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  • e97h0017e97h0017今日の「魔女たちの22時」のかおりんの告白はけっこうショッキングでした。ファンの間では知る人ぞ知る内容だったんでしょうか。「なっちとは同郷で一緒に住んでるんです」というかおりんの話は額面どおり受け取ってたんですけど…。かおりんの謝罪を受けたなっちの反応とコメントが美しかったです。

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龍馬伝 最終回 [ドラマレビュー]

『龍馬伝』
最終回

( 2010年 NHK 公式サイト )
演出:大友啓史 脚本:福田靖 主演:福山雅治

以前にも一度だけ取り上げたことがありますが、私は今年の大河ドラマについては一歩引いたところから拝見していました。正直申し上げて、私はこの『龍馬伝』を評価していないし、それどころか、近年の大河ドラマそのものに対して、失望、落胆の念を禁じえないといったところです。大河ドラマそのものについての私の感慨は長くなるので、別の機会に譲るとして、とにもかくにも、昨日の『龍馬伝』最終回、龍馬暗殺のシーンを振り返らなければなりません。

坂本龍馬最後の瞬間は、さまざまな映画やドラマ、ドキュメンタリーで描かれてきましたが、はっきり申し上げて、昨日のものは最低の出来と言わざるをえません。大河ドラマの演出の最大の特徴は、主要なシーンのほとんどがスタジオ撮影であるところで、『龍馬伝』ではこれをさらに複数のカメラを用いて長回しで撮影し、編集段階でどの絵を使用するかを決めていくという、いわゆるカット割やカメラ割がない、極めて斬新な撮影手法で作られています。この手法の最大のメリットは、役者さんのお芝居を切らないことであり、画面の向こう側にある雰囲気や情感をダイレクトに映像に刻み付けることに成功していると思います。

一方で、カット割やカメラ割がないということは、ある面では最初から監督の思惑が介在していないも同然であり、監督が表現したいことのほとんどは役者さんのお芝居に委ねられているということになると思います。撮影準備段階でいかなる映像をもって最良のものとするかという周到な計算がない以上、ポスプロ段階に至って、監督にできることは、撮れた映像の中から最良のものを選び取ることだけであり、そこに妥協はなかったとはとても考えられないと思ってしまうのは素人考えでしょうか。龍馬暗殺のシーンに関しては、どのような手法で撮られていたのかをはっきりと判断することはできませんでしたが、少なくとも周到な計算の元に「絵作り」がなされたシーンではなかったのは確かだと思います。

そのような言ってみれば出たとこ勝負の撮影で何が撮れていたのかというと、果たしてあれは何が映っていたんでしょうか。申し訳ありませんが、あれは失笑ものの映像と言わなければなりません。私はあの映像を見て、頬が引きつり、次の瞬間、「水曜スペシャル・川口浩探検隊」のワンシーンを思い出し、失笑してしまいました。あのシーンは、探検隊が大蛇を発見して、カメラマンが混乱をきたし、何を撮っているのかわからなくなってしまった映像にそっくりでしょう。ようやくカメラが静止して、はっきりと映し出されたのは、すでに血まみれになった龍馬の姿であり、あれは探検隊のカメラマンが落ち付きを取り戻してピントが合ったら、きれいにとぐろを巻いた常識の範囲内の大きさの蛇がそこにいたみたいなパターンの映像に近いものがあると思いますが、いかがでしょうか。ちょっとたとえが古すぎて、誰にも共感してもらえない可能性がありますが・・・(^^;。

本編ではその後も、とにかく顔よりの絵をつないでおり、「状況」については何も見せておらず、結局、「あの瞬間」の何を描けたのかといえば、(カメラマンの?)混乱のみということになると思います。あえて言ってしまえば、このドラマの作り手は龍馬暗殺のその瞬間をもって何かを表現するということから逃げたんだと思います。細部については視聴者の想像にお任せしますといえば聞こえはいいですけど、あんな「ごまかし」以外の何ものでもない子供だましの映像を使われてしまっては、「何か」を期待してテレビに向かった視聴者を愚弄していると取られても仕方がないと思います。私はBS-hiで拝見しましたが、地上波ではあのタイミングでニュース速報(しかも選挙)が出たそうで、NHKは輪をかけて視聴者を馬鹿にしています。ただでさえどこを見ていいのかわからない映像だったのに・・・。

