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雨にキッスの花束を - 今井美樹 [音楽]


今井美樹
『雨にキッスの花束を』
作詞:岩里祐穂 作曲:KAN 編曲:佐藤準
( 1990年8月29日 / アルバム『retour』収録 / フォーライフ )

          Official / Wikipedia  Words          

私がテレビドラマの中の女優さんに初めて恋をしたのは中学生の頃で、
『同・級・生』(1989年 フジテレビ)で見せる安田成美さんの困り顔にドキドキしていたのをよく覚えています。
同時期に『思い出にかわるまで』(1990年 TBS)で主演を務めていたのが今井美樹さんで、
私が映画やテレビの中でお芝居をする「女優」という仕事の存在を意識し始めたのがちょうどこの頃だったのかもしれません。
だからなのか、私は今井美樹と言えば、歌手と言うよりも女優さんというイメージが強くて、
もちろん『YAWARA!』(1989-1992年 読売テレビ)というアニメは毎週欠かさず見ていたんですけど、
この『雨にキッスの花束を』を今井美樹さんが歌っていたことをはっきりと認識したのはだいぶ後だったような気がします。

上で挙げた作品群はちょうどバブル景気の全盛期に制作され、
いわゆるトレンディドラマというジャンルが確立された時代でもあります。OLがそんなマンションに住めるか!という・・・(^^;
振り返ってみると、時代の空気感を反映した作品が多くて、映画やドラマというものは時代を映す鏡であることを実感します。

この『雨にキッスの花束を』も、「女性の幸せ」をストレートに表現したどこかお気楽さを感じる詞で、
それこそトレンディドラマのワンシーンを髣髴とさせるようなストーリー性があって楽しいし、
曲もアレンジも底抜けな明るさを感じさせ、やはり時代が表れている楽曲です。作曲はなんと当時まだ無名のKANさんで、
このアルバムが発表された直後に『愛は勝つ!』が大ヒットするという曰くのある曲でもあります。
今思えば、KANさんは大事MANブラザーズバンドと並んでバブル時代を象徴するアーティストですね。
バブル景気の功罪はいろいろあるとは思いますが、文化的にはとても健全な時代だったのではないかとしみじみ思います。

実は私は歌手としての今井美樹さんに興味を持ったことはまったくありません。
今井美樹さんは、ご結婚の前後でしょうか、
ある時点から突然「歌手らしさ」「アーティストっぽさ」を前面に出してきたような印象があって、
言い方は失礼かもしれませんが、「今井美樹というブランド」に酔いしれているかのような歌い方に感じられます。
正直なところ、私は今井美樹さんの「私巧いでしょ」的な歌い方は好きになれません。

それでもこの曲に魅力を感じるのは、あの時代が反映されているほかに、
当時の今井美樹さんが持っていた魅力のひとつである「自然体」がその歌い方によく現れているからだと思います。
歌でもお芝居でも、「自然体」は当時の今井美樹さんの大きな武器だったはずで、
いい具合に力が抜けた歌い方があの時代が持っていた「能天気なお気楽さ」を表現するのに大きく貢献していると思います。

これは歌に限ったことではありませんが、「巧さ」だけが人を惹きつける要素ではないと思います。
プロならば巧いのは当たり前。真のプロに求められるものは「表現力」だと思います。
表現力とは、何かを伝える力です。そして、アーティストが伝えるべきことは自分が持っている技術ではありません。

この曲を巧く歌おうとするとどういうことになるか、参考までにこちらをお聴きください。
強いて言えば、初音ミクが一番聴けるという皮肉・・・


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Sho

ジャニスカさんと夜を徹して話をしたくなりました・・(笑)
まさかこの曲が登場するとは思いませんでした。カテゴリーとしては、時期的に同じ「幸せになりたい」という曲と同じかなと思います。
おそらくジャニスカさんの御指摘と重なる部分があると思うのですが、非常に多くの人が言うように、私も「歌手としての今井美樹」は布袋さんと出会う前の方が「遥かに!」好きです。
人間ですから考えや目指す方向が変わってくることはあると思いますが、
「周りの人たちが自分に期待していることと、自分がしようとしていることが違っている」
といわれ布袋さんとの楽曲に力を入れられると、なんだか自分の好きだった今井美樹はなんだったんだろう・・と、寂しい気持になっていました。

