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  • e97h0017e97h0017電子番組表を見ていたら、明日からTBSで「ホームワーク」の再放送が!稲垣潤一さんの「クリスマスキャロルの頃には」で有名なドラマですが、23歳の福山雅治さんの美形男子っぷりも今となっては貴重でしょう。福山さんは本作でブレイクして「ひとつ屋根の下」のちい兄ちゃんへ繋がっていきました。

(9)流れ星 [ドラマレビュー]

流れ星 完全版 DVD-BOX

[ DVD-BOX ]
流れ星 完全版

( ポニーキャニオン / ASIN:B0045UADVM )

『 流れ星 』
第9回
( 2010年 フジテレビ 公式サイト
演出:石井祐介 脚本:臼田素子、秋山竜平 出演:竹野内豊、上戸彩、北乃きい、松田翔太、稲垣吾郎

師走に入って各ドラマが佳境を向かえており、ほとんどのドラマが次週に最終回を控えている状況ですが、たとえば、今週の『獣医ドリトル』も、最終回に向けて物語を盛り上げるようなエピソードと演出がとても効果的に働いており、今回はこれまででもっともクオリティの高い回だったと思います。今週の演出を担当したのは、『花より男子』シリーズなどを手がけたTBSの石井康晴監督で、この方も非凡な才能を持ったドラマディレクターだと思っています。今回は夏帆ちゃんがゲスト出演という回でしたが、彼女が登場するシーンの撮り方を見て、今日は石井監督の演出だということがすぐにわかりました。『獣医ドリトル』は、石井監督をチーフとして、3人のディレクターで演出を分担していますが、他のお二人は若手であり、正直申し上げて、石井監督が担当した回と若手お二人が担当した回を演出面のみで比較すると、そのクオリティのギャップは一目瞭然でしょう。

そのような演出スタッフの体制は、『流れ星』とも似ていて、ベテランの宮本理江子さんをチーフとして、若手の石井祐介さんと並木道子さんがセカンド・サードとなっており、前回の宮本監督の演出を見てしまえば、こちらも演出面のクオリティのギャップは一目瞭然ということになります。それでも、石井監督は涼太が息を引きとるシーン、並木監督は「梨沙は僕の妻です!」のシーンと梨沙がおなかを見せるシーンと、それぞれ印象的なシーンもしっかり作っていて、宮本監督の演出スタンスをしっかりと踏襲し、この作品の世界観をまったく壊していません。宮本演出と容易に比較されてしまう状況は、若手のお二人にはちょっと酷であり、石井祐介監督が担当した今回は、前回の宮本演出が出色の出来だっただけに演出に限って言えば物足りない印象を覚えてしまったのも仕方がないところでしょう。今週は、演出というよりも脚本で見せた回だったかもしれません。

本作をラブストーリーと位置づければ、健吾と梨沙、二人の互いに対する感情の要所を押さえることが脚本上も演出上もとても重要になってきます。「感情の要所」とは、互いを異性として意識した瞬間と、互いを好きであることを確信した瞬間のことで、この二つのポイントを押さえることは、ラブストーリーにおけるひとつのセオリーということになります(⇒参考:海がきこえる)。ただ、このドラマが、普通のラブストーリーと一線を画するのが、主人公二人がその種の感情を容易に表を出さない点で、一つ目の「互いを異性として意識した瞬間」については、振り返ってみると様々な解釈が可能であり、改めてそのあたりを掘り下げてみるのも面白いところでしょう。そして、最重要ポイントである「互いを好きであることを確信した瞬間」は、言うまでもなく前回のラストシーンであり、宮本演出がこれを劇的に盛り上げることに成功したことは前回触れたとおりです。

とはいえ、実のところ前回は二人が抱き合うという状況が描写されたのであって、それだけでも十分に二人の感情の核心に触れているとも言えますが、二人の互いに対する気持ちを言葉としてはっきりと表出させるのが、やはりラブストーリーにおける重要なセオリーということになります。前回のラストシーンがあまりにも劇的過ぎて、言葉がなくてもその点については十分すぎるほどの達成感があるところですが、このドラマの脚本が改めてしっかりしていると感じるのは、あのラストシーンをもってしてもなお、主人公二人に互いの気持ちを確認させているところです。これは最終回に向けての物語の大きな起伏を考えれば、ドラマ制作上、絶対に確認を怠ってはならない感情だったと思っています。ただ、このドラマらしいところは、健吾も梨沙も「好きだ」や「愛してる」などというありきたりな言葉を用いた感情表現をしないところです。

