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麒麟の翼 [映画レビュー]

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(C)2012 映画「麒麟の翼」製作委員会

『 麒麟の翼 』
( 2012年 東宝 129分 )
監督:土井裕泰 脚本:櫻井武晴 出演:阿部寛、新垣結衣、溝端淳平、松坂桃李、中井貴一
          Official Wikipedia / Kinenote           
 

東野圭吾原作の映像作品全般に言えることですが、作品を褒めることは8割がた原作小説を褒めることと同義なので、あくまでも映画のレビューを書いてきた身としては、残りの2割の要素に言及しなければ映画の論評をしたことにならないと考えるのはあまりにも律儀でしょうか。これまでも多少は意識してきたことですが、今回はネタバレを回避する意味も兼ねて、ストーリーの核心的要素にできるだけ触れずにどこまで書けるか挑戦してみたいと思います。

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東野作品の映像化にあっては、映画、テレビを通じてこれまでほとんど駄作というものを目にしたことがありません。私はその中でも『容疑者Xの献身』(2008年 東宝)と『さまよう刃』(2009年 東映)を特に高く評価しているのですが、本作はこの2作品に堂々と肩を並べる出来であったということをまずは前提として述べておきたいと思います。ただし、そもそも著名な原作を持つ映画のストーリーが面白いのは当たり前なので、これはストーリーの評価ではなく、あくまでも映画作品としての評価であるということを再度確認しておきます。それでは著名な原作を持つ映画の評価が何で決まるのかと言えば、ほぼ「演出」であると言っていいでしょう。

TBSテレビの土井裕泰監督が超一流のディレクターであることは疑いようがありませんが、私は現在放送中の『運命の人』を観て、テレビドラマの演出家として円熟の域に達していると思うようになっています。ただテレビドラマの演出手法をそのまま映画に持ち込むことが必ずしも正解ではないということには、すでに『ハナミズキ』(2010年 東宝)のレビューで言及しました。しかし本作に対して『ハナミズキ』のレビューで書いたような理屈を当てはめるわけにはいきません。私は本作の演出には、多数のドラマと映画の演出を手がけてきた土井監督のキャリアが大いに反映されていると考えています。言ってみればドラマ演出と映画(的)演出のいいとこ取りをしたハイブリッド演出とでも言うべきもので、わかりやすさと映像装飾の両立に成功したという意味では、同様にテレビディレクターがメガホンを取った『容疑者Xの献身』と同等かそれ以上の評価を与えていいものと考えています。

本作の感動要素の大半が中井貴一さん演じる青柳武明の行動にあったということには、ご覧になられた多くの方に同意していただけると思います。私は、感動を呼ぶのはあくまでも彼の「行動描写」であって、彼の「心情描写」をできるだけ排除することが演出上重要だったのではないかと考えています。つまり、青柳武明の「行動の断片」から我々が能動的に彼の「心情の一端」を想像し、加賀恭一郎(阿部寛)の目を通して彼の「真意の全容」にたどり着くという仕掛けこそが本作演出上の肝だったと思うのです。

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青柳武明の行動の中でもぜひ取り上げておきたい一連の描写があります。青柳武明と彼の息子・青柳悠人(松坂桃李)が絡む回想シーンがいくつか存在しますが、それらのシーンとは、初出にあってはこの親子の関係性を示す「断片」に過ぎません。青柳悠人の回想として最初に登場するのが二人が最後に言葉を交わしたシーンで、息子を心配して声をかけた父親を無視して青柳悠人は2階へ上がっていきます。二つ目のシーンは遡って、青柳悠人が水泳部をやめたと告白した朝食のシーンで、水泳選手としての息子に期待をかけていた父親は声を荒げて説明を求めます。三つ目のシーンが父親が息子のパソコン画面を見てしまったシーンで、ただ事ではないものを感じ取った父親の憂慮の表情が印象付けられます。もちろんこれらは親子関係の複雑さを表現しているだけでなく、青柳武明の行動の真意を探る手がかりにもなっているのですが、ここに最終的にもうひとつの意味が付与されるところが優れた表現です。