また、今井信郎および京都見廻組は、最終回にして突如として現れ、なんだかよくわからない動機を述べて、事に及んでおり、前回までにあれだけあらゆる勢力と人物が龍馬の命を狙っているかのような描写をしておいて、結局、京都見廻組単独犯のような描き方にしているのも到底納得いきません。私は前回、徳川慶喜にまで不敵な笑みを浮かばせているのを見逃していません。最終回を楽しみにしていたほとんどの人が、このドラマは龍馬暗殺の黒幕に言及すると思い込んでいたはずですが、このドラマの作り手は、ここでも結局、何も描かずに視聴者の想像力に委ねてしまったわけです。たとえば以前も取り上げたこのドラマにおける近藤勇という人物像についての脚色といい、徳川慶喜の将軍としての威厳や気品がまったく感じられない俗物ぶりといい、このドラマの作り手は史実や人物像の定説をやりたい放題捻じ曲げてきたのに、こと最終回に至って、このドラマ最大のクライマックスともなる史実を描くにあたっては脚本的にも演出的にも完全に及び腰になってしまったようです。

これで芸術祭参加とは笑止千万ですね。あんな白飛びしまくった映像が芸術とでも言うんでしょうか・・・。ビビる大木さんのお芝居自体は悪くはなかったとは思いますが、結果的にこのドラマの敷居を思いっきり下げてしまっているのも間違いないでしょう。

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タグ:大河ドラマ
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(6)流れ星 [ドラマレビュー]

『 流れ星 』
第6回
( 2010年 フジテレビ
 公式サイト
演出:石井祐介 脚本:臼田素子、秋山竜平
 出演:竹野内豊、上戸彩、北乃きい、松田翔太、稲垣吾郎

今週回をご覧になられた方なら、口をそろえてこうおっしゃるでしょう。

 「涼太に泣かされた」

私は桐山照史(きりやまあきと)くんをこのドラマを観るまで、まったく存じ上げなかったんですけど、正直ここまでできる子だとは思っていませんでした。今回は死が間際に迫った病人を完璧に演じきっていたと思います。私はそう感じさせる最大のポイントが表情の強張り方だと感じていて、顔の筋肉すらもうまく使えないのが死が迫った病人のリアルな姿でしょう。それでもマリアの前で必死に笑顔を作ろうとしている涼太に我々は心打たれてしまうわけです。

以下は私の想像ですが、彼は今回の涼太を演じるにあたって、1週間ぐらい粗食で過ごしたんじゃないでしょうか。あのリアルな唇の乾き様は、このシーンの数時間前から水も口にしていなかったのではないかと想像しています。そういう役作りの効果というものは、痩せたとか顔色が悪いとか目に見える表面的な部分だけに現れるものではなく、役者さんが病人という役柄に入り込むためにもそのような役作りの過程が存在していることがとても重要なんだと思います。想像の域を脱しませんが、見るものにそんなことを想像させてしまうような迫真のお芝居だったということだけは間違いありません。

このドラマの演出志向が、徹底して監督の自己主張を排除することで、俳優さんのお芝居を引き立て、物語を巧みに盛り上げているということにはこれまでも再三言及してきました。今回はそういうスタンスの演出が涼太の死をどうやって切り取ったのかということについて少し触れておきたいと思います。

涼太の死の描写は、肖像画を描いていたマリア(北乃きい)が涼太の病室を出たところから始まります。石井祐介監督はここから、一切の音をオフにしてやわらかい印象の劇伴を導入させ、スローモーションを基調とした映像で涼太の最期の瞬間を切り取っていきます。心臓マッサージを施される無表情の涼太、その場に立ち尽くして見守るしかない家族、救えなかった医師・神谷(松田翔太)の無力感が漂う背中、そして、ただただ涼太の無事を祈るマリアの姿・・・誰も感情を露わにしないし、ましてやこのシーンの登場人物の目には涙のかけらもないわけです。このシーンは言ってみれば逆説的表現で視聴者の涙を誘うことに成功しており、このあたりがこのドラマの演出が押し付けがましくない、自己主張しないと感じられる所以だと思います。

そして、続くシーンでマリアに亡き涼太からのビデオメッセージが届きます。私はこの時点では「あー、余命一ヶ月の花嫁パターンかぁ・・・」と若干の失望感を覚えてしまいました。しかし、携帯電話の画面に映し出されたのは、生前約束していた落語を必死に披露する涼太の姿であり、第1話以来のわかりやすすぎる伏線がここに結実しました。これは「手術を受けろ」などという直接的な言葉よりもよっぽどマリアの心に響くメッセージだったに違いなく、あふれるマリアの涙をもって本編中初めて涼太の死に対する直接的な感情が表現されます。また、ここに至って満を持して主題歌が導入されているところも見逃せません。これは脚本上も演出上も、とてもうまく「ため」が効いた悲しみの感情表現だったと思います。

