サマーレスキュー 第8回 [ドラマレビュー]
『 サマーレスキュー ~天空の診療所~ 』
第8回
( 2012年 TBS=ジ・アイコン 公式サイト▼ )
演出:水村秀雄 脚本:秦建日子 出演:向井理、尾野真千子、時任三郎、笹野高史、松重豊
今回はこのドラマ始まって以来、はじめて落涙しました。
ただし、断じてドラマに泣かされたわけではありません。真千子ちゃんのお芝居に泣かされたのです。
このドラマを丁寧に観ている人ならば、主人公とヒロインの人間的成長をつぶさに感じていることと思います。
尾野真千子ちゃんが演じる小山遥という女の子が第1話でどんな言動をしていたのか振り返ってみてください。
彼女は幼い頃に亡くした母への想いと看護師として経験したつらい過去から、「人の命」に対して
神経質で過敏な反応を示し、赴任してきたばかりの医師・速水圭吾(向井理)に臆することなく食って掛かります。
しかし、下界で母の死に接した速水が、遥が幼い頃から抱え続けてきた「命」に対する想いを共有すると、
山の診療所で「人の命」に向き合う姿勢は一変します。その姿を傍で見ていた遥は次第に速水に対して心を許していくのです。
かなり大雑把に言えばこういう流れなのですが、私が言いたいのは序盤の遥と今の遥はまるで別人だということです。
以前にも少しつぶやいたのですが、遥の成長はほぼ真千子ちゃんの表情のお芝居に集約されていると言えます。
山に逃避していた遥が第5話で現実に向き合う決意をし、山を下りて婚約者に会うシーンでは、
速水のおかげで柔和になった表情が元に戻ってしまいます。でもラストシーンで速水と電話で星の話をすると、
彼女は速水に元気づけられたかのように再びさわやかな笑顔を見せてくれるのです。
役柄の気持ちの変化というものは、もちろんシチュエーションとか台詞の内容、抑揚などでも表現できるものですが、
やっぱり表情の変化が一番わかりやすいし、説得力もこれに勝るものはないと思います。女優さんは特にです。
尾野真千子という女優はこの表情の芝居に対して稀有な才能を発揮します。
今回取り上げるシーンでは彼女の才能が遺憾なく発揮されています。
短いシーンですが演出的にもみどころがありますので、よかったらお付き合いください。
小文字が同一カット内で私が任意にキャプチャーした絵を区別する記号です。
同じカットの絵は同じ色になるようにセルの色を指定してあります。色が変わったところがカット変わりとお考えください。
インサートカット(回想)は便宜上省略しました。台詞はカギ括弧で囲み、斜字にしてあります。ブラウザはIE推奨です。
第1話で事実上の自殺未遂から山の診療所に運ばれ、速水たちによって命を救われた岡村(相島一之)は、
診療所存続の可否を決める総会当日、診療所への感謝の気持ちを伝えるために速水の病院を訪れます。
演出的なことから言及しますと、このシーンのメインは完全にC2のBカメですよね。
ズームインですから、ディレクターの意図は遥の表情で何かを語らせることにあります。
ディレクターが印象付けたい岡村の台詞はAカメで捉えた二つの台詞だと思うんです。つまり「幸せ」というワードです。
そしてさらに重要なのが、その言葉を聞いた遥の表情となります。つまり、岡村の話に耳を傾ける遥の表情の変遷を通じて、
山の診療所が残したかけがえのない「実績」を間接的に切り取ろうとしていると考えられます。
私がやられたのは2B-bです。
いったんAカメに切り返したあと、再びBカメに戻ったとき、遥の表情が一変するんですね。
この表情は岡村の「人生で今が一番幸せだと思っています」という台詞に対するリアクションであり、
岡村が人生に対して前向きになったことを心から喜んでいる遥の心情が伝わってきます。
これで終わりではありません。その後も遥の表情は目まぐるしく変化していきます。
目まぐるしくと言ってもニュアンスのレベルではあるんですけど、はっきりと伝わってくるものがある。
あまり私の解釈をつらつらと述べるのも野暮だと思うので、可能であればもう一度ご覧いただきたいのですが、
一言で言えば、岡村の一つ一つの台詞を噛み締めるように丁寧にリアクションしているんですよ。真千子ちゃんは。
表情のみで相手の台詞を最大限に生かすというかなりレベルの高い芝居をしているわけです。
当然、監督のディレクションもあるとは思いますが、監督の意図を的確に理解した上で、
彼女自身の繊細で鋭敏な台詞に対する解釈がその表情に具象化しているように感じられます。
何度観ても真千子ちゃんの目に吸い込まれちゃうんだよなぁ。
目の中にもうひとつ表情があるとでも言えばいいだろうか。優れた女優さんは目で多くを語ります。
関連記事 : 火の魚 (2010-03-21)
尾野真千子さんの芝居に関しては、頷くところ大!大!です。
この人はすごい女優さんですね。
「もがりの森」を見たときには何故気づかなかったのだろう・・と、思います。
ジャニスカさんのおっしゃるとおり、彼女のお芝居は、ものすごく丁寧ですね。
先日「真幸くあらば」を見たときに、一体一での面会の場面でそれをまさに実感しました。
本当にすごい女優さんが出てきたと思いました。
期待しています。
by Sho (2012-09-12 22:05)
Shoさん、こんばんは。
実は私、このドラマあんまり真剣に観てないんですよ(^^;。
でも、真千子ちゃんが登場するシーンだけ自然と引き込まれてしまうんですよねぇ。
このシーンの直前に岡村が遥に声をかけるシーンがあるんですけど、
遥が振り返ったときの表情も本当に素晴らしいんですよ。
もう総会が始まっていて、彼女はその結果をロビーで待っているところでして、
相応の緊張感と祈るような気持ちを持ってベンチに座っていたはずなんですね。
そこに背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえたわけです。
振り返った瞬間は驚きとともにまだ緊張感をたたえているのですが、
岡村の姿を目にした彼女の表情は一瞬で喜色に変わるのです。
本当のところ、もうここからやられてるんですよ、私、、、(^^;
主演級の女優さんに求められるもので一番重要なのは、
観る者を画面に惹きつけておくことかもしれない、なんて彼女を見ていて思ったりします。
本文で触れた個々の芝居に対する「丁寧さ」ということで言えば、もはや彼女なら当たり前のようにやります。
なんていうか、それよりももっと大きい部分でのトータルの計算って言うんでしょうか。
つまり、もう視聴者はみんな、小山遥という女の子を好きになっちゃってるんですね。
本文の前段で少し触れたように、序盤の遥なんて誰も好きにならないですよ。
そんな子が変わっていく姿を我々は目の当たりにしてきて、今の彼女を見ている。そして好きになっている。
なんか壮大なキャラクター表現を目の当たりにしているような気がするんです。
私は観ていないのですが、「カーネーション」でもそういうものをお感じになられたんじゃないでしょうか。
彼女を発掘した河瀬直美監督がいろんなところで言ってるんですけど、
ロケハンに行った中学校で真千子ちゃんは職員玄関の下駄箱を一心不乱に拭き掃除してたんですって。
その姿が監督の心に焼きついて、自分の映画に出しちゃったという。
これがなかったら絶対に女優さんになっていなかったそうです。すごい話ですよね。
私の想像なんですけど、河瀬監督も彼女の目に吸い込まれたんだと思います。
「萌の朱雀」という映画、昨日まで普通の中学生だったとは思えない存在感です。未見でしたらこちらもぜひ。
by ジャニスカ (2012-09-13 23:13)