終盤、加賀恭一郎が青柳武明の行動の真意を青柳悠人に語るシーンで、加賀は父親の命を救うチャンスはこれまでいくつもあったはずだと問い質します。このとき、青柳悠人の心のよぎったのが上記の3つシーンで、これらのシーンが繋がったとき初めて息子を想う父親の心情が浮き彫りになるのです。息子と必死にコミュニケーションを取ろうとしていた父親の気持ちを無視し続けていた自分の行動を振り返ったとき、彼は初めて取り返しのつかないことをしてしまったことに気が付くのです。父親と最後の会話をしたときに父親が掴んだ腕を振りほどいたその行動が父親を死に追いやったのかもしれない・・・そして、この事実に押しつぶされそうになる青柳悠人を救ったのが冒頭で描かれた父親の最後の行動だったわけです。

行動という「点」がひとつずつ段階を踏んで明らかになり、心情という「線」に姿を変えていく。そして繋がった「線」の最初に戻ってもう一度「点」という事実を反復し、今度は「太い線」を得る。本作の演出とはそのような「感動の増幅」を呼ぶ仕掛けだったのではないでしょうか。このセオリーは青柳武明の七福神巡りや事件当日の行動描写にも用いられており、本編を観終わった我々は、細切れになっている彼の行動を幾通りにも振り返る中で、質も量もまったく異なる感動を得ることができるのです。このことは本作が「名作」である証だと言ってもいいでしょう。

次に本作ストーリーの根幹を成す日本橋というロケーションの描写について言及してみたいと思います。日本橋が持つ歴史的意味と翼のある麒麟像がそこに据えられているという事実は、本作を語る上で欠かすことのできない要素のひとつであり、演出的には日本橋というロケーションをどのように物語に組み込み、どのように見せていくかということがとても重要な仕事であったことは間違いありません。日本橋が最初に登場するのは、青柳武明が凶刃に倒れた冒頭のシーンということになりますが、当然この時点では被害者が日本橋の麒麟像の前で倒れたことに何らかの意味があることすら我々は想像できません。ただし、被害者が息絶える最後の瞬間に折鶴を頭上に捧げたカットがスローモーションを使って印象的に挿入されており、このカットはその後我々が被害者の真意を汲み取ろうとする上で拠り所となる材料になりえます。

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それでは本編において日本橋がどのように描かれているのか思い出してみましょう。こちらも青柳武明の足取りと同様、その描写は断片的です。主なシーンを挙げると3つ。ひとつは死亡した容疑者・八島冬樹(三浦貴大)の恋人・中原香織(新垣結衣)が二人で上京してきた時のことを加賀に語った回想シーンで、二人は些細なきっかけから新天地で生きていく最初の地点を日本橋にしたわけです。つまり、中原香織の回想とは、そのまま日本橋というロケーションが元来持っている意味(=スタート地点)を示唆していることになります。

二つ目は事故で障害を負った吉永友之(菅田将暉)とその母親・吉永美重子(秋山菜津子)が水天宮参りの帰りに日本橋に立ち寄って麒麟像を仰ぎ見たシーンで、ここで初めて翼のある麒麟像に意味があることが明らかになります。演出的には、おそらくこれと同じシーンのものと思われる仰角のバックショットが序盤に短く挿入されていたのも見逃せません。これは序盤にあって、吉永親子の存在とともに麒麟像が何らかの意味を持っていることをほのめかす意図があったと考えられます。

三つ目は加賀が中原香織に八島冬樹の事件当日の行動を語ったシーンで、加賀は併せて日本橋の麒麟像が持つ翼の意味を中原香織に語ります。この時の彼女の台詞がとても印象的です。

