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  • e97h0017e97h0017『結婚できない男』大幅にカットされた最終回。やはり『最後から二番目の恋』がこのドラマの影響を受けているのは間違いない。もっともテーマそのものは決定的に異なるわけだが、男女の距離感の描き方はどちらも絶妙である。特に二人が他愛のない会話をするラストの余韻はほとんど大差ないように思う。05/30 01:54
  • e97h0017e97h0017『もう一度君に、プロポーズ』第6話。ちょっと本が雑になってきた。桂と可南子の弟の接点を生むやり方は稚拙すぎる。そこにドラマを作るのが脚本家の仕事だろう。一方で波留の母親の存在を意識させることでストーリーに奥行きが出てきた。波留は父親の助言に基づいて究極の原点に回帰する決断をした。05/30 20:05
  • e97h0017e97h0017『鶴瓶の家族に乾杯』ゲスト武井咲。この子はいい意味で「他力本願」なところがあって、緊張感を自分一人では決して背負わない。ありのままの自分を思い切って周りに預けてしまえる度胸がある。それが何ものにも染まれる柔軟さにつながっているような気がする。言うまでもなくこれは女優の素養である。05/30 21:49
  • e97h0017e97h0017『クレオパトラな女たち』第7話。急にテーマが「蜜の味」とオーバーラップし始めた。その意味でこのドラマの結末は明らかだ。まずいパスタを無理して食す自分に父親が語った男女の理屈が重なると峯太郎はもはや自分の気持ちを否定できなくなる。両親の生き方を認めた時、彼は市井先生を愛するだろう。05/31 00:01

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ぴあの

こんばんは。
短い文章の中に言葉の意味が凝縮されたジャニスカさんの記事、いつも自分なりに読み取ろうと試みています。
「もう一度君に、プロポーズ」観ています。
主演お二人の細やかな演技が光るだけに、その他の主要人物の話の展開がどうしても安っぽく見えてしまい、残念に思っています…。
観る側の感じ方が人それぞれなのは承知の上で、(素人なのでドラマが作られる仕組みなど全くわかりませんが)ドラマを作る側の人が、本当の意味での良い作品を作ろうとする気持ちがあるのか、知りたいです。
作品の出来によっては、思い入れを持ってドラマを観ている視聴者だけではなく、素晴らしいお芝居をした俳優さんたちまで裏切ることになってしまいますよね。考えすぎでしょうか…。
by ぴあの (2012-05-31 21:07) 

ジャニスカ

ぴあのさん、はじめましてこんばんは。
私の文章から何かを感じ取ろうとしてくださってありがとうございます。
140文字って工夫次第で感じていることを正確に伝えられる(すべてとはいかないけれど・・・)
ギリギリの線だと思だと思っていて、私はTwitterに他の方とは違う魅力を見出してしまっているようです。
どれも時間をかけて私なりに試行錯誤した文章ですので、
読者の方に文章に込めた意図を汲み取ろうとしてくださることはとても嬉しいことです。

「もう一度君に、プロポーズ」についてですが、
私はけっこう早い段階でこの作品のクオリティを見切ってしまっているところがあって、
もちろん悪いドラマだとは思いませんが、最終的に大絶賛するようなドラマになるとも思ってません。

>ドラマを作る側の人が、本当の意味での良い作品を作ろうとする気持ちがあるのか

この疑問について真正面から答えれば、作り手は良い作品を作ろうとしている、と思います。
ただ作り手が思い描く「良いドラマ」と視聴者が考える「良いドラマ」が同じとは限らない、
という問題は確実にあって、そのギャップを埋められるかが作り手の手腕ということになると思います。

よくドラマの出来を脚本家のせいにする方がいますが、あれは完全に的外れな論調なんです。
一部のベテラン脚本家はそういう批判も甘んじて受けなければならないと思いますが、
このドラマのように実績のない方が脚本を担当している場合は、
その矛先はプロデューサーに向けられるべきだと思います。

ぴあのさんは前クールの「最後から二番目の恋」というドラマをご覧になりましたでしょうか。
このドラマの主人公の職業がまさにテレビドラマのプロデューサーなんですが、
このドラマの中でも描かれていたとおり、出来上がった脚本に一番最初に目を通すのは彼らなんです。
プロデューサーが気に入らなければ何度でも直しをやらされるのが脚本家という仕事であり、
プロデューサーが脚本にゴーサインを出さないと絶対に撮影は始まりません。
私は本文のツイートで取り上げた登場人物の接点を作るシーンを観たとき、
このドラマを作っている人はこういう稚拙なやり方を許容してしまう人たちなんだと感じました。
本文のツイートでは「脚本家」という言葉を出してしまったのですが、
脚本家に仕事をさせていないプロデューサーがいるということも併せて言っておかなければなりません。

第4話の冒頭だったでしょうか。
蓮沼が突然姪っ子を連れてきて波留と可南子に預けて帰ってしまったシーンがあったと思います。
途切れかけた二人の関係が、これによって繋ぎ止められるという意味があったわけですが、
第3話のラストが素晴らしかっただけに、私は前回とのトーンの落差に狐につままれた思いでした。
ちょっと唐突すぎますよね。こんなのいくらでも伏線を張る余地はあったはずなんです。
でもこのドラマの作り手は、視聴者がこのギャップに対応できるかを深く考えずに工夫を怠ってしまった。
私はこのシーンを観て、このドラマはやっぱり森安Pのドラマなんだなと思ってしまいました。
これ以降、私はこのドラマを一歩引いた所から観るようになっていて、
ドラマの世界にどっぷり引き込まれることがなくなってしまいました。
それは作り手の手抜きとは言いませんが、少なくとも彼らの感性の一端が見えてしまったからです。

