました。

総合評価 ★★★★☆
 物語 ★★★☆☆
 配役 ★★★★☆
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★☆

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天国からのエール [映画レビュー]

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(C)2011 「天国からのエール」製作委員会

『 天国からのエール 』
(2011年 アスミック・エース 114分)
監督:熊澤誓人 脚本:尾崎将也、うえのきみこ 出演:阿部寛、ミムラ、桜庭ななみ
          Official Wikipedia / kinejun.jp           
 

作り手が故人の意(遺)志と偉(遺)業に真摯に向き合ったことがしっかりと伝わってくる良作でした。
これは同じ実話を基にした物語でも、『余命一ヶ月の花嫁』(2009年 東宝)が決定的に欠いていた要素です。
私は、本作が故人の成したことを借りて表現したものとは、我々、大人へのメッセージだと解釈しています。
そのメッセージとは、鈴木先生風に言えば、「大人たるものすべからく教育者たるべし」ということで、
我々は日本の古き良き時代には当たり前のように存在した美徳と概念を取り戻さなければならないと思います。

 「昔はいろんな人が助けてくれた。今の若者にはそれがない。そういうのをほっときたくないんだよ」

そのようなテーマ表現にあっては、
主演の阿部寛さん、ミムラさん、桜庭ななみちゃんという主要キャストのお芝居は本当に素晴らしかった。
しかし、演出という観点で言えば、
残念ながら目に見えてテーマ表現に貢献したと思える演出は皆無だったと言ってしまわなければなりません。
とにかく本作は俳優さんのお芝居で牽引したストーリーであり、作品だったというのが私の印象です。

本作を観たいと思った理由のひとつは、新人監督の作品である点でした。
私がアスミック・エース製作の映画を観る時のひとつの楽しみとしているのが、新しい才能に触れられるという部分で、
私が今現在注目している映画監督のお名前を知る機会を与えてくれたのは、ほとんどがアスミック・エース製作の映画です。

新しい才能という視点で作品に臨む時には、
初めて手がけた長編映画という割引やエクスキューズを考慮しなければならないのかもしれませんが、
私の経験上、ポテンシャルを秘めた監督というものは、デビュー作であろうとなんだろうと才能の片鱗を見せてくれるのもです。
しかし、本作にはレビューで取り上げたいと思わせるシーンがひとつもありませんでした。
技術的なことで言えばこの方は逆位置のショットに切り返すカットの使い方(編集)がことごとく下手くそなんですね。
細かいことを言うようですが、テンポを悪くしているものが多かったし、あまり意味がないものが多かった。
こういう基本的技術の使い方は映画監督のセンスや力量を図る上でひとつの指標となるものだと思います。

もうひとつ言わせてもらうと、まったく「絵作り」ができていない。
このことは映画監督の決定的な資質とでも言うべきもので、
「絵」に力を与えることができない映画監督の存在価値は薄くならざるをえません。
具体的に言うと、「沖縄」を感じさせてくれる絵がまったくなかった。
もちろん海、砂浜、太陽、台風・・・などが断片的に映像に映っていたのかもしれません。
しかし、それらがテーマ表現と結びついて観客の印象に残らなければ意味がありません。

私は「沖縄の風土」というものは、主人公の人間性やその生き方、ポリシーが形成される過程にあっては
大変重要な要素だったと感じていて、主人公をはじめとして、そこに生きる人々が持つ優しさや大らかさといったものに
説得力を付与するような「沖縄らしい絵」をもっともっと盛り込んで欲しかったと思っています。
申し訳ありませんが、私にはこの監督がそういう視点で丁寧に時間をかけてロケハンをしたとは思えませんでした。
また、私が個人的に日本映画のひとつの役割だと考えている、撮影に協力していただいた地域の振興という意味でも
本部町という土地の魅力が映像に刻まれていたとは言いがたいものでした。

最後にもう一点だけ。
本作のラストは主人公の生前の写真からモデルとなった仲宗根陽さんの写真へのオーバーラップでまとめとしていて、
これはこれでひとつの演出としては成立しているとは思います。
しかし、私としてはこの「現実へのフィードバック」という部分をもっとうまくやって欲しかったなという思いがあります。

この映画の主題歌は、舞台となった「あじさい音楽村」出身のステレオポニーというバンドによるものなのですが、
もしかしたらそうなのかもしれないとは思ったもののも、そのことをちゃんと知ったのは家に帰ってからでした。
そして、これ以上、説得力のあるまとめ方はないということに感心したのですが、
同時に、なんで本編を観たときにはっきりと気づかせてくれなかったんだろうとすごく残念な気持ちになりました。

主人公が成したこととは、音楽スタジオを作ったことというよりも、「人」を作ったことだと思うのです。
そのことを象徴し、仲宗根陽さんが生きた証となるのがメジャーデビューしたバンドの存在なのです。
このことは仲宗根陽さんの遺影を写すだけでは表現しきれない部分でしょう。
これは私のアイデアですが、本編のラストは現実に沖縄で開催されている音楽フェスティバルの映像を挿入することによって
現実へのフィードバックとし、そこから主題歌が導入したら、誰の目にもこの曲を歌っているバンドこそが
主人公の遺業であるということが伝わるし、観客はエンドロールを観ながら大いに感動し、その深い余韻に浸ったことでしょう。
「演出」とはそういうことなのではないでしょうか。
私は観客にこう感じて欲しいという「監督の意思」にもっともっと触れてみたかったのです。

総合評価 ★★★☆☆
 物語 ★★★★
 配役 ★★★★☆
 演出 ★★☆☆☆
 映像 ★★☆☆☆
 音楽 ★★★☆☆


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  • e97h0017e97h0017フジテレビ『蜜の味~A Taste Of Honey~』第2話。第1話冒頭のこの文言を覚えておきたい。「すべての人の心の中には恋という魔物が棲んでいます」今のところは彩の中の魔物が大暴れしている感があるが、今後は必ず直子の中の魔物が本性を現すことだろう。二人の対決、見ものである。10/24 03:02