で、彼女は歌手としてもとても良いものをもっていると思います。
でも、わたしは「ジュビア」までしか興味が持てませんでした。
女優としても良いものを持っていると思います。
なので、ジャニスカさんが書いておられるように「頑なに女優をしなくなっていた」のは
もったいないなとも思うし、やっぱりなんか寂しいな・・と思います。

いろいろ当時を思い出したり、大変興味深く、又楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。
by Sho (2011-05-15 19:58) 

ジャニスカ

Shoさん、こんばんは~。
先日、たまたまラジオでこの曲を聴いたら、無性に郷愁に駆られてしまいました(^^)。
Shoさんは世代的に今井美樹さんが「自然体」で輝いていた時期をよくご存知なんですね。
私は、この曲と「PIECE OF MY WISH」と「PRIDE」しか知らないぐらい
歌手としての今井美樹さんに興味がないのですが、Shoさんが抱いている感慨には少し思うところがあります。

勝手な推察なんですけど、今井美樹さんはもともと「アーティスト志向」がとても強い方だったんだと思います。
音楽で言えばポップス、女優としてはトレンディドラマのような大衆娯楽では飽き足らない、
芸術家のような完璧主義者で、ある時点から大衆文化に背を向けたのが今井美樹なのではないでしょうか。
あれだけ大衆の支持を得たのに、それをバッサリ切り捨てるほどの「我」は、芸術家のそれだと思います。
もちろん布袋寅泰さんとの出会いも大きかったと思いますが、
布袋さんとの出会いで今井美樹さんの考え方や目指す方向性が変わったというよりも、
もともと持っていたアーティスト志向がむくむくと沸き起こってきたというのが本当のところだと思います。

もしかしたら我々が自然体だと思っていた今井美樹は、
彼女自身、相当な無理をして作っていたものかもしれません。
芸能界って我々が思っている以上に「虚構」で成り立っていて、
広告代理店やテレビ局、有力芸能事務所のさじ加減ひとつで、
CDを売ったり、高視聴率ドラマを生み出すことって可能なんですよね。バブルのころは特に。
本文に書いたこととも繋がってきますが、あの今井美樹は時代が作り上げたものとも言えるかもしれません。

そんなことを私が考えたのは、以前、竹内まりやさんのドキュメンタリー番組を見て、
今井美樹さんと竹内まりやさんの姿が重なったからなんです。
ちょっと長くなるので割愛しますが、要はシンガーソングライターとしての竹内まりやが
いつの間にか、今で言うところのタレント化してしまったということなんです。
「本当の自分」と「作り上げられた自分」に大いに苦悩したとおっしゃっていました。
そんなときに出逢ったのが山下達郎さんで、「自分らしさ」を理解し、引き出してくれたのが山下さんだったと。
これって、そのまま今井美樹さんに当てはまると思うんですよね。

本文を書くにあたって、今井美樹さんが歌っている動画を少しばかり拝見したのですが、
若々しくて、歌は巧いし、声も綺麗だけど、やっぱり私には「それだけのもの」にしか見えませんでした。
歌唱力+美声+布袋さんの楽曲=?
答えがあるのかもしれませんが、凡人の私にはわかりません。
答えがなくて完結しているとすれば、それこそある意味「芸術の域」だと思います。
たまたまNHKの「SONGS」という音楽番組で今井美樹さんのアルバム制作の現場を見たんですが、
すごいストイックに音作りに取り組んでおられました。
私はその姿を見て、彼女はもう大衆に寄り添うことはないんだと思いました。
竹内まりやさんが我々の元に戻ってきてくれたように、今井美樹さんも戻ってきてくれるかなぁ・・・

長くなりました、、、
こんな私的考察で、Shoさんに納得してもらえるかどうかわかりませんが、
気休めにでもなってくれたら嬉しいです(^^)。

by ジャニスカ (2011-05-16 20:41) 

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