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  • e97h0017e97h0017『聖なる怪物たち』第4話。落合正幸監督になってからドラマの印象がガラリと変わった。子供が2階に上がっていくシーンの絵本を絡めた演出は無駄に巧い。おばけで片付いてしまうんだから時間をかけた割に大した意味はないが、まるで「世にも奇妙な物語」だった。全体的にカットが細かすぎる感はある。 02/10 01:28
  • e97h0017e97h0017NHK『キルトの家』。久々の山田太一節が心地よい。若い人には書けない本。松坂さんと余さんの対比は最終的に互いを認知するところに到達する。現実に直面している社会問題に若い世代はどう対処するべきなのか。それはあらゆる価値観を認めることから始まる。根本は「許されている」という考え方だ。02/10 18:31
  • e97h0017e97h0017三浦貴大くんは観る度に芝居が上手くなっていく。山田太一脚本ということもあるのかもしれないが『ふぞろいの林檎たち』の中井貴一さんとイメージがかぶった。2世俳優というプレッシャーも気負いもなく、早くも「自分の芝居」を確立しつつある背景には、デビュー作で共演した中井さんの影響もあるか。02/10 18:31
  • e97h0017e97h0017渡辺謙さんが人生を変えたエンタテインメントは映画『ディア・ハンター』と答えておられた。ここに謙さんの映画に対する情熱の原点があると言われれば納得である。それと当然『キルトの家』をご覧になられていたようで、注目している若手俳優として瑛太くんの他に三浦貴大くんの名前を挙げておられた。02/11 00:17
  • e97h0017e97h0017「次回作は?」という問いを頑なにはぐらかそうとしていたのが印象的。プロデューサー的な役割を務めた作品が明日から公開だというのに次を語ってしまうのは確かに筋違い。考えてみると大変失礼な質問。それでも謙さんは冗談めかして質問をかわしていた。普段から「語る姿」が絵になる俳優さんである。02/11 00:17

(4)最後から二番目の恋 [ドラマレビュー]

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『 最後から二番目の恋 』
第4回
( 2012年 フジテレビ 公式サイト

演出:谷村政樹 脚本:岡田惠和 出演:小泉今日子、中井貴一、坂口憲二、内田有紀、飯島直子

ここまでは軽いコメディテイストを前面に出してきている本作ですが、
今回のラストシーンでは突如としてシリアスモードを放り込んできました。
真平(坂口憲二)が何らかの疾病を抱えていることが明らかになり、
それがこれまでの彼の言動の背景に存在していた可能性が出てきました。

そして、すっかり忘れていた桜貝の貝殻の存在・・・
第1話で和平(中井貴一)が海岸で拾い集めた貝殻を大事にビンに入れて保管してる様子が描かれていましたが、
亡き妻との思い出を象徴するアイテムであることを想像させるにとどまり、
これ以降、この貝殻は掘り下げられることはありませんでした。

それともうひとつ思い出しておきたいのは、
この桜貝の貝殻は和平が千明(小泉今日子)と初めて言葉を交わすきっかけとなったアイテムでもあり、
実はすでにこの二人にとっての思い出の品でもあるわけです。
この桜貝の貝殻に込められた意味を遡って共有できたとき、和平と千明の関係は新展開を迎えるでしょう。

コメディにあっても今回のラストシーンのような緊張感は重要です。
桜貝と真平の病気はそのままこのドラマの奥行きを示すものとなって行きそうです。

関連記事 : (11)最後から二番目の恋 (2012-03-24)
(9)最後から二番目の恋 (2012-03-15)
(8)最後から二番目の恋 (2012-03-08)
(6)最後から二番目の恋 (2012-02-23)
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(2)最後から二番目の恋 (2012-01-26)
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  • e97h0017e97h0017WOWOW「はやぶさ~遥かなる帰還」特番。当初からこれしか観るつもりはないのだが、期待に違わぬ出来であることを確信した。瀧本智行監督はオファーが来るまで「はやぶさ」の存在を知らなくて新幹線か何かの話だと思ったとか。映画監督と呼ばれる人たちはよほど浮世離れした生活をしているらしい。 02/06 22:57
  • e97h0017e97h0017「The long journey has just begun.」「イトカワ先生の名に恥じない・・・けったいな惑星だね」「はやぶさはイトカワの上で30分以上も長旅の疲れを癒していたんでしょう。きっと休養十分ですよ」実話ベースであっても、台詞やキャラクターは映画的で実に品がいい。02/06 22:57