前述のとおり、涼太が最期を迎えるシーンはあえて感情を抑制するような演出で成立しており、オフになった音の代わりに導入する音楽の存在はこのシーンの印象を決定付けるのに大きく貢献しています。このシーンでかかる女声が入った曲は、これまでも物語の要所で使用され、我々を画面に惹きつける役割を果たしてくれており、主題歌に次いでこのドラマを象徴する楽曲になっていると思います。

このドラマの音楽を担当する井筒昭雄さんのお名前は、ドラマでも最近よく目にするなとは思っていましたが、『ブラッディ・マンデイ』(TBS)や『ジョーカー 許されざる捜査官』(CX)など、ここ数年で多数のオリジナルサウンドトラックを発表しています。プロフィールを拝見すると、まだとてもお若いことに驚く一方で、ちょっと納得してしまったのは、音大出身ではないギタリスト上がりの作曲家であるというところです(井筒昭雄さんのプロフィールはこちらをご覧ください)。

これは個人的な好みの問題ですが、私はオーケストラを前面に出した劇伴があまり好きではなくて、映画やドラマの展開が盛り上がってきたところで、観る(聴く)ものの気持ちを煽るようなオケが主張してくると、ちょっとげんなりしてしまうことがあります。それゆえにクラシックからバッチリ作曲を勉強しているような音大出身の作曲家よりも、多種多様な音楽を聴いていてあまり型にはめて曲を作ることがないギタリスト出身の作曲家が作る劇伴の方に魅力を感じることが多いです。

余談ですが、このレビューを書くに当たって、井筒さんが作曲した『ブラッディ・マンデイ』(TBS)のテーマ曲を初めて聴いてみたんですけど、この方、『さまよう刃』のレビューでも少し触れた川井憲次氏の影響を多少なりとも受けているのではないかと感じています。打ち込まれている音の種類と数がとても豊富だし、「流れ星」とはまったく対極にあるような曲調で、やはり型にはめて楽曲を作っていないという印象を覚えました。ちなみに川井憲次氏も音大ではなく理系大学の出身です。

さて、今後のストーリー展開を占う上では、今回の終盤に登場した、修一(稲垣吾郎)が健吾(竹野内豊)と梨沙(上戸彩)の2ショット写真を二つに破り、健吾が写っている方を細切れにして海に捨てるという描写が大変重要な意味を持ってくると思います。修一の妹に対する変質的とも言っていい愛情と執着心はちょっとただ事ではなくて、今後も彼の常軌を逸した行動が目立つようだと、最終的に梨沙は、ズバリ修一の死をもって兄との決別を果たすということになると思います。前回も触れたとおり、修一がなんらかの改心をするという選択肢がほぼ絶たれている以上、この方面の収拾をつける方法は修一の死をもってするしかないと感じています。

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(5)流れ星 [ドラマレビュー]

『 流れ星 』
第5回
( 2010年 フジテレビ
 公式サイト
演出:宮本理江子 脚本:臼田素子、秋山竜平
 出演:竹野内豊、上戸彩、北乃きい、松田翔太、稲垣吾郎

今週は宮本理江子さんの演出でした。私としてはこのドラマのどこに注目しているかということになると、ストーリーもさることながら、宮本演出をじっくり拝見できることを最大のポイントとしています。 

相変わらず、ゆったりとしたカメラワークと広い絵、長回しを基調とした演出がとても心地が良いです。そのような小細工がない、それでいて緻密に計算された演出が役者さんのお芝居のポテンシャルを最大限に引き出し、それが結果的に登場人物の心情を巧みに掬い取っているということにはこれまでも再三触れてきました。今回はそんな宮本演出の効果を最も端的に読み取れるシーンがあったので紹介しておきます。

今週は、健吾(竹野内)の家族が抱える過去の事情がかなり明確になった回となりました。その中でも注目したいのが、健吾と彼の父との関係で、健吾は何らかの理由で父と仲違いをし、どちらかといえば憎しみに近い感情を父に対して持ち続けていたと考えられます。しかし、往々にして一方的な思い込みに基づく認識がそのような負の感情を増幅させることがあり、歳を重ねて人生経験を積むにしたがって、過去の出来事を冷静に見つめ直すことができるようになるものです。健吾の場合、過去を見つめ直すきっかけとなったのが、父の遺品であるコンパスだったということになるでしょう。

