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おにいちゃんのハナビ [映画レビュー]

おにいちゃんのハナビ [DVD]

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おにいちゃんのハナビ

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おにいちゃんのハナビ
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『 おにいちゃんのハナビ 』
( 2010年 ゴー・シネマ 119分 )
監督:国本雅広 脚本:西田征史 出演:高良健吾、谷村美月、宮崎美子、大杉漣
          Official Wikipedia / Kinejun          

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(C)2010「おにいちゃんのハナビ」製作委員会

Dear Friends』(2007年 東映)のレビューで、病気を取材した映画の分類を試みたことがあります。私は本作を観て、それがとても回りくどくて理屈っぽい考察であったことに気がつきました。この種の映画を2種類に分けるのは確かに可能なのかもしれませんが、そのことはもっと単純にこう説明されるべきでした。つまり、同じ病気を取材した映画でも、感動がただ単に「悲しみの涙」で成立する作品と、感動が「前向きで爽快な涙」で成立する作品の2種類があって、どちらが最終的な感動のベースに存在しているのかは、その作品の印象を真逆のものにも変える大変重要な要素になると思います。本作は後者であって、この種の「前向きな涙」の本質を捉えるならば、「家族の再生」という言葉で表現できるかもしれません。これと似たようなテーマが『幸福な食卓』(2007年 小松隆志監督)や『トウキョウソナタ』(2008年 黒沢清監督)といった映画で描かれていましたが、これらの作品の場合、最終的に我々の感情に圧し掛かるのはその強烈なメッセージ性であり、それに対して本作は、我々の感情を解き放つような前向きな余韻を残す作品と言うことができると思います。

本作のテーマの一要素が「家族の再生」だとして、その表現手法を振り返ると、序盤から描写される引きこもりの主人公・須藤太郎(高良健吾)とその父親・須藤邦昌(大杉漣)の微妙な関係性は大変興味深いところです。本作のメインストリームは主人公の成長物語であって、それとともにその家族の有り様(よう)が良好なものに変化していくところにストーリー上もうひとつの重要な流れがあり、病気の妹・須藤華(谷村美月)の想いと尽力がこの二つの流れをつなぐように介在するのがこの物語の概観だと思います。本編では序盤に太郎が引きこもりになるきっかけとなった半年前のエピソードがカットバックされており、これがこの家族を崩壊させた直接的な原因ということになります。

 「アンタ、オレのために何かしてくれたことあんのかよ」

父・邦昌が太郎に対して手を上げたのは、これが初めてだったのかもしれないと想像させます。このシーンは親子の感情がほとんど初めて露骨にぶつかり合った瞬間を描いており、息子は言葉で、父親はその行為で、互いの鬱積した感情を発散させてしまいます。この時、一つ屋根の下に暮らしながら今まで知らなかった他者の感情を思い知り、言葉と行為で唐突に現れた自らの感情に驚き、戸惑ったのは二人とも同じだったのかもしれません。つまり、これは二人の気持ちの齟齬が生み出した衝突でありながら、結果的にはその後の二人に共通した性質の精神的課題が生まれた瞬間であり、表面的には殺伐としたシーンでありながら、二人が潜在的に抱えていた、あるいは目をつむってきた家族の問題をはっきりと認識した瞬間と言えると思います。ただし、その課題に対してどう対処していいのか皆目見当が付かないのがこの時の二人でもあるわけです。つまり、この二人の関係を修復することが家族再生のためのキーポイントであり、それを結果的にライフワークとしたのが妹の華だったわけです。

二人の関係のもつれを自らの病気のせいだと考えた華は、「家族4人の食卓」を実現するために、まずは兄のひきこもりを解消させようとします。華はアルバイトを見つけるために半分冗談で兄を女装させますが、太郎がその姿を父親に見られてしまったシーンはとてもよくできていたと思います。このタイミングの悪さこそが現時点でのこの親子二人のちぐはぐな関係を象徴しているような気がするし、このときの父親の頭ごなしの態度もまた息子の気持ちに寄り添う術を知らない不器用な性格を象徴しています。そして、太郎は父親の罵倒に(心の中で)憤慨し、見返してやりたいと思ったからこそ、真剣にアルバイトを探す気になったのでしょう。