 「でも、これじゃ飛び立てませんね・・・まるで私と冬樹君みたい」

この台詞には麒麟像を仰ぎ見るカットがかぶされていて、カメラは麒麟像から頭上の高速道路へパンします。先人が麒麟像に込めた意味など想像すらできないこの日本橋の現実は、日本人が忘れてしまった「大事なもの」を象徴しているかのようです。この直後に父親が残したメッセージを受け取るために青柳悠人が日本橋に姿を現すという流れは実によくできています。

このように日本橋および翼のある麒麟像に込められた意味は断片的かつ着実に明らかになっていくわけですが、本編のラストが優れているのは、その意味を明らかにしただけではなく、日本橋の麒麟像が本来持っていた意味と役割を取り戻したところにあると思っています。父親と麒麟像に見守られながら、青柳悠人はこの地から償いの人生へと旅立ち、中原香織は我が子とともに故郷へと旅立つ。そして、加賀恭一郎も・・・。麒麟像がそれぞれの旅立ちを見届けると、多くの人の「羽ばたき」を表現するかのように日本橋を俯瞰で捉える空撮映像に切り替わるのです。中原香織が「これでは飛び立てない」と表現した高速道路のわずかな隙間から麒麟像を捉える絵には、困難に見えても人間の気持ち次第で新天地に旅立つチャンスはいくらでもあるんだ、というメッセージが込められていたような気がします。ここまで主に仰角で捉えられてきた麒麟像が最終的に俯瞰に変わるところに何とも言えない余韻と解放感を得ることができます。

さて、本作はその重みのあるテーマ表現にあって、テレビドラマシリーズの延長線をうまく本編に引き込んでいる点も指摘しておかなければなりません。具体的には加賀恭一郎と彼の父・加賀隆正(山﨑努)の関係のことで、加賀は父親を看取った看護師・金森登紀子(田中麗奈)によって、生前の父親の心情に関する「大きな勘違い」に気付かされ、青柳武明が最後の瞬間に何を考えていたのかについて確信を得るのです。さらにストーリーの本筋を外れたところでも、テレビドラマの延長線は冴え渡っていました。私は、加賀恭一郎の従兄弟で警視庁捜査一課の刑事・松宮脩平(溝端淳平)が果たした役割は映画表現上とても重要だったと考えています。地味で重くなりがちな本作のストーリーに彩(いろどり)を添えていたはガッキーではなくて、実は溝端淳平くんだったような気がしています。加賀と松宮が聞き込み捜査に向かう時の複数のシーン、たこ焼きを食べるシーン、捜査会議のシーン・・・これらのシーンはストーリーが醸し出す一方的な緊張感を和らげる役割をうまく果たしていたし、あるいは逆に、新しい容疑者が判明して松宮が駅のホームに探しにいくシーンでは、線路上に飛び込む派手なアクションで緊迫感を盛り上げる役割を見事に果たしてくれました。青柳悠人の父親に対する心情を変化させたシーンも含めると、松宮を演じた溝端淳平くんが硬軟両端のバランスをうまく取ってくれていた点は高く評価しておきたいと思います。

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本作は、『容疑者Xの献身』のようにトリックを見せるというような派手さはないし、『さまよう刃』のように圧し掛かるような強烈なメッセージ性も一見しただけでは感じ取れません。本作がこれらの作品と一線を画するのは、事件の背景が「特殊ではない」という点だと思います。被害者の息子が通っていた中学校の教師のように、思い込みとそれに基づく誤った判断が大事件に発展する可能性を秘めているのは、我々が生きる市井も同じだと思います。また、被害者と彼の息子がコミュニケーションをとるチャンスはいくらでもあったのに、それをふいにしてしまっていたという事実とそのことが生み出す結果も、場合によっては我々のすぐ隣に存在していてもおかしくないものだと思います。日常に普遍的に存在する出来事にどのように対処するかによって、その後の生き方が大きく変わったり、変わらなかったりするのが人生なのかもしれません。本作は、主人公はもちろん主要な登場人物たちがその人生において経験してきた事柄の断片であったり、彼らが積み重ねてきた大小の悲哀といったものをひとつひとつ丁寧に掬い取ることによって、我々の心の中に強い共鳴を呼ぶことに成功しています。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★★(主題歌は近年の映画主題歌の中ではもっとも作品にマッチした楽曲だった)


