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リーガル・ハイ [ドラマレビュー]

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『 リーガル・ハイ 』
(2012年 フジテレビ=共同テレビ 全11回 )
演出:石川淳一 脚本:古沢良太 出演:堺雅人、新垣結衣、里見浩太朗、小池栄子、生瀬勝久

第9話を観終わった時点では、なんと言っても脚本はあの『鈴木先生』の古沢良太さんのオリジナルだから、てっきりこのドラマはコメディを捨てて、最終回に向けて畳み掛けてくるものと勘違いしてしまった。第9話のラストシーンで繰り広げられた、一般的に大勢を占めている価値観を根底から覆す主張と痛烈な社会風刺、さらに堺雅人さんの圧倒的なお芝居によって、絶対に表に出ることはないと思われていた心の奥底に眠っていた感情をえぐらてしまった視聴者の中には、もしかしたらこのような終わり方をもの足りないと感じている人もいるかもしれない。しかし、制作者が公言している通り、このドラマはコメディなのである。作り手にとっては、視聴者に一瞬でもコメディであることを忘れさせてしまったことは誤算だったのではないかと感じている。

振り返ってみると、このエピソードはシリーズ唯一、2回またぎの続きものであり、ラストシーンでは本当の意味での「戦い」が始まるという大きな広がりを視聴者に意識させてしまった。通常どおり1話で完結するエピソードであれば、シリアスモードがあっても必ず「オチ」を仕込んで最終的にコメディであることを印象付けてきた。しかし、古美門研介(堺雅人)と黛真知子(新垣結衣)が村の井戸水を飲むことによって、老人たちとの結束を強めるラストシーンでは、むしろ「本気」を印象付けてしまった。実はこのラストは、黛が体調を崩すことによって劣勢を覆すに至る重要な伏線であり、同時に「大オチ」に落とし込むための前フリでもあった。私は第10話のラストで黛をも欺く古美門のいつもの策略が明らかになった時点で、二重の意味で騙されたと感じた。ある意味では第9話のラストよりも衝撃的だったかもしれない。もう一度言う、このドラマはコメディなのである。

このドラマを構成する以上のような大前提を示した上で、あえてこのドラマが描いてきた裏テーマに言及してみたいと思う。本作が取り扱ってきた題材そのものは、痴情のもつれ、冤罪、著作権侵害、政治家の金銭問題、離婚訴訟、遺産相続、親子関係、公害訴訟・・・と、テレビドラマが扱うものとしては特に珍しいものではなかった。たとえば冤罪をテーマにした映画もあったし、離婚訴訟を専門に描いたドラマもあった。また、フジテレビが製作した『HERO』というドラマおよび映画は、主人公の検事が最終的に政治家の汚職を糾弾するというクライマックスに至る。そのほかの題材も「裁判もの」ではやり尽くされていると言っていいだろう。しかし、本作がそれらの作品と決定的に異なるのは、見かけ上の善悪・正誤を提示しても、最終的な結論を白黒で表現しないところである。答えは「グレー」の中に無数にあるというわけだ。その意味では裁判を通じて「結論」を表現してきた過去の法廷ドラマがやってきたことは陳腐なものにすら見えてくる。

ひとつ取り上げてみると、たとえばテレビドラマではやりつくされている「親子関係」を描いた第8話の結末は、未だかつて見たことがない性質のものだった。親子は何があっても一緒に暮らすべきだという主張に対して古美門が展開した主張は、親子が離れて暮らすという選択も時には必要だというものだが、これまでのドラマなら前者の主張で結論付けられてめでたしめでたしと言ったところだろう。このときの古美門の主張は彼自身の過去と経験に基づくものだけに、本作中唯一、単純な勝ち負けを超えた「熱」がこもっていた。なぜならこれは彼のアイデンティティ(存在)に関わる問題だからである。親子の血の繋がりは切っても切れないと言うが、それをあえて切るという選択はもしかしたら茨の道なのかもしれない。親の監視から解き放たれた子供がどういう道を辿るのかは誰にもわからないのである。古美門はこのことを身をもって知っていたはずだ。原告の子供が語った最後の主張がドラマの台詞の改変であることがわかったとき、視聴者の心には何とも言えない複雑な感情が芽生えるのである。これこそが「グレーな感情」に他ならない。善悪や正誤で物事を判断してそれを結論とするのではなく、物事を常にこの「グレーな感情」で見つめて、答えを探し続けることとが重要なのかもしれない。