麒麟の翼 [映画レビュー]

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(C)2012 映画「麒麟の翼」製作委員会

『 麒麟の翼 』
( 2012年 東宝 129分 )
監督:土井裕泰 脚本:櫻井武晴 出演:阿部寛、新垣結衣、溝端淳平、松坂桃李、中井貴一
          Official Wikipedia / Kinenote           
 

東野圭吾原作の映像作品全般に言えることですが、作品を褒めることは8割がた原作小説を褒めることと同義なので、あくまでも映画のレビューを書いてきた身としては、残りの2割の要素に言及しなければ映画の論評をしたことにならないと考えるのはあまりにも律儀でしょうか。これまでも多少は意識してきたことですが、今回はネタバレを回避する意味も兼ねて、ストーリーの核心的要素にできるだけ触れずにどこまで書けるか挑戦してみたいと思います。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

東野作品の映像化にあっては、映画、テレビを通じてこれまでほとんど駄作というものを目にしたことがありません。私はその中でも『容疑者Xの献身』(2008年 東宝)と『さまよう刃』(2009年 東映)を特に高く評価しているのですが、本作はこの2作品に堂々と肩を並べる出来であったということをまずは前提として述べておきたいと思います。ただし、そもそも著名な原作を持つ映画のストーリーが面白いのは当たり前なので、これはストーリーの評価ではなく、あくまでも映画作品としての評価であるということを再度確認しておきます。それでは著名な原作を持つ映画の評価が何で決まるのかと言えば、ほぼ「演出」であると言っていいでしょう。

TBSテレビの土井裕泰監督が超一流のディレクターであることは疑いようがありませんが、私は現在放送中の『運命の人』を観て、テレビドラマの演出家として円熟の域に達していると思うようになっています。ただテレビドラマの演出手法をそのまま映画に持ち込むことが必ずしも正解ではないということには、すでに『ハナミズキ』(2010年 東宝)のレビューで言及しました。しかし本作に対して『ハナミズキ』のレビューで書いたような理屈を当てはめるわけにはいきません。私は本作の演出には、多数のドラマと映画の演出を手がけてきた土井監督のキャリアが大いに反映されていると考えています。言ってみればドラマ演出と映画(的)演出のいいとこ取りをしたハイブリッド演出とでも言うべきもので、わかりやすさと映像装飾の両立に成功したという意味では、同様にテレビディレクターがメガホンを取った『容疑者Xの献身』と同等かそれ以上の評価を与えていいものと考えています。

本作の感動要素の大半が中井貴一さん演じる青柳武明の行動にあったということには、ご覧になられた多くの方に同意していただけると思います。私は、感動を呼ぶのはあくまでも彼の「行動描写」であって、彼の「心情描写」をできるだけ排除することが演出上重要だったのではないかと考えています。つまり、青柳武明の「行動の断片」から我々が能動的に彼の「心情の一端」を想像し、加賀恭一郎(阿部寛)の目を通して彼の「真意の全容」にたどり着くという仕掛けこそが本作演出上の肝だったと思うのです。

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青柳武明の行動の中でもぜひ取り上げておきたい一連の描写があります。青柳武明と彼の息子・青柳悠人(松坂桃李)が絡む回想シーンがいくつか存在しますが、それらのシーンとは、初出にあってはこの親子の関係性を示す「断片」に過ぎません。青柳悠人の回想として最初に登場するのが二人が最後に言葉を交わしたシーンで、息子を心配して声をかけた父親を無視して青柳悠人は2階へ上がっていきます。二つ目のシーンは遡って、青柳悠人が水泳部をやめたと告白した朝食のシーンで、水泳選手としての息子に期待をかけていた父親は声を荒げて説明を求めます。三つ目のシーンが父親が息子のパソコン画面を見てしまったシーンで、ただ事ではないものを感じ取った父親の憂慮の表情が印象付けられます。もちろんこれらは親子関係の複雑さを表現しているだけでなく、青柳武明の行動の真意を探る手がかりにもなっているのですが、ここに最終的にもうひとつの意味が付与されるところが優れた表現です。