健吾と梨沙が水族館裏の海辺で星空を見ながら流れ星の話をするシーンでは、タイトルともなっている<流れ星>が、このドラマ始まって以来初めて、はっきりとエピソードとして組み込まれました。海辺で並んで星空を見上げる二人のバックショットからは、これまで感じたことがなかったこの瞬間ならではの二人の距離感が表現されています。流れ星に願い事をするという行為に対する梨沙の素朴な疑問は彼女らしいものだし、強く願うことが大事だという健吾の答えも彼らしいものでしょう。そして、梨沙の口から出た願い事がこれです。

「このままがいい・・・叶うかな・・・」
「きっと叶う」

野暮なのは承知で、これを言い換えると、

「ずっとあなたと一緒にいたい・・・いてくれるよね・・・?」
「わかってる。ずっと一緒にいるよ」

となり、<流れ星>への願いという形で、互いの気持ちを確認させる巧みなシーン作りがなされています。しかも極めてシンプルな台詞で、はっきりと互いの感情の核心を表出させているところはこのドラマの脚本ならではのものだし、二人ともその言葉の意味をはっきりと噛み締めているという描き方は、このドラマならではの演出ということになるでしょう。ただ、このシーンは本当に惜しい。とても重要なシーンだっただけに演出的にはもう少し何らかの工夫が欲しかったところです。

また、このシーンには、重要な「ハッピーエンドフラグ」が二つ立っているところも見逃せません。このシーンにおける健吾の「強く願えば叶う」と「きっと叶う」という台詞を結びつけて冷静に考えると、もはや梨沙の願い事が叶わないという選択肢はありえないということになります。これまで再三にわたって描写されてきた健吾のムダにイケメンかつ誠実な人柄を考えれば、今後彼がこの言葉の意味を軽んじるなどということはあるはずがないでしょう。

もうひとつは、「約束」の存在です。展望台で流れ星を見ようという健吾の提案に梨沙は「じゃあ、来年、連れてってくれる?」と応じます。梨沙という女性はこれまで、今を生きることで精一杯という生き方をしてきており、この台詞には今よりも未来を大事にしたいという、健吾に出逢うことで獲得した梨沙の新しい価値観が込められています。健吾もこの意外な返答の意味を汲み取っただろうし、繰り返しになりますが、誠実な彼がこの約束を軽視することはありえません。私は、かなり初期の段階からこのドラマが、たとえば、梨沙が命を落とすというような悲観的な結末を迎えることはまずありえないだろうと考えていますが、このシーンを観てそのことをはっきりと確信しました。

「・・・そっか・・・」二人の「感情の核心」という意味で、もうひとつ触れておきたいシーンがあります。
出版社に抗議に出向いた帰りに体調を崩した梨沙に対する健吾の台詞から、

「あの記者になんて言うつもりだったの?」
「・・・この結婚は偽装なんかじゃないって・・・しっかり夫婦だって言おうとした」
「・・・そっか・・・」

この「そっか」直前、竹野内豊さんの表情のお芝居が本当に素晴らしい。梨沙が記者に対して言おうとしたことは、間接的ではありますが、健吾への偽りのない素直な感情表現であり、この言葉を聞いた健吾の表情が上の絵ということになります。さすがにキャプチャー画像では伝わりにくいですが、本当に微妙な表情の緩みを作って、この梨沙の率直すぎる行動と梨沙が用いた「夫婦」という言葉に対する内なる喜びを表出させています。結局このシーンでも、梨沙は言葉で、健吾は表情で、二人が相思相愛であるということを表現しており、我々は改めて二人のその種の感情に疑う余地はないということを確認します。

以上のような今回の前半部分における主人公二人の感情の核心についての描写は、後半部分で描かれる健吾が下した決断に基づく一連の行動とは表面的には相反する要素ということになります。しかし、今回を見終わったときの余韻として、健吾が選択した決断の「真意」が我々にしっかりと伝わってくるところが重要です。健吾は梨沙との「約束」も梨沙の「願い事」も決して忘れてはいないでしょう。最終回の焦点は、当然二人が結ばれるかということになるわけですが、このことは梨沙が「強く願えるか」に懸かっているとも言えるわけです。今回、これまで漠然としていた<流れ星>が一躍、重要なキーワードとしてクローズアップされ、なんの違和感もなくいつの間にか物語に織り込まれてしまったのは、間違いなく脚本の力ということになります。

