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2012-07-19 00:01
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ジャニスカさん、おはようございます。
今朝、ジャニスカさんの「世の中には自分が知らないことの方が圧倒的に多いという認識を持ち続けなければならない。真実や正義を見出したと考えるのは人間の驕りだ。感情的で思慮の浅い意見表明は批判することが目的と捉えられても仕方あるまい。考え方も意見の仕方も常に謙虚でなければならない。絶対など存在しないのだから 」の言葉に接し、本当にそうだなあと思いました。
昨日、知人から「以前、あなたから○○と言われとってもさみしかった」と教えてもらいました。私は自分の浅い知識で、感想を述べ、その人にとてもさみしい思いをさせてしまっていたことに気づきました。ジャニスカさんの言葉がこころにしみます。
「究極的には人間の心の動きに「言葉」は不要なのかもしれない」とのジャニスカさんの言葉も、今に自分にとても響きます。
知らないことを知る努力はしたい。それでも知らないことばかりなのだとしみじみ思いました。
ありがとうございました。
by めい (2012-07-19 07:37)
めいさん、おはようございます。
一番知ることが難しくて、わかったようなつもりになってはいけないのが人の気持ちなのかもしれませんね。
言葉を発する側にも受け止める側にも必要とされるのが「想像力」だと思います。
本当の意味での気持ち(=真意)というのは言葉になりにくいですからそれを双方が補わなければならない。
めいさんは『はつ恋』をご覧になられましたでしょうか。
このドラマの主人公の職業が言語聴覚士というものなんですけど、
彼女がこの仕事を選んだ理由は、恋人の心無い言葉に深く傷つき「言葉の力」を思い知ったからなんです。
でも、十数年を経て再会した時、言葉とは裏腹にまったく別のところに真意があったことを知ります。
言葉って意味があるようでないし、意味がないようであるんですよね。
我々は日常的に言葉を想像力で補っているんだと思います。つまり、想像力が言葉に意味を与えている。
私が「究極的には」と書いた理由は、
コミュニケーションをとる者同士が互いを思いやる想像力さえ持ち合わせていれば、
もしかしたら言葉は不要になるのかもしれないと考えたからなんです。
このドラマの主人公は最終的に病に倒れるのですが、
残された彼女の父親、夫、初恋の人の関係は、彼女がいないからこそ終わらないのです。
彼女を(が)愛した二人の男の肩に父親が黙って手を置くと3人の気持ちが言葉を超えてつながります。
つなげているのは今は亡き愛する人への想いです。これがこのドラマのラストシーンでした。
高倉健さんが『あなたへ』という映画で共演した大滝秀治さんのお芝居について
こんなことをおっしゃっていました。
”「久しぶりにきれいな海を見た」大滝さんのこの短い台詞を、台本で読んだときは平凡すぎると感じていました。ところが、大滝さんがこれを発したとき、心の目をパッチリと見開かされたのです。脚本家は、すごい台詞を周到に書き込んでいました。そこに名優の魂が込められると、作品のテーマともいうべき重さと深さを持った言葉に生まれ変わる。”(日本経済新聞電子版5月18日発信号より)
言葉って、良くも悪くも「言葉以上のもの」を伝えるんだと思います。
ましてや発する側がその言葉に気持ちを込め、受け止める側が想像力を働かせれば、
そこにある情報量は無限にもなりうるかもしれません。
なんか取り留めのない話になりました(^^;
「言葉」と「想像力」・・・
私は人間が獲得したこの二つのツールをうまく使いこなせるようになりたいと思っています。
by ジャニスカ (2012-07-20 00:20)
ジャニスカさん、おはようございます。
ジャニスカさんの「言葉」と「想像力」のお話、もっとよく理解したくて、「はつ恋」観ました。
(一気に観てしまいました・・・連続ドラマの残念な観方ですね・・・)
ジャニスカさんの使われた「究極的には」の言葉と、私の受け取った意味は違っていたのだなと思いました。言葉を補っていただきありがとうございました。
「はつ恋」を観て、「憎しみ」「悔しさ」「嫉妬」「怒り」も「愛情」あればこそと感じました。
「彼女を(が)愛した二人の男の肩に父親が黙って手を置くと3人の気持ちが言葉を超えてつながります。つなげているのは今は亡き愛する人への想いです。」のジャニスカさんの言葉は人への希望の言葉のように思えました。
「言葉」には、その人の人生(歴史)がある、その言葉を発したときの状況と気持ちもある。
こうして、ドラマや映画、本と接し、「想像力」を磨いていきたいと思いました。
ありがとうございました。
by めい (2012-07-24 07:42)
めいさん、おはようございます。
「はつ恋」の感動を共有できて嬉しいです。。。(^^)
第7話のラストで、外泊した主人公が、努めて穏やかに振舞っていた夫に
「ごめんなさい・・・」
と何度も言うんですよね。この言葉を聞いて夫の態度が激変します。
私はこのドラマのひとつのテーマが、ここに集約されていたような気がしています。
主人公が初恋の人の言葉に深く傷ついたのと同じように、この「ごめんなさい」という言葉の響きは、
彼女の意図に反して夫の気持ちを深く深くえぐってしまったのです。
言葉って発する人間の意図を超えてしまうことがあるんだと思います。
それは人間が言葉とともに想像力を兼ね備えているからで、
良くも悪くも「言葉の外側」を感じることができてしまうんですね。
人間のコミュニケーションにおいて「言葉」と「想像力」は切っても切り離せないものなんだと思います。
「究極的には」という部分はちょっと飛躍しすぎたかなという思いも実はあります。
めいさんは、アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズを多少なりともご存知だったと記憶しているのですが、
このアニメの裏テーマは「宇宙に活動の場を広げた人間の進化」なんですよね。
アムロ・レイという主人公は「ニュータイプ(=新人類)」と呼ばれる一種の超能力者で、
戦場でガンダムというロボットを操る中で、その能力を覚醒させていきます。
そして、ララァ・スンという女性と戦場でまみえた時、
物理的な大きな隔たりがあるのにもかかわらす、互いの想いが通じ合ってしまいます。
ララァはもともとアムロのライバルであるシャア・アズナブルが育てたパイロットで、
シャアとララァの関係も特別だったはずなのに、シャアとの関係よりも
一度しか会ったことのないアムロとの心の繋がりの方がよっぽど深いものになってしまうわけです。
これこそがガンダムというアニメが表現しようとしていた「人類の進化」なんです。
私は大人になってからこれは単なるSFアニメの戯言ではないような気がしてきています。
つまり「言葉の外側を読み取る力(=想像力)」が新しい環境の中で研ぎ澄まされれば、
アムロとララァの関係だって十分にあり得ることなのではないかと思うのです。
私は最近、言葉を発するときに相手の想像力に期待することがよくあります。
つまり、「あえて全部を言葉にしない」ということです。
これは相手を選ばなければならないコミュニケーション方法でもあるのですが、
逆に言えば、これが成立する人間関係というのはより深く強固な繋がりだと思うのです。
また、これは映画やテレビドラマ、小説が日常的に用いている表現方法でもあります。
優れた作品とは、受け手に「想像力」を要求してくるはずです。
私はいつもそんな「作り手の要求」に応えたいと思いながら作品に向き合っています。
このブログを読んでくださっている方とも
そんな「言葉」と「想像力」を介したコミュニケーションができれば理想的ですね。
めいさんのおかげで「はつ恋」というドラマのテーマについて深く考える機会を与えていただきました。
こちらこそありがとうございます。引き続き一緒にいろんな作品に親しんでいきましょう。。。
by ジャニスカ (2012-07-26 23:41)