終盤、加賀恭一郎が青柳武明の行動の真意を青柳悠人に語るシーンで、加賀は父親の命を救うチャンスはこれまでいくつもあったはずだと問い質します。このとき、青柳悠人の心のよぎったのが上記の3つシーンで、これらのシーンが繋がったとき初めて息子を想う父親の心情が浮き彫りになるのです。息子と必死にコミュニケーションを取ろうとしていた父親の気持ちを無視し続けていた自分の行動を振り返ったとき、彼は初めて取り返しのつかないことをしてしまったことに気が付くのです。父親と最後の会話をしたときに父親が掴んだ腕を振りほどいたその行動が父親を死に追いやったのかもしれない・・・そして、この事実に押しつぶされそうになる青柳悠人を救ったのが冒頭で描かれた父親の最後の行動だったわけです。

行動という「点」がひとつずつ段階を踏んで明らかになり、心情という「線」に姿を変えていく。そして繋がった「線」の最初に戻ってもう一度「点」という事実を反復し、今度は「太い線」を得る。本作の演出とはそのような「感動の増幅」を呼ぶ仕掛けだったのではないでしょうか。このセオリーは青柳武明の七福神巡りや事件当日の行動描写にも用いられており、本編を観終わった我々は、細切れになっている彼の行動を幾通りにも振り返る中で、質も量もまったく異なる感動を得ることができるのです。このことは本作が「名作」である証だと言ってもいいでしょう。

次に本作ストーリーの根幹を成す日本橋というロケーションの描写について言及してみたいと思います。日本橋が持つ歴史的意味と翼のある麒麟像がそこに据えられているという事実は、本作を語る上で欠かすことのできない要素のひとつであり、演出的には日本橋というロケーションをどのように物語に組み込み、どのように見せていくかということがとても重要な仕事であったことは間違いありません。日本橋が最初に登場するのは、青柳武明が凶刃に倒れた冒頭のシーンということになりますが、当然この時点では被害者が日本橋の麒麟像の前で倒れたことに何らかの意味があることすら我々は想像できません。ただし、被害者が息絶える最後の瞬間に折鶴を頭上に捧げたカットがスローモーションを使って印象的に挿入されており、このカットはその後我々が被害者の真意を汲み取ろうとする上で拠り所となる材料になりえます。

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それでは本編において日本橋がどのように描かれているのか思い出してみましょう。こちらも青柳武明の足取りと同様、その描写は断片的です。主なシーンを挙げると3つ。ひとつは死亡した容疑者・八島冬樹(三浦貴大)の恋人・中原香織(新垣結衣)が二人で上京してきた時のことを加賀に語った回想シーンで、二人は些細なきっかけから新天地で生きていく最初の地点を日本橋にしたわけです。つまり、中原香織の回想とは、そのまま日本橋というロケーションが元来持っている意味(=スタート地点)を示唆していることになります。

二つ目は事故で障害を負った吉永友之(菅田将暉)とその母親・吉永美重子(秋山菜津子)が水天宮参りの帰りに日本橋に立ち寄って麒麟像を仰ぎ見たシーンで、ここで初めて翼のある麒麟像に意味があることが明らかになります。演出的には、おそらくこれと同じシーンのものと思われる仰角のバックショットが序盤に短く挿入されていたのも見逃せません。これは序盤にあって、吉永親子の存在とともに麒麟像が何らかの意味を持っていることをほのめかす意図があったと考えられます。

三つ目は加賀が中原香織に八島冬樹の事件当日の行動を語ったシーンで、加賀は併せて日本橋の麒麟像が持つ翼の意味を中原香織に語ります。この時の彼女の台詞がとても印象的です。