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(R)流れ星 [ドラマレビュー]

先週の『新・週刊フジテレビ批評』で、
視聴率の調査区分のひとつである「F1」の構成比の変化がテレビ業界に及ぼす影響を取り上げていました。
「F1」とは、20~34歳の女性のことで、もっとも購買意欲が強く、テレビを見る絶対時間がもっとも大きい世代として、
テレビ局がこれまで、ほとんどの番組においてターゲットとしてきた区分ということになります。
しかし、近年では必ずしもF1層がテレビをよく見ているということにはならないようです。

その理由のひとつとして、女性の晩婚化などの様々な社会情勢の変化の中で、
F1の構成比(既婚・未婚・就労・未就労など)が大きく変化していることがあげられていました。
わかりやすくいえば、かつてF1の中心だった専業主婦が減って、働く女性が増えており、
この両者の構成比が逆転することによって、かつてとはまったく別物の視聴者層になってきているということでした。
番組の議論は、そのような変化にテレビはどのように対応しなければならないかということになっていきましたが、
私は、この事実を近年のテレビドラマ視聴率の頭打ち、あるいは減退と結びつけて考えずにはいられませんでした。

いわゆる「トレンディドラマ」の時代から、テレビドラマというものは長らくF1層のために作られてきました。
そのような観点から言えば、近年、木村拓哉さん主演のドラマが視聴率を取れなくなったのは
道理であり、
F1が毎年イノベーションを繰り返していることを考えれば、同じ俳優さんへの需要が継続するのにも限界があります。
それでも10年以上も彼がその地位(数字が取れる俳優)を堅持してきたという事実は、驚愕に価すると思いますが。

一方で、そのようなイノベーションは、同時に構成比をも変化させてきたということになります。
働く女性が増えるということは、すなわち在宅してテレビを見ている視聴者の絶対数が減るということを意味し、
必ずしもドラマの視聴率の伸び悩みが、ドラマの質の低下を直接的に意味するものではないということになります。

特に「月9」というものは、常に話題の中心となる伝統的かつ代表的なドラマ枠ですから、
その平均視聴率の最低記録の更新が、大きな話題となってしまうのは仕方ないにしても、
視聴者のライフスタイルの変化など、ドラマどころかテレビ全体を取り巻く情勢が変化していることを考えれば、
視聴率の低下が「月9」の質の低下のように捉えられてしまうのは不当な評価ということになります。

インターネットが普及して、かつては業界向けだった視聴率が、一般にも広く周知されるようになりましたが、
我々は一方の当事者でありながら、本来その数字そのものは、我々にはまったく無関係の情報でした。
それでもなまじ情報があるだけに、自分が贔屓にしているテレビ番組の視聴率に目が行ってしまうのは当然だとしても、
それに一喜一憂してしまうのは、誤解を恐れずにいえば、ちょっと滑稽ですらあると思います。
そもそも視聴率を「情報」として分析し、活用しなければならないのは、テレビ局や広告代理店であり、
一喜一憂するのなら、我々も視聴率の本質を正確に把握した上で、その情報に接するべきでしょう。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1150498786

ここでは視聴率というものに対する素朴な疑問に回答していますのでこちらもあわせてご覧ください

さて、以上のような視聴率という情報の本質を前提に、『流れ星』の視聴率について私なりに分析を試みてみました。

 流れ星(フジテレビ 毎週月曜日 21:00-21:54 初回は21:00-22:09) 
   平均視聴率(放送時間)累計加重平均視聴率(分)(分×率)(累計)
 10/18第1回13.6%(69)13.60%69938.4938.4
 10/25第2回14.2%(54)13.86%123766.81705.2
 11/01第3回13.7%(54)13.81%177739.82445.0
 11/08第4回15.0%(54)14.09%231810.03255.0
 11/15第5回12.6%(54)13.80%285680.43935.4
 11/22第6回13.9%(54)13.82%339750.64686.0
 11/29第7回13.6%(54)13.79%393734.45420.4
 12/06第8回14.8%(54)13.91%447799.26219.6
 12/13第9回13.4%(54)13.86%※12/14追記
 12/20最終回15.8%(54)14.05%※12/21追記 
 ※ 平均視聴率は、ビデオリサーチ社調べ、関東地区のもの。加重平均視聴率は、私が算出したものです。