本作が描いてきたテーマが持つもうひとつの側面は「社会風刺」である。これはすべてのエピソードに多かれ少なかれ盛り込まれていたと思うが、究極的には裁判そのものを皮肉っていたとも言えるかもしれない。古沢良太さんがおっしゃっていたことで特に印象に残っているのが、このドラマを通じて黛真知子の成長を描いている意図はないという旨の発言だ。古沢さんによれば、黛は最初から完成された弁護士だという。しかし、黛が古美門を超えようとする意思も構図も確かに描かれていたし、最終回でも古美門とともに戦った案件で獲得した人脈や知恵を駆使して、古美門を追い詰めていく。古美門の策略にはまった黛は、もう一歩のところで敗れるわけだが、結局のところ裁判の勝敗を決定付けるものとは紙一重だということが改めて印象付けられる。これはこれまでのエピソードでも何度も描かれてきた。つまり、弁護士が有するテクニックの優劣によって結果が左右されるのが裁判の本質だということになる。これを拡大解釈すれば、裁判で導き出された結論(有罪・無罪あるいは善悪)そのものには、大した意味がないということにもなる。

第3話において黛の裁判を傍聴した古美門は、負けたらクビにするという条件を反故にして、黛とともに仕事をしていくという決断をする。私はこの時の古美門が何を考えていたのかずっと疑問に思っていた。黛が古美門が持っていない何かを持っているからだということは想像できたし、第6話では古美門の前妻・圭子シュナイダー(鈴木京香)の言葉を通じて黛が持っているものが明らかになった。しかし、古美門にとって黛が持っているものがどれほどの価値があるのかということはよくわからなかった。なぜなら、黛が古美門のスタイルを吸収することはあっても、古美門が黛から得るものは何もないからである。彼はこれまでのやり方で裁判を勝ち抜いてきている以上、黛の手を借りる必要はないし、スタンスを変える必要もない。それでも古美門が黛を雇った理由とは、おそらく自分にないものを持っている黛に対する「敬意」が芽生えたからだと思う。もちろん古美門はそんな感情はおくびにも出していない。しかし、勝ち続ける一流の弁護士になりうるポテンシャルを黛に見出し、彼女を育ててみたいと思ったのは間違いないだろう。もしかしたら勝ち続けるプレッシャーから自らを解き放つために。

古美門が黛に見出したものを端的に言えば「理屈抜きで人の心を動かす力」なんだと思う。そして、古美門はそれをひとつのテクニックと捉えた。裁判を勝つためのテクニックである。実際、最終回において古美門を追い詰めたものとは、人間の感性に訴える黛の弁論であった。しかしそれだけでは勝てないということも改めて明らかになる。ただし翻って考えてみると、黛が古美門と同じだけの技量を身に着けたとしたら、おのずと古美門が持ち合わせていないこのテクニックを有している黛の方に軍配が上がるということになるだろう。裁判を判断する材料が等価値だった場合、最終的に判決を左右するのは「人間の心」である。法廷で通用するようなまともな理屈が整っていようがいまいが、人の心を動かした方が勝ちという状況はこの先いくらでもあるだろうし、実はこれは手段を選ばないという古美門のポリシーとも合致するのである。その意味では、黛は古美門をとっくの昔に超えているということになる。古沢さんが古美門も黛もそれぞれが一人の完成された弁護士であると評した理由はこのあたりにありそうだ。古美門が持っていて黛が持っていないものもあれば、その逆もある。紛れもなく二人の弁護士は対等なのである。