回りくどい言い方になりましたが、ドラマの出来を左右するのはほぼプロデューサーの力量なんです。
このドラマがわれわれ視聴者が納得するドラマになるかどうかは、
プロデューサーが視聴者の感性にどれだけ寄り添えるかだと思います。
しかし残念ながら、今回と第4話の荒技を観ている限り、
このドラマのプロデューサーの感性と力量は大変おぼつかないものがあります。

なんか悲観的な論調になってしまって申し訳なかったのですが、
私は竹野内豊さんと和久井映見さんのお芝居だけでも十分にこのドラマを観る価値はあると思っています。
それと私は倉科カナちゃん演じる吉城桂というキャラクターの描き方を高く評価していて、
カナちゃんも上手ですし、我々が十分に感情移入しうる存在になっていると思っています。
今後、波留に思いを伝えることになるでしょう。
また、波留の実の母親の存在が終盤にかけて重要な要素になってくるのは間違いありませんし、
ストーリー的なみどころと方向性ははっきりしているので、
それなりのモチベーションをもってこのドラマを見守るつもりでいます。

・・・と必死にフォローしてみたのですが、作品の出来は結果論なので、
ぴあのさんの杞憂は私には如何ともしがたいというのが正直なところです。
ただ、竹野内豊さんと和久井映見さんがこの役と真剣勝負しているのは間違いないことなので、
お二人の想いに応えられるよう、我々も彼らのお芝居と真剣勝負しなければならないと思います。


あー、全体的につまらないことを書いたかもしれません、、、ごめんなさい、、、

by ジャニスカ (2012-06-01 00:20) 

ぴあの

ジャニスカさん、こんばんは。
私の疑問にお時間を割いてお答えいただき、ありがとうございます。
何度も読み返させていただきました。
おかげさまで、混乱した頭が整理でき、何だかすっきりしました。
「最後から2番目の恋」大好きで観ていました。
キョンキョンが脚本家を怒鳴りつけたり頭を抱える場面、覚えています。
でも、プロデューサーが作品の質を左右するとまでは思いませんでした。
プロデューサーの力量だったのですね。
責任重大…ですね。
このドラマでは、ジャニスカさんのおっしゃるように、ある回では言葉にならないほど感動したかと思うと、次の回でドスンと落とされたり…、6話のような、思わず早送りしたくなる場面があるかと思えば、波留と可南子(父も)の場面では相変わらず心を持っていかれ…。
放送が終わると混乱してしまい、ストーリーには入り込めず、ストーリーの外でのモヤモヤ、イライラと一週間闘わなければなりませんでした。
そうまでしてこのドラマにこだわる訳は、もうバレバレですが「流れ星」以来の竹野内ファンだからなのですが…
「流れ星」のような名作の中で、健吾を演じ切った竹野内さんに衝撃を受けただけに、自分で勝手にドラマに対するハードルを上げてしまったのかもしれません。
私も、ドラマ自体には少し冷静になって、竹野内さんと和久井さんのお芝居に浸りたいと思います。
長々と失礼しました。
by ぴあの (2012-06-02 00:09) 

ジャニスカ

ぴあのさん、こんばんは。
このドラマを楽しもうとしている方にちょっと野暮なことを申し上げたかもしれないと
いささかの危惧の念を抱いていたのですが、スッキリしていただけてよかったです。

私は毎クール、「ドラマ期待度ランキング」というのを作成しているのですが、
これはほぼプロデューサーと脚本家の名前を見て順位付けしたもので、
実は私がこのドラマの期待度を低くした最大の理由は、プロデューサーの名前にありました。
私は森安Pのドラマに感動したことがないので、本来なら無条件で観ない選択をしていたのですが、
やはり竹野内豊さんと和久井映見さんのお芝居を見たくなって第1話を観ることにしたという経緯があります。
第4話の冒頭を観た時は「あー、やっぱり」という気持ちでした。
このプロデューサーは視聴者の気持ちを平気で置き去りにしちゃう方なんですね。

このドラマのプロデューサーは単独で、脚本担当者も実績のない方ですから、
これはほぼ森安Pが持ち込んだ企画だと思うんです。(似たような映画が公開中で驚いたのだが…)
その意味でもプロデューサーの責任は重大だし、彼女の感性がストレートに作品に表れてしまう。
つまり、我々はドラマを通してプロデューサーの感性を見ているに等しいのです。

「最後から二番目の恋」の中で千明が「こんなドラマを作りたい」と熱弁するシーンがあるのですが、
ああいう作り手の熱意というものは確実に作品に表れてくるものだと思います。
逆に「この程度でいいだろ」みたいな作り手の邪(よこしま)な考え方も正直に表れてしまう。
だから、店員がぶつかってお酒こぼして「あなたは・・・」みたいなのは馬鹿にされた気分ですよ。
こんなのを見せられてしまうと否が応にも冷静になっちゃいますよね。

すいません、、、ぴあのさんのコメントに甘えて
私自身のフラストレーションを発散させてしまいました。
昨日の回も正直なところ「・・・」だったのですが、
私もこのドラマに何らかの価値を見出したいと思います。

by ジャニスカ (2012-06-02 01:48) 

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