加重平均視聴率とは、 初回や最終回で放送時間が拡大された番組の平均視聴率をより正確に把握するためのもので、
わかりやすくいえば、拡大された回の視聴率が、拡大された分だけ重視して算出された視聴率ということになります。
『流れ星』の場合、15分拡大された第1回の視聴率は、通常回よりもおよそ28%ほど重視されているということになります。

一般的に知られるようになるドラマの最終的な平均視聴率とはこれを指しており、
連続ドラマを評価するときの「ひとつの」指標となるものです。
そして、これを累計放送時間と各回の視聴率の累計を使って算出したものが、
その時点でのそのドラマの視聴率をより正確に合算したものということになります。

これをひとつの指標として、ドラマはドラマ同士でということで、
『流れ星』の視聴率を今クール放送されているドラマの中で相対的に比較してみたいと思います。
比較サンプルは、初回視聴率が特に高かったものをピックアップしてみました。

2010121301.png

『流れ星』の初回視聴率(13.6%)は、民放のメジャー枠のテレビドラマとしては、11番組中8番目の数字でした。
それが第8回時点での加重平均視聴率を比較すると、『流れ星』の数字は上から3番目となり、
すでに放送されている『医龍3』の第9回分を加算すれば、『フリーター、家を買う』に次ぐ、2番目ということになります。

初回の視聴率というものは、ほぼそのままその作品への期待値とすることが可能で、
比較サンプルとして挙げたドラマは、初回視聴率と加重平均視聴率の乖離幅が大きいので、
数字のみで客観的に評価すれば、「期待はずれだった」と言ってしまうこともできるでしょう。
そんな中、現時点での加重平均視聴率が初回視聴率を上回っているのは、
微増とはいえ、『流れ星』のみであり、これは逆に「期待以上だった」と言ってしまっていいでしょう。

言うまでもなく、そのドラマが「期待はずれだった」か「期待以上だった」かは、
そのドラマを評価する上で、ある部分では数字以上に重要な要素であり、
これは、最終的な平均視聴率を見ただけでは汲み取れない情報ということになります。

この場合、一番高く評価されなければならないのは、初回視聴率が高く(17.6%)、
現時点における加重平均視聴率も高水準(16.62%)を維持している『フリーター、家を買う』ということになりますが、
『流れ星』の序盤の視聴率が「期待値のみ」で顕在したものだとすれば、
視聴率というものは、やはりドラマのクオリティを正確に反映したものとは到底言えなくなるでしょう。

すでに触れたとおり、注目度が高い「月9」の視聴率は、常にあらゆる面での「最低記録」が話題となりますが、
視聴率の伸び悩みは「月9
」に限ったことではなく、ドラマ全体の問題であり、「月9」を視聴率で評価しようとするならば、
ドラマ全体の視聴率か、ここで試みたように他のドラマの視聴率との相対的な比較
をもって論じられるべきだと思います。
視聴率という情報を簡単に得られる時代だからこそ、我々にもその情報を正しく理解し、分析する姿勢が求められています。

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(8)流れ星 [ドラマレビュー]

『 流れ星 』
第8回
( 2010年 フジテレビ 公式サイト
演出:宮本理江子 脚本:臼田素子、秋山竜平 出演:竹野内豊、上戸彩、北乃きい、松田翔太、稲垣吾郎

今週は、ストーリー上のひとつの大筋、すなわち健吾(竹野内豊)と梨沙(上戸彩)の互いに対する感情と関係性に決着をつける大変重要な回であり、これを大変高いクオリティに納めることに成功しています。この二人の(表面的な)関係性を象徴するキーワードは「契約」で、これが我々の二人の関係に対する印象に「もどかしさ」といったものを付与しているということには前回も触れました。そして、今回の冒頭では、そんな視聴者のもどかしさをあざ笑うかのように、梨沙の台詞に再び「契約」という言葉を使用しています。