このドラマは、裁判とは真実を明らかにする場でも、正義を主張する場でもない、ということを言い続けてきた。そこにあるのは金や地位や名誉、プライドを守ろうとする人間の姿であり、裁判とは人間の営みを映し出す縮図なのである。ただし、これはあくまでもこのドラマが一方的な価値観を打ち破るために採用した「表現手法」でしかないので、必ずしも現実に即した概念とは言えないだろう。裁判で明らかになる真実もあるし、裁判で主張できる正義もあると思う。しかし、このドラマは我々に新しい物事の見方を教えてくれた。裁判や法が導き出した結論が絶対とは限らない。真実や正義を見出したと思うのは人間の驕りである。古美門の「最終弁論」にもう一度傾聴しよう。

最後に、今もって思い出し笑いをしてしまうラストについて。三木(生瀬勝久)が持っていた写真に写っているのが人間ではないということには薄々気づいていたが、前フリが長ければ長いほど、堺さんと生瀬さん、小池栄子さんの芝居がシリアスであればあるほど、このドラマがコメディであることを視聴者は思い出すことになるだろう。写真に写っているものを目にして、古美門と三木の確執の原因を知った黛は、当然思いつく次の疑問を沢地(小池栄子)にぶつける。

 「あなたは何なんですか?」
「私?私は男の喧嘩が好きなの」
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沢地の高らかな笑い声とこのシュールな絵が表現するこのドラマの顛末が今もって私の頭を離れない。裁判で明らかになる人間の営みよりもはるかに滑稽で愚かな人間どもがここにいたという、このドラマを締めくくるのにふさわしいオチであった。

(了)