健吾はこのコンパスの存在をもって十数年越しで父の想いを知るわけですが、健吾は父の墓前に来たところで、突然そのことについての感慨に襲われます。宮本演出は、その瞬間を75秒という長尺のカットの中で切り取ろうとしています。

  A                           (34:31)
2010111701.jpg

Z.I.
 A'                           (35:46)
2010111702.jpg
 
  B                           (35:50)
2010111703.jpg
   
  C                           (35:57)
2010111704.jpg
  D                           (36:00)
2010111705.jpg
 

Aのカットは、途中手元のカットを2つインサートしてますが、始まりから終わりまで止まることなくゆっくりと健吾の顔にズームインしています。この間、竹野内さんは、

 ・ 初めて訪れたという父の墓を眼前にした複雑な心境から、
 ・ 父のコンパスを取り出して、父と過ごした日々を思い出し、
 ・ コンパスの裏に刻まれた文字を見て、父の自分への想いを知り、
 ・ 後悔の念と父に対する贖罪の念に駆られ、
 ・ あふれる気持ちを抑えられず、父の墓に歩み寄る。

までを75秒という時間の中でしっかりと演じきっており、大変見ごたえのあるカットでした。これを1カットで撮ろうとする演出は簡単にできそうでできないもので、別の角度からも表情を押さえておきたいというような演出家の欲のようなものが働いてしまいがちなところです。こういう肝の据わった演出を見てしまうと、私はついつい『おっぱいバレー』という映画の「演出上の愚行」を引き合いに出してしまうのですが、できる人のお芝居を監督が切り刻んでしまうことほど野暮なことはありません。監督にとって一番重要なことは、役者さんのお芝居を信頼することであり、そのような気持ちがあれば、ここぞと言うときは役者さんのありのままのお芝居を小細工なしで撮ることが最善の策であるという結論にたどりつくはずです。

そして、つづくBのカットで健吾の背中を見せることによって、長かったAのカットの余韻を表現すると同時に、視聴者に健吾の気持ちを汲み取る時間的余裕を付与しています。さらに、このBのカットは背後に近づいてきた梨沙(上戸彩)の視点でもあり、C~Dのカットにつながっていきます。このつなぎによって、我々は健吾の背中を見て何も言わずに立ち去った梨沙の気持ちをしっかりと汲み取ることができるわけです。これらのたった4つのカットで表現された感情の厚みと情報量の多さに、演出家と俳優さんの信頼関係が感じられるとともに、宮本さんの演出と竹野内さんのお芝居が見事に咬み合っているということを改めて認識しました。また、Aのカットが始まると同時に、バックに主題歌のピアノバージョンが始まるというところも心憎い演出です。

今回は終盤にも、もうひとつ見ごたえのあるシーンがありました。「オレンジ色の海」、本栖湖でのシーンは、主要な登場人物、4者4様の「家族」というものに対する想いが入り乱れる複雑なシーンでしたが、それぞれの想いの微妙な齟齬(そご)が巧みに表現されていました。このシーンは、前述のシーンとは違って複雑なカット割がなされているので、上記のように深く堀り下げることはできませんが、母・和子(原田美枝子)がマリア(北乃きい)に血のつながらない彼女を引き取ったときの想いを吐露する部分は、それぞれの表情を捉える2つのカットを切り返して成立しており、ここでもお二人のお芝居を切らない演出が施されています。

さて、ラストシーンでは梨沙の兄・修一(稲垣吾郎)がついに「住居侵入」という不法行為に及ぶ場面が描写され、彼の執念深い狡猾さが印象付けられており、この期に及んで「実はいい奴だった」的な流れは、ほぼ絶たれたものと言っていいでしょう。今後修一についての描写をそういうキレイ事でまとめるような流れになったとしたら、このドラマに対する評価をひとつ下げなければならないところです。やはり梨沙が兄との決別をもって、新しい人生に踏み出し、その隣には健吾がいる、というのが今後の大雑把な流れになりそうです。

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  • e97h0017e97h0017今週の『獣医ドリトル』に国仲涼子ちゃんがゲスト出演されていましたが、すごい美人さんと思ってしまいました。もともと童顔の方はとてもいい歳のとり方をしてきますよね。ちゅらさんもすっかり大人の女性です。お芝居もとても上手だし、NHKあたりに彼女主演のドラマを制作して欲しいところです。