今回は、移植手術終了後、梨沙の病室のシーンから始まります。まずは健吾が梨沙のベッドの傍らにいることに意外性を感じ、それだけで何らかの期待をしてしまった方も多いのではないでしょうか。しかし、母・和子(原田美枝子)がマリアに付き添っていると聞けば、そこに特別な意味は存在しないことにあっさり気が付いてしまいます。そして、ダメ押しのようにこの梨沙の台詞です。

「これで契約完了だ・・・ね・・・」

前回は「契約」という言葉を健吾に言わせましたが、今回は梨沙の台詞として使用することで、我々に二人の関係性を再確認することを強いています。さらに、この梨沙の台詞は、これまで彼女が見せたことがないような笑顔と声のトーンをもって表現されており、前回のおなかを見せるシーン以来、完全に梨沙が健吾に対して心を許していることが窺えます。二人の精神的な距離は確実に縮まっているのに、二人の「契約」という関係性には何らの変化もないという「内と外」の齟齬(そご)は、我々にしてみればやっぱりもどかしく感じられてしまいます。

先週の次回予告のラストカットというわけで、私は冒頭から「やられて」しまったわけですが、今回はこの冒頭も含めて、ほとんどすべてのシーンが前回放送された次回予告映像の最後のカット(=今回のラストシーン)に向けての「お膳立て」のような役割を果たしているところが、この回単体でのクオリティの高さに繋がっていると私は考えています。

たとえば、梨沙の退院祝いをする岡田家の食卓のシーンで、和子が梨沙に対してさらっと「このままうちにいてもいいのよ」と言ってしまいます。はっきり言ってこれは二人の「契約」という関係性を無視した発言ですが、何の違和感もなく、そこに存在できてしまう台詞なのです。また、マリア(北乃きい)に梨沙との「約束」の存在を強調させているほか、美奈子(板谷由夏)には梨沙に対して「健吾をよろしくね」とまで言わせています。つまり、言ってみれば外堀を埋めるように、二人をとり巻く状況はある一点(=ラストシーン)に向けて収束しており、あとは二人の気持ち次第というところまで「お膳立て」は進みます。しかし、このドラマは、そうすんなりと物語を進めてはくれません。

自転車というキーアイテムは、今回唐突に登場したものではありますが、梨沙が自転車に乗れないという設定は、彼女の決して幸せとは言えない生い立ちを想像すれば、容易に受け入れられるものでしょう。そして、健吾とともに梨沙が自転車に乗る練習をするシーンもまた、このドラマ屈指の名シーンと位置づけることができると思います。普通のドラマなら、こういうシーンは二人の関係をさらに近づけるような性質を帯びるはずですが、このドラマでは、そのような側面がある一方で、翌日には梨沙が岡田家を離れるという状況が大前提として存在しており、先ほども触れた二人の距離感の「内と外」の齟齬がここにも巧みに織り込まれています。

自転車に乗れない人の「放さないでね!」という叫びは、誰もが一度は経験したことがある心情からくるものだし、いつかは放さなければならないと思うのは練習に付き合う人の当たり前の心情ということになるでしょう。しかし、このシーンではそのような双方の当たり前の心情にもうひとつの意味が付与されています。梨沙の「放すなよ!」という叫びに対する健吾の、

「いつかは放さないと」

という台詞には、当たり前のことなのに、我々だけに伝わってくる何とも言えない切ない情感が込められています。翌日には二人の間に物理的な距離ができてしまうことを思うと、この台詞に健吾の元を離れる梨沙という状況を重ねて考えない人はいないでしょう。当人たちはそんなことを微塵も意識せず、無邪気に自転車の練習を続けており、これを「二人の明日」と対比させてみると、その切なさは一層際立ちます。

「あの時自転車に乗れるようになってたら、今頃あのクソ兄貴とも縁を切れてたのかな・・・」

自転車に乗れるようになることで切れる縁・・・梨沙が語る思い出話の終着点はいろんな意味で切ないものです。そして、梨沙が乗った自転車から健吾の手が離れる瞬間がおとずれます。言うまでもなく、これは二人の関係を象徴的に表現しており、外堀は埋まっているのに、この期に及んでまだ二人を引き離そうとするこの脚本は、その方法が実にスマートなだけに、この現実を受け入れるしかないと我々を観念させてしまうような力を持っていたと思います。