  • e97h0017e97h0017フジテレビ『リーガル・ハイ』第1話。法律を駆使しなければ真実も追い求めない前代未聞のリーガルドラマ。まだぼやけてはいるが主人公のポリシーに筋が通っているのはなんとなくわかる。古沢脚本の生きた台詞回しは勢いだけではない、しっかりと実がある。今クール最高のドラマはどうやらこれらしい。04/23 19:52
  • e97h0017e97h0017初回からこんなに濃いキャラクターをきっちり作り上げてくるんだから、堺雅人さんは流石である。脚本家が魂を込めた台詞を一字一句殺すことなく、生き生きとした台詞に変えてしまう、超一流の技術を持っている俳優さんだ。新垣結衣ちゃんは主演よりもこのぐらいのポジションの方が持ち味を発揮できる。04/23 20:09
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第3話。古美門が初めて人間らしい振る舞いを見せた。黛の裁判を傍聴した彼が理屈をつけてクビにするのを止め、食事の希望を訊いた理由とは何だろう。黛の奮闘に心動いたということもあるだろうが、事はそう単純ではなさそうだ。もっとも彼の俗物ぶりは人間らしさの極みではあるが。05/07 23:40
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第4話。このドラマがやろうとしていることが見えてきた。社会正義VS金・・・ひとつの価値観が絶対だと思ってはいけない。古美門が黛にこれを理解させるためのペテンが痛快だった。「鈴木先生」の影響を多分に感じさせる。実は古美門の脅威となりうるのは「朝ドラのヒロイン」か。05/08 23:48
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第5話。小沢裁判と検察の捏造を取材した痛烈な古沢流社会風刺。金が集まるところは悪という国民の決め付けが政治の劣化を生んでいる。小沢擁護のプロットとも言えるが、それ以上に我々が政治に対する心眼を獲得するための材料を提供してくれている。ひとつの価値観が絶対ではない。05/18 21:00
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第6話。このドラマが見せようとしているものは事件でも裁判でもない。その背後でうごめく人間の営み、人間の思惑だ。夫婦の繋がりとは理屈ではない。これはそのことを知り尽くした二人によって繰り広げられた茶番なのである。最後に二人が手にしたメダルはまさに理屈を超えていた。05/25 22:47
  • e97h0017e97h0017堺雅人さんのお芝居に対応できる女優は鈴木京香さんぐらいのものだろう。見事なキャスティングだった。05/25 22:50
  • e97h0017e97h0017どうやら最終的に黛が古美門の脅威になるという筋書きは確かに存在している。古美門がある部分では黛に一目置いているらしいことは第3話で描かれた。そして今回は圭子がはっきりと彼女の潜在能力に言及した。黛が「持っているもの」とは何だろう。キーワードは「朝ドラのヒロイン」「赤毛のアン」だ。05/25 23:00
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第7話。傑作回である。法廷での争点を常に単純化して見せるこの脚本は、決して視聴者に理解を求めない。直感的な善悪を見せておいて最終的にグレーに落とし込む。アナログ的思考を求めるドラマだ。豊富に盛り込まれていた演出的遊び心は、いい意味で視聴者に考える余地を与えない。06/01 22:06
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第8話。サンタクロースをモチーフにした親子関係の話。重要なのは案件の本質をすべて見抜いてきた古美門が父親の真意には気づけなかったこと。サンタクロースを信じる黛の論法の方が親子の本質を的確に突いていたのである。黛が持っていて古美門が持たざるものとはこれなんだろう。06/08 21:42
  • e97h0017e97h0017現在発売中のエンタメ情報誌「オリ★スタ」にドラマ『リーガル・ハイ』出演中の堺雅人さんと新垣結衣ちゃんのインタビューが掲載されています。ストーリーや制作手法、役作りに深く突っ込んでいて、大変興味深い内容でした。こちらで一部をご覧いただけます。http://t.co/RKovCBfh 06/12 18:34
  • e97h0017e97h0017古美門の早口は完全に堺雅人さんのアイデアだそうでこの役作りには彼なりの深い意図と俳優としての強い思い入れがあるようです。今週は台本10ページにも及ぶ古美門の長台詞があるそうなので注目です。それと堺雅人さんが小池栄子ちゃんの落ち着いた芝居を高く評価していたのにはへぇーと思いました。06/12 18:41
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』の公式BOOKも発売中です。こちらには同い年だという堺雅人さんと脚本を担当している古沢良太さんの対談が載っていて、あまりの面白さに読み始めたら止まりませんでした。作品のことはもちろんその枠を超えて芝居やドラマ全体に対するお二人の感慨までディープに語られています。06/12 19:00
  • e97h0017e97h0017古沢さん曰くこのドラマには震災でクローズアップされた価値観(たとえば絆とか家族)に対するアンチテーゼという意味合いも込められているそうです。そういう標語や幻想だけで人間の営み切り取るのではなくて、もっと現実を直視した題材を見せた上で理想を語ろうというわけです。やっぱり深いですよ。06/12 19:08
  • e97h0017e97h0017あ、そうそう。堺雅人さんが面白いことを言っていました。このドラマの登場人物をアニメ「ヤッターマン」に見立てて、三木法律事務所の面々はドロンジョ、ボヤッキー、トンズラー、古美門と黛はヤッターマン1号・2号というイメージなんだそうです。となると服部さんはやっぱりヤッターワンですって。06/12 20:22
  • e97h0017e97h0017そういえば生瀬さんはリアルボヤッキーです(笑)。06/12 20:23
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第9話。古沢良太さんが公式本で語っていたことをここで放り込んできた。何時だって現実を直視するのは辛い。だからこそ安易な幻想に逃げ込もうとする人間の愚かしさ。ドラマを観て震えたのは『鈴木先生』以来か。まだ頭の整理ができていない。機会を改めて掘り下げなければと思う。06/13 01:33
  • e97h0017e97h0017同じフジテレビでもドラマチックサンデー枠が取り組んできた題材はいかにチープなことか・・・同じドラマの作り手としてSプロデューサーは感じるものがないのかな。彼女は性懲りもなく次クールもこの路線を追い続けるらしい。いやあの子役のエキスを搾り取ろうというわけか。それはそれで強かだがな。06/13 01:44
  • e97h0017e97h0017おっと、それすらも皮肉ってたのが『リーガル・ハイ』だった。06/13 01:50
  • e97h0017e97h0017『最後から二番目の恋』や『キルトの家』が切り取ろうとしていたものは紛れもなく「現実」だったんだと今にして実感する。06/13 01:58
  • e97h0017e97h0017『リーガル・ハイ』第10話。一瞬どうなることかと思ったが、しっかり規定路線に戻った。最終回は古美門と黛の対決を軸に進みそうだが、結論は勝ち負けではないような気がする。それよりも古美門と三木の確執の方が重要なのかもしれない。おそらく原因はくだらないことだろう。真実はコメディである。06/19 22:03