このシーンに始まる父・邦昌の一連の心情描写は、地味ではありますが、大杉漣さんのお芝居もあいまってとても印象に残っています。アルバイトを始めた太郎の写真をもの欲しそうに見つめるシーンや仕事の合間に家族の写真を見つめて溜息を付くシーンなど、しっかりと父親の心情の流れにもスポットライトを当てているところに本作のクオリティの高さが現れていると思います。そして、彼の心情におけるひとつの転換点を示しているのが、あの一件以来初めて息子と夕食を共にするシーンで、二人の間にあった心の壁を初めて積極的に打ち破ろうとします。それが卵焼きをつまんで息子に同意を求める「うまいな」という台詞ひとつで表現されていたところは実に秀逸でした。このときの大杉漣さんの間のお芝居は絶妙で、二人のわだかまりが今まさに解けていく様がひしひしと伝わってきました。しかし、この食卓には華の姿はなく、「家族4人の食卓」が実現しないことが示唆されており、切なさも併せ持つシーンであることにも触れておきます。

さて、この物語のメインストリームである主人公の成長の描写についても掘り下げていきたいと思います。私は、太郎の引きこもりの根底にあるものは「感動からの逃避」だと捉えています。ここでいう感動とは喜びや怒り、哀しみといったあらゆる感情を含んだものであり、太郎は馴染めなかった高校生活の中で自分以外の「他者の感動」に触れることに恐怖感を抱くようになり、先に触れた父親の怒りに接したことで、その恐怖感はマックスに到達してしまいます。自分以外の他者との交わりを絶てば、その恐怖感からは逃れられますが、いつしか自分も「無感動」になっていくのが引きこもりというものなのでしょう。つまり、太郎の成長描写とは、彼が「感動」を取り戻していく過程そのものであり、そのきっかけを付与したのが妹の華ということになります。というわけで、太郎が獲得した「感動」の描写をいくつかピックアップしていこうと思います。

序盤、新聞配達先のおばあちゃんの感謝の気持ちに触れた瞬間は、とてもわかりやすいところだと思います。この時点では、太郎は自分の感動をうまく表現できずにおり、何度もおばあちゃんに新聞を届けるうちに、次第に自分の感動をおばあちゃんに伝えたいと思うようになるところが太郎のひとつの成長描写ということになります。そして、雨の日の配達でおばあちゃんからカイロをもらったときの「あったかいです・・・」という言葉が太郎なりの感動の表現だったわけです。さらに太郎が言葉として直接的に感動を表現したのが、妹を自転車の後ろに乗せて坂道を下るシーンで、彼の「気持ちいいな」という言葉は感動以外の何ものでもありません。

また、何気ないエピソードとして巧みに組み込まれていたのが、配達経路にある新築の家の住人がどんな人かを兄妹で言い当てようとするシーンで、その答えが華の死後に明らかになるのは、どこか切なさがあってもおかしくはないところですが、このエピソードが太郎の感動を引き出すために存在していたのは心憎い趣向だったと思います。メガネをかけた新婚夫婦を見た太郎が表情を緩めて「引き分けだな・・・」とつぶやくシーンは、終盤にきて彼の心の成長を印象付けるためのものであり、華が生前に撒いておいてくれた感動の種がまさに花開いた瞬間だったわけです。

太郎の感動の表現において、演じた高良健吾くんのお芝居に触れないわけにはいかないでしょう。序盤におけるひきこもりの青年を、彼は生気のない目のお芝居で巧みに表現していました。その目はあるゆるものに「無感動」を決め込んだ目であり、実際、華に連れられて街に出ても、何も見ようとしないし、何も感じようとしません。つまり、太郎の成長はこの目に輝きが戻ることで表現されていると言えます。それが最もわかりやすく現れたのが、終盤、「翠嶂会」を脱会することを決めた太郎がスーツを着て、その旨を仲間たちに伝えるシーンだったと思います。このシーンで太郎は、まっすぐに相手の目を見つめ、自分の気持ちを率直に伝えようとします。その目は輝きを取り戻しており、もはやいささかの迷いも感じられません。

さらに、前段で触れた「家族の再生」という側面から太郎の感動の描写を振り返ってみます。両親が「翠嶂会」のねり歩き行列に息子を参加させて欲しいと懇願しているところを太郎が目撃した瞬間は、彼にとって父親とのわだかまりを完全に洗い流すほどの感動があったに違いありません。自分のために両親が土下座までしてくれている・・・序盤に描写された家族崩壊のシーンで太郎が父親に対して暴言を吐かなければならなかったその気持ちがついにこのとき報われたのです。