しかし、我々には先週の次回予告映像の最後のカットという拠り所があります。このままでは終わらない・・・このままで終わるはずはない・・・視聴者の気持ちが盛り上がり切ったところで、健吾の自転車が急ブレーキ。キターーーーーッ!です。ここからはついに二人の関係が「契約」を超えた「あのカット」まで一気に駆け抜けていったのはご覧になられたとおりです。

宮本理江子さんは、今週回を効果的に盛り上げるために、先週放送された次回予告を作り、視聴者が「あのカット」を見ているということを前提に今回の演出をしているような気がしています。ご自分で作ったものですからある部分では当たり前のことなんですけど、これが緻密な計算だったとしたら、前代未聞の演出ということになります。私は二人が抱き合うという「最重要カット」が盛り込まれた先週の次回予告を見て、かなり思い切ったことをするものだと感心していたのですが、あえて次回予告にあのカットを入れることで、次週も見たい、あるいは絶対に見逃せないと考える視聴者はかなりいたはずだし、次回予告としての役割は十二分に果たしていたと思います。ただ、よもや何らかの演出上の意図が介在している可能性には、今週回を見るまでまったく気が付きませんでした。

すでに触れたとおり、今回のストーリーは最初から「あのカット」に収束していくように進んでおり、視聴者の大部分がそのことを知っていて、それを期待をして見ているわけです。言ってみれば、これは「予定調和のカタルシス」であり、先週の次回予告がそのような効果を狙って作られたものだとすれば、テレビドラマの演出もここまで来たかという感慨に至らずにはいられません。これまでも連続ドラマの特性を生かしたこのドラマの脚本と演出については触れてきましたが、次回予告まで利用してしまう発想には驚くしかありません。私がテレビ雑誌の記者なら、宮本監督に取材を申し込んで、真っ先にそのあたりのことをお聞きしてみたいところです。

さて、以前、こちらのランキングで、ヒロインをもっともうまく撮るディレクターとして宮本理江子さんのお名前を挙げさせて頂いたことがありますが、女性の心情を掬い取るのがとても上手な方であることは、このドラマの中でも主に梨沙についての描写を通じて再確認しているところです。今回、そのような宮本監督の女性的な演出という視点から是非注目しておきたいシーンが二つあります。健吾の元婚約者・美奈子(板谷由夏)の存在は、先週はっきりと健吾にふられたことで、前回をもってストーリー上の役割はほぼ終えたものと考えていましたが、今回の序盤にも登場し、意外にも彼女のその後の心情描写にかなりの時間を割いてました。このあたりは女性の脚本、女性の演出によるこのドラマならではのものだと思っています。

2010120902.jpgまず、美奈子がマリアから届いたメールを読むシーンのきわめて繊細な感情表現に驚きました。このシーンに台詞はなく、板谷由夏さんは携帯電話を片手にマリアの感謝の言葉を読んで感極まるというお芝居をしていて、動きとしては携帯電話の画面を何度も指で拭うという仕草をしています。この動きは板谷さんの演技プランである可能性もありますが、私は宮本監督の演出である可能性が濃厚だと考えています。というのも携帯電話の画面を親指で拭うという手元寄りのカットがひとつインサートされていて、これはどう考えても最初からこの動きを撮るつもりで存在しているカットだからです。果たしてこの場合、携帯電話の画面を指で何度も拭うという行為にはどんな意味が込められているのでしょうか。私は美奈子の後悔と贖罪の念、そして感謝が入り混じった複雑な心情を表現するための動きだと解釈しています。

A                            (26:20)
2010120903.jpg

Dolly
A'                           (27:30)
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B                            (27:44)
2010120905.jpg
 C                            (27:48)
2010120906.jpg

もうひとつのシーンは、病院にて美奈子が梨沙に話しかけるシーンです。これまで二人がちゃんとした会話をしたことがあるわけではなく、ましてや真逆の選択をした二人ですから、Aのカットの始まりの絵は、この時点で二人の間に当然存在する価値観の違いや精神的な距離感を表現しています。実際、美奈子は梨沙によそよそしく話しかけ、梨沙がいるテーブルではなく、梨沙の背後に位置するイスに座ります。このシーンでは、美奈子が梨沙に対して抱いていた率直な想いを吐露しており、梨沙が「いい女だな」と応じて、二人の間の壁が取り除かれます。そして、美奈子の「健吾をよろしくね」という台詞に繋がっていきます。