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コメント 6

Sho

素晴らしい!!! なんて素晴らしいレビューでしょう。
ネタバレを避けながらここまで充実したレビューをお書きになるには、
ずいぶん苦心されたのではないでしょうか。
密度の濃い、「この映画を見たい!!」と思わせられるレビューでした。

twitterもよいですが、やはりジャニスカさんの真骨頂は、長文のレビューにあると
勝手ながら感じております。
これからも、どうぞ様々なドラマや映画のレビューをお書きいただきたいと思っています。
by Sho (2012-02-05 10:24) 

ジャニスカ

Shoさん、ありがとうございます!
そんなに褒めてもらえるとは思いませんでした、、、(^^;。
作品を観ていない人には「観たい!」と、作品を観た人には「もう一度観たい!」と思ってもらえるレビューを目指しているので、そう思って頂けてとても嬉しいです。。。

もともと単純にストーリーをなぞっていくというようなレビューを書いてきたつもりはないので、
ネタバレを避けるという部分はそれほど苦労はしませんでした。
論点を演出に絞れば、おのずとこうなったという感じです。
時間はえらいかかりましたけどね、、、その分充実感もあります。

ちょっと「あとがき」的なことを書かせていただくと、
私はこの映画を観て今までに体験したことのない感覚を味わいました。
観終わった直後は、いい映画だとは思いましたが、
実は積極的にレビューを書きたいとまでは思っていませんでした。
映画を観た翌日だったでしょうか、本作の主題歌に興味を持ってYouTubeで聴いたんですね。
そしたら、涙がボロボロ落ちてくるんですよ。自分でもびっくりするぐらい。
(上の動画ではなくてこちらです。http://youtu.be/cEpJVjpxtXk
曲を聴きながら脳裏に浮かんだのはすべて中井貴一さんでした。
これはとんでもない映画だったんじゃないかとその時初めて気が付いて、
この未体験の感覚はどこから来るものなのかを掘り下げずにいられませんでした。
その中でたどり着いたのが本文に書いたような演出的意図です。

映画を観た翌日、主題歌を聴いている時に、
細切れになっていた青柳武明の行動が唐突に私の中で繋がったんだと思います。
彼の行動が繋がって初めて彼の心理が浮き彫りになったんだと感じました。
その感覚を「点」と「線」というちょっと抽象的な言葉で書きました。
この感覚を得るのにタイムラグがあるところが異色の映画だなと思います。
ぜひ多くの人に映画館でこの感覚を味わって欲しいと思っています。
私ももう一度観るつもりです。絶対にまた違った感動を得られるということを確信しているので。

最近はついついtwitterで済ませちゃっているところも確かにありました(^^;。
私もできるだけ本作のような長文のレビューを書きたいと思っているのですが、
まずはそう思わせてくれる作品に出会わないと始まりません。
140字の中に感想を簡潔にまとめるという作業もけっこう好きなので、
twitterとうまく使い分けていけたらと思っています。
まあ何にせよ、いい映画、いいドラマに出会いたい!それに尽きますね(^^)。

by ジャニスカ (2012-02-05 21:16) 

げん

ジャニスカさん、こんにちは。
『麒麟の翼』を観賞して、レビューを読ませていただきました。
ホント、ここ2ヶ月楽しみにしてたんですよ。
Shoさん、うまいことおっしゃいますね。
「真骨頂」―まさにその通りですね。

原作の素晴らしさが佳く映像化されていたと思います。
テンポが良くて飽きさせないのですが、もし原作を先に読んで
なかったら理解力の弱い自分はストーリーに着いていけなかっ
たかもしれません。