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むーにゃ

ジャニスカさん、お久しぶりです。
コメントは残しておりませんでしたが、いつも拝読させていただいておりました。

『リーガル・ハイ』 ただ面白いだけではなく、
これだけ、いろんなことを考えさせられた作品は、今までありませんでした。
物事は、すべてが“グレーゾーン”なのかもしれませんね。
その中で、しっかり見つめ考えていきたいと思いました。

それにしても、堺雅人さんは、素晴らしい役者さんですね。
感動を売りにしていないドラマで感動したのは初めてです。
by むーにゃ (2012-06-29 07:55) 

dotsuru

今クールのドラマで、結局全話見たのはリーガル・ハイだけでした。
最終話で、今までからんできた人たちにアドバイスをもらうシーンを見て、
今までの各話のシーンが走馬灯のように思い出され、
見逃さずに見てきてよかったと感じました(^-^)v

堺雅人さんは大好きな役者さんなのですが、
今回の作品で、さらに好きになりました。

あの長台詞を、早口でかまずに言える役者さんって、なかなかいないような気がします。
実際は、何回もNG出してるのかもしれませんが(^^;)
NG集があれば、是非見てみたいドラマでした。
by dotsuru (2012-06-29 12:23) 

ジャニスカ

むーにゃさん、こんにちは。
いつもご来訪ありがとうございます。

絶対的な価値観なんて世の中には存在しない、ということなんですよね。
だからあらゆる価値観を疑い、物事にグレーゾーンを見出さなければならない。
真実も正義も答えも見つけたつもりになってはならないと思います。

私は『リーガル・ハイ』は『鈴木先生』とほとんど同系統のドラマと考えていて、
脚本を担当した古沢良太さんの意識では『鈴木先生』の数字的失敗を挽回して、『鈴木先生』が
表現しようとしていたテーマを完成させたいという思いがあったのではないかと勝手に想像しています。
どんなに「いいドラマ」を作っても多くの人に観てもらわなければ意味がない。
多くの人に観てもらうためにはどうしたらいいのか・・・
そこで採用したのがコメディという手法なんだと思います。
これは『最後から二番目の恋』にも通じる発想だと思います。

近年のテレビドラマはコメディとそれに準ずるジャンルの進化が著しいような印象を持っています。

by ジャニスカ (2012-06-30 18:37) 

ジャニスカ

dotsuruさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですねー、ひとつとして不要なエピソードはなかったですね。
そしてすべてのエピソードの完成度が高い。

堺雅人さんの役作りには脱帽でしたね。
古美門の早口は自分で提案したことを後悔してるなんて冗談半分でおっしゃっていました。
古美門のヘアースタイルにも相当なこだわりがあったようだし、
前髪を指でかき上げる定番となっていた仕草も堺さんのアイデアだそうです。
古沢さんも古美門がこんな風になるとは思っていなかったとおっしゃっていたので、
古美門はほとんど100%、堺さんが作り上げたキャラクターと言っていいんだと思います。

それと堺さんの陰に隠れてあまり言われていないので言及しておくと、
新垣結衣ちゃんの成長も大いに感じたドラマでした。
そこには堺雅人さんの影響が多分に感じられて、堺さんの古美門を通じて
「役作り」がどういうことなのかを吸収した3ヶ月だったような気がしています。
私は法廷で黛が音痴に歌うシーンやものまねをするシーンを見て彼女の女優としての「計算」を感じました。
特に終盤は彼女自身のアイデアや工夫のようなものが随所に盛り込まれていたような気がします。
これまでの彼女のお芝居は「一生懸命さ」は伝わってきても「計算」はあまり感じたことがありませんでした。
役柄がそうであるように、結衣ちゃんのお芝居も堺さんと対等に渡り合っていたと思います。

私もお二人とも大好きな俳優さんです(^^)。

by ジャニスカ (2012-06-30 19:06) 

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