これを1カットで表現しているのがAのカットで、カメラは80秒かけてゆっくりと二人が重なる位置まで移動していきます。つづくカットで逆位置のショットに切り替えて、BとCのカットで二人の笑顔を押さえれば、二人の互いに対する気持ちの変化の表現は完了です。このシーンも効果的に長回しが使用されており、女性二人の心情の繊細な移り変わりを小細工なしで撮っているのと同時に、単純なカメラの動きをもって二人の間に存在していた距離を埋め、二人の心情の変化を補完しています。私はこのシーンを見て、これを男性ディレクターが撮ったら、果たしてこんな風に丁寧に撮ってくれるだろうかと思ってしまいました。二人の女性の心情にしっかりと決着をつける演出は、女性監督ならではのものだったと思います。

今回は大変な長文になってしまいしたが、細かいことを言えば、もっともっと触れてみたい要素があって、本当に濃密な回だったと思います。私は今週回は単体でも十分に成立できるぐらいのクオリティを備えていると考えていて、NHKが『龍馬伝』の最終回を芸術祭に出品するのなら、フジテレビはこれを出品してもまったく恥ずかしくないと思います。私は、ほとんど映画並みの脚本と演出のクオリティを目の当たりにして、途中から「これ、映画化すればいいのに・・・」と思いながら見ていました。第8回にしてこんなものを見せられてしまっては、宮本さんが再び演出する最終回はどうなってしまうんだろうという強い好奇心と興奮を隠すことはできません。

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(7)流れ星 [ドラマレビュー]

『 流れ星 』
第7回
( 2010年 フジテレビ
 公式サイト
演出:並木道子 脚本:臼田素子、秋山竜平
 出演:竹野内豊、上戸彩、北乃きい、松田翔太、稲垣吾郎

第4話のレビューで、台詞ひとつでそれまでの状況を一変させるこの脚本の巧みさを指摘したことがありますが、このドラマの魅力のひとつは、一つ一つの台詞の力強さや印象深さにあるような気がしています。そう思い始めると、これまで放送された全話を振り返ってみたくなってしまうのですが、今回はとりあえず今週分の印象的な台詞をいくつかピックアップしてみたいと思います。

第5話で健吾(竹野内豊)の家族が抱える過去の事情が明らかになって以降、物語の焦点はいよいよ健吾と梨沙(上戸彩)の関係性にシフトしています。ここまでの二人の関係性は、付かず離れず、視聴者としてはもどかしい思いをしているところですが、重要なのはここまで二人の互いに対する感情の核心に触れる描写は一切なく、ましてや台詞として二人のその種の感情が表出したこともありません。二人の間の感情を、我々は二人を取り巻く「状況」の中から推察し、言ってみれば勝手に「期待」をしているだけなのです。今日は我々にそのような「期待」を抱かせる二人の絶妙な距離感を示す台詞を紹介してみます。

まずは、もはや自分の居場所がなくなって岡田家を後にした梨沙を追いかけて、健吾が修一(稲垣吾郎)のアパートを訪ねたシーンでの健吾の台詞です。

「梨沙はあなたと一緒にいても幸せになれないと思います」

健吾が梨沙を必死で探している時点ですでに「状況」は整っており、その上での健吾の断言するようなこの力強い言葉は、梨沙に対する特別な感情と解釈しても構わないはずです。「あなたと一緒にいても幸せになれない」とは、「自分が幸せにする」と言い換えることも可能なわけですが、そこまで解釈してしまうと、それこそ我々の「期待」でしかなくなってしまうような気もします。

実際、後のシーンでそれが淡い期待だったことを思い知ることになります。自宅の前で梨沙を見つけた健吾は去ろうとする梨沙を引きとめて、ここでも「戻ってきて欲しい」と率直な言葉をかけます。しかし、次にクラゲのストラップを梨沙に手渡して発せられた健吾の台詞がこれです。