そして、太郎にとっても我々にとっても、感動のクライマックスが花火が打ちあがるラストシーンであることは言うまでもありません。ラストシーンについては敢えて言及しません。この映画を観た人それぞれが前向きな涙をボロボロ流し、その爽快感に浸って欲しいと思います。

最後に、本作の印象を決定付けたと言っても過言ではない重要な演出に言及しておきたいと思います。映画やドラマで病気を取り扱う場合には、病気という要素をただ単に悲しみで仕立てるか、病気という要素の中に何らかの前向きさを見出すかにおいて、作り手のバランス感覚は大変重要で、そのことは冒頭でも触れたように作品の印象を真逆のものにも変えてしまうものだと思います。本作の場合、そのあたりのバランス感覚が、主人公の家族以外の第三者的登場人物のキャラクターによく現れていて、たとえば、華のクラス担任・有馬幸生(佐藤隆太)の華に対する接し方とか、華の主治医・関山高志(佐々木蔵之介)が登場するシーンの明るい挨拶の仕方とか、あるいは病院の屋上で会話した妊婦・藤沢道子(能世あんな)の存在などによって、どこか病気に悲しみが入る余地を与えないような工夫がなされていました。彼らの出番は決して多くありませんが、物語の要所で「悲しみ」を打ち消す役割を見事に果たしており、ラストの「前向きで爽快な涙」にうまく橋渡ししてくれたとても重要な存在だったと思っています。もちろん華を演じる谷村美月ちゃんの笑顔がその点に大きく貢献していたことにも触れておかなければなりません。

近年、病気を取材した映画が数多く発表されていていますが、『余命1ヶ月の花嫁』(2009年 東宝)に代表されるようにその取り扱い方を作り手が勘違いしてしまっている作品が実に多くて、私自身、病気を題材とした作品と聞いた時点で、嫌悪するようになってしまっていたところもありました。しかし、本作のように物語の軸とはひとつ外れたところに病気という要素を置くことは決して悪いことではないし、演出によって病気が持つ悲観的側面を打ち消したり、あるいはそこに前向きさを吹き込んだりすることは十分に可能であって、重要なのは作り手のバランス感覚であることを本作を観て改めて認識しました。作り手が病気に対して真摯に向き合い、病気を抱える人たちの想いに真摯に寄り添ったかどうかは、その作品を観れば一目瞭然であることを映画製作者は肝に銘じて欲しいと思います。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★
 映像 ★★★★
 音楽 ★★★★


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コメント 3

げん

ジャニスカさんが★印をつけられている作品なのでDVD借りて
観賞致しました。

妹への花火がラストかと思いきや、まさか・・・。
「あー・・・。」と思わずボロボロ涙が。

特にラストの花火のシーンは映画館で観たいと心底思いました。

佳い作品を教えていただき、本当にありがとうございました。
by げん (2011-10-14 02:27) 

ジャニスカ

げんさん、こんばんは。
そうですねー。私も映画館で観たかったです。
この映画、角川系のシネコンでは上映してなかったんですよね。

最後は本当に爽快な涙でしたね。
藤井フミヤさんの主題歌もすごくよかったです。
動画を差し替えたので、ご覧になってみてください。

他のオススメ映画も時間がありましたらぜひご覧くださいませ。。。
この映画がお好きな方には『三本木農業高校、馬術部』なんかが気に入っていただけると思います(^^)。

by ジャニスカ (2011-10-14 20:57) 

げん

ジャニスカさん、こんばんは。

「今、君に言っておこう」の動画への差し替え、わざわざありがとう
ございました。
いい歌なので、カラオケで歌いたいなと思っていたんですよ。
サプライズですね。ありがとうございます。

実は既に、「ハナミズキ」と「君に届け」を観賞済みです。
3番目に「おにいちゃんのハナビ」を観たのですが、あまりの感動に
御礼をと思った次第です。
「ハナミズキ」と「君に届け」も良かったです。
「全開ガール」のレビューを読ませていただいたのがきっかけでした
ので、3作全てに出演されている蓮沸美紗子さんの演技は注目して
しまいました。

これから「最後の忠臣蔵」を観るところです。

今回オススメの「三本木農業高校、馬術部」も是非観賞したいと思い
ます。


by げん (2011-10-15 19:02) 

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