 「でも、これじゃ飛び立てませんね・・・まるで私と冬樹君みたい」

この台詞には麒麟像を仰ぎ見るカットがかぶされていて、カメラは麒麟像から頭上の高速道路へパンします。先人が麒麟像に込めた意味など想像すらできないこの日本橋の現実は、日本人が忘れてしまった「大事なもの」を象徴しているかのようです。この直後に父親が残したメッセージを受け取るために青柳悠人が日本橋に姿を現すという流れは実によくできています。

このように日本橋および翼のある麒麟像に込められた意味は断片的かつ着実に明らかになっていくわけですが、本編のラストが優れているのは、その意味を明らかにしただけではなく、日本橋の麒麟像が本来持っていた意味と役割を取り戻したところにあると思っています。父親と麒麟像に見守られながら、青柳悠人はこの地から償いの人生へと旅立ち、中原香織は我が子とともに故郷へと旅立つ。そして、加賀恭一郎も・・・。麒麟像がそれぞれの旅立ちを見届けると、多くの人の「羽ばたき」を表現するかのように日本橋を俯瞰で捉える空撮映像に切り替わるのです。中原香織が「これでは飛び立てない」と表現した高速道路のわずかな隙間から麒麟像を捉える絵には、困難に見えても人間の気持ち次第で新天地に旅立つチャンスはいくらでもあるんだ、というメッセージが込められていたような気がします。ここまで主に仰角で捉えられてきた麒麟像が最終的に俯瞰に変わるところに何とも言えない余韻と解放感を得ることができます。

さて、本作はその重みのあるテーマ表現にあって、テレビドラマシリーズの延長線をうまく本編に引き込んでいる点も指摘しておかなければなりません。具体的には加賀恭一郎と彼の父・加賀隆正(山﨑努)の関係のことで、加賀は父親を看取った看護師・金森登紀子(田中麗奈)によって、生前の父親の心情に関する「大きな勘違い」に気付かされ、青柳武明が最後の瞬間に何を考えていたのかについて確信を得るのです。さらにストーリーの本筋を外れたところでも、テレビドラマの延長線は冴え渡っていました。私は、加賀恭一郎の従兄弟で警視庁捜査一課の刑事・松宮脩平(溝端淳平)が果たした役割は映画表現上とても重要だったと考えています。地味で重くなりがちな本作のストーリーに彩(いろどり)を添えていたはガッキーではなくて、実は溝端淳平くんだったような気がしています。加賀と松宮が聞き込み捜査に向かう時の複数のシーン、たこ焼きを食べるシーン、捜査会議のシーン・・・これらのシーンはストーリーが醸し出す一方的な緊張感を和らげる役割をうまく果たしていたし、あるいは逆に、新しい容疑者が判明して松宮が駅のホームに探しにいくシーンでは、線路上に飛び込む派手なアクションで緊迫感を盛り上げる役割を見事に果たしてくれました。青柳悠人の父親に対する心情を変化させたシーンも含めると、松宮を演じた溝端淳平くんが硬軟両端のバランスをうまく取ってくれていた点は高く評価しておきたいと思います。

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本作は、『容疑者Xの献身』のようにトリックを見せるというような派手さはないし、『さまよう刃』のように圧し掛かるような強烈なメッセージ性も一見しただけでは感じ取れません。本作がこれらの作品と一線を画するのは、事件の背景が「特殊ではない」という点だと思います。被害者の息子が通っていた中学校の教師のように、思い込みとそれに基づく誤った判断が大事件に発展する可能性を秘めているのは、我々が生きる市井も同じだと思います。また、被害者と彼の息子がコミュニケーションをとるチャンスはいくらでもあったのに、それをふいにしてしまっていたという事実とそのことが生み出す結果も、場合によっては我々のすぐ隣に存在していてもおかしくないものだと思います。日常に普遍的に存在する出来事にどのように対処するかによって、その後の生き方が大きく変わったり、変わらなかったりするのが人生なのかもしれません。本作は、主人公はもちろん主要な登場人物たちがその人生において経験してきた事柄の断片であったり、彼らが積み重ねてきた大小の悲哀といったものをひとつひとつ丁寧に掬い取ることによって、我々の心の中に強い共鳴を呼ぶことに成功しています。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★★(主題歌は近年の映画主題歌の中ではもっとも作品にマッチした楽曲だった)


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