確かに言われてみれば、松宮脩平は光ってましたね。

―「地味で重くなりがちな本作のストーリーに彩(いろどり)を添えて
いたはガッキーではなくて、実は溝端淳平くんだったような気がして
います。」

とのレビューを読んでナルホドそうだったなとうなずいた次第です。

中原香織(新垣結衣)について注目されていたと思うのですが、言及
されておらず意外でした。

ラストの空撮映像があったお陰で、おっしゃる通り「何とも言えない余韻
と解放感」を持ちました。

人の人に対する思いについて考えさせられた、沁みる映画でした。

今後もレビューやtwitterを楽しみにさせていただきます。
by げん (2012-02-15 16:25) 

ジャニスカ

げんさん、コメントありがとうございます。
私は原作未読なのですが、この物語に込められているメッセージは複合的なのではないかと想像しています。
映画は我々がそれらを十分に感じ取れるだけの仕掛けが巧みに為されていたと思いますが、
一方で、一度観ただけですべてを読み解くにはこの物語は複雑すぎるのかなとも思います。
今回は公開から早い段階で映画を観てレビューを書いたので、他の方の感想に触れる機会が多かったのですが、
辛口な感想を述べている方は、この物語に込められたメッセージを正しく理解していないような気がしました。
中でも加賀恭一郎の「大きな勘違い」を深く掘り下げている方がほとんどいなくて、
その点が被害者の最後の行動に対する無理解に繋がっているように思います。
もっともこれは「赤い指」を観て(読んで)いないとわかりにくい仕掛けだったのかもしれませんが。
この映画は物語の本筋と外れたところにも世相を反映したメッセージがいくつも込められていると思います。
私は今週末2度目の鑑賞予定です。新たに何かを感じてきたいと思います。

溝端くんの地下鉄ホームのアクションシーンは、後で気が付いたんですけど、
走りながらホーム脇の列車非常停止ボタンを押してから線路上に飛び込んでいるんですよ。
あんなに冷静で勇気のある行動をできる人間っていますかね。実は超おいしい役ですよ(^^;。

ガッキーはすごくがんばっていたと思います。
彼女のことは阿部寛さんがいろんなところで褒めていたので、
私などが改めて言うこともないのかなと思いました。

2度目の鑑賞で何か感じるところがあったらTwitterで言及していきたいと考えています。
他の映画についてもまたコメントお待ちしております。。。

by ジャニスカ (2012-02-16 23:41) 

bjhccr9585

ジャニスカさんこんばんは。この映画、期待通りに感動しました。久々に2回観ました。原作は未読で新垣結衣目当てではあったのですが、この映画における最大の見どころは中井貴一さんだと思います。被害者でありながら、ここまで存在感がある役柄を演じることができる彼の演技力に脱帽です。神がかり的ですね。ジャニスカさん同様にしばらくは、中井貴一さんが頭から離れませんでした。ストーリーも親子の絆、恋人間での絆など、人が人を思う気持ちについて改めて考えさせられる素晴らしい内容だったと思います。
by bjhccr9585 (2012-02-17 21:25) 

ジャニスカ

bjhccr9585さん、コメントありがとうございます。
私はこの映画のテーマについて「絆」とか「人が人を思う気持ち」といった使い古された言葉で表現するのはもったいないかなと思っています。それらが人間が生きていく上で大事なものであるということは普遍的な感覚として理解できるものだし、それらをテーマにした著作物もごまんと作られてきました。この映画(小説)が優れているのはそれらのテーマを今という時代に適合させて表現している点で、この「今という時代だからこそ」という部分が本作のアイデンティティとでも言うべきものではないでしょうか。そういう意味で私は「この映画のテーマは複合的である」と申し上げました。本作の演出について「テレビ的だ」という評価が散見されますが、私は本作が意図するテーマの複雑性を考えると、テレビディレクターを起用した意義は大きいと考えています。テレビ的な手法を用いて、ある程度の「わかりやすさ」を担保しなければ、それこそ本作のテーマは使い古されたものにとどまってしまった可能性があります。

あくまでも映画をレビューするのが当ブログのポリシーですので、こういう物言いしかできないのをお許しください。この映画を「一般論」でまとめるべきではないと思いました。

by ジャニスカ (2012-02-21 00:15) 

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