「そういう契約だろ・・・」

これはいい意味で視聴者の「期待」を裏切る絶妙な台詞でしょう。二人の関係が盛り上がったところで、「契約」という言葉をもって一気に二人の関係をスタート地点に戻してしまうわけです。もちろんこれは健吾の正直な気持ちが込められた言葉ではなく、むしろ自分の気持ちを抑えるために発せられた言葉と解釈することができてしまうわけで、その意味では結局視聴者の期待値はプラスマイナスゼロ、二人の関係は何も進展していないことを確認したのみに止まっています。しかし、このドラマは二人の関係を決してしらけさせることはなく、しっかりと次なる期待を抱かせるシーンを用意しているのです。

手術前夜、健吾の部屋での二人のやりとりは、大変奥深い意味が込められており、この作品を振り返ったとき屈指の名シーンと位置づけることができると思います。クラゲを見つめる梨沙にかけられた健吾の優しさが感じられる言葉からこのシーンの台詞を起こしてみたいと思います。

「オレ向こうで寝るから、今日は気が済むまで見てていいよ」
「サンキュ」
「今でも、クラゲになりたいって、思ってる?」
「どうだろ」
「何も考えずに、漂っていたい?」
「けっこういいかもね・・・いろいろ面倒なこと考えるのも」

このパートでは、梨沙の価値観の変化がはっきりと読み取れます。

「なんか眠くなってきた・・・」
「じゃあ、おやすみ」
「あのさ・・・」
「ん?」
「覚えといて・・・おなか・・・あたしのおなか・・・覚えた?」
「しっかり」
「じゃあいいや・・・」

   「けっこういいかもね・・・いろいろ面倒なこと考えるのも」
   「じゃあいいや・・・」

台詞だけを起こすとさすがにちょっと味気ないところがありますが、逆に言えばこれだけ簡素な台詞をもって表現されている情報量には驚くしかありません。このシーンの二人のやりとりは、ひとつひとつの行間をじっくりと時間をかけて撮っていて、とりわけ梨沙の感情の機微が巧みに織り込まれたシーンになっています。前半のパートにおける梨沙の価値観の変化を前提とすると、まだメスが入っていないおなかを健吾に見せて、覚えておいて欲しいと願う梨沙の気持ちは、紛れもなく「生への執着」であり、これは自暴自棄になった末に「契約」として臓器提供に応じたときには存在しなかった感覚ということになるでしょう。

そして、我々はこのシーンで梨沙のもうひとつの感情を読み取らなければなりません。女心です。健吾におなかを見せる行為は、女性としてのその後の人生に対する覚悟を決めるためのものであり、同時に手術によって自分の体に大きな傷が入ることへの怖さが表出したものだと考えられます。これまでの梨沙の言動では、ほとんど彼女の本音が表に出ることはなく、自分の気持ちを表現することについては不器用な性格であることが再三印象付けられてきました。おなかを見せるという行為は、梨沙の精一杯の本音の表現の仕方であり、「女性らしい弱さ」をさらけ出した瞬間と言えると思います。言うまでもなく、そのような「女性らしさ」と「弱さ」を初めて見せた対象が健吾であるところに重要な意味があるわけです。

第5話のレビューで、竹野内豊さんの最大の見せ場とも言えるシーンを紹介しましたが、このシーンでは女優・上戸彩の繊細かつ深淵な感情表現を見ることができます。前述のとおりこのシーンにおける梨沙の感情には、「決意」「不安」「恥じらい」「弱さ」といった様々な性質が複雑に入り乱れており、彼女はこれらの複雑な感情を梨沙というキャラクターの中に完璧に織り込んでいたと思います。

さて、先週のラストに現れて急展開を見せた美奈子(板谷由夏)の存在については意外にも今週であっさりと決着が付いてしまいましたが、今週のラストにも例によって、物語の新展開を予感させる描写がさり気なく盛り込まれていました。修一と会っていた女性は誰なんでしょうか。わずか数秒の絵で視聴者の想像力をここまで掻き立ててしまうこのドラマは、エンタテインメント性という意味でも、大変高いクオリティを有していると思います。以前にも触れましたが、連続ドラマの特性を生かした各話の結びつきを強くするような脚本と演出が存在していると、本当に面白い効果が生まれるものです。

それと、次回予告であれを見せちゃうんだよなぁ・・・このドラマは。あれは「視聴者の期待は裏切りませんわよ、フフフ・・・」という製作者のメッセージが込められていると思います(^^;。来週は宮本演出です!

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