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Dear Friends [映画レビュー]

Dear Friends ディア フレンズ [DVD]

[ DVD ]
Dear Friends ディア フレンズ
( 東映 / ASIN:B000O76YY0 )

『Dear Friends』
(2007年 東映 115分)
監督:両沢和幸 脚本:両沢和幸、三浦有為子 主演:北川景子、本仮屋ユイカ
          Official / Wikipedia / Kinejun          

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(C) 2007 「Dear Friends」製作委員会

両沢和幸監督といえば、『ナースのお仕事』シリーズに代表される働く女性たちを主人公に据えた奮闘劇とドタバタコメディの印象が強くありましたが、いわゆる「難病モノ」の範疇となる本作のようなシリアスなテーマは、監督のそれまでのキャリアと即座に結びつくものではありませんでした。プロデューサーとしての顔も持っている両沢監督が本作では「作り手」に専念していることからも、本作は良質の原作に着目した東映の持ち込み企画だったのかもしれません。ただし、私は本作の主人公二人が入院していた病院が「若葉会総合病院」だったところにニヤリとしてしまいました(^^;。 

参考:両沢和幸監督が手がけた主な作品
 <テレビドラマ>
『七人の女弁護士』(脚本 1991-1993年)
『その時、ハートは盗まれた』(脚本 1992年)
『お金がない!』(脚本 1994年)
『味いちもんめ』(脚本 1995年)
『白鳥麗子でございます!』(脚色 1995年)
『ナースのお仕事』(プロデュース 1996年)
『お仕事です!』(プロデュース・脚本 1998年)
『天使のお仕事』(プロデュース 1999年)
『黒革の手帖』(脚本 2005年)
 <映画>
『ナースのお仕事 ザ・ムービー』(監督・脚本・プロデュース 2002年 東宝)
『あたしンち』(脚本 2003年 東映)
『KEEP ON ROCKIN'』(監督・脚本・プロデュース 2003年 東映)
『BABY BABY BABY!』(監督・脚本 2009年 東映)

『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年 東宝)の大ヒット以降、「病気」を取材した作品を各映画会社がこぞって発表して、食傷気味なのは否めないところだと思いますが、この種の映画は厳密には2種類に類型することができると思います。ひとつは「病気」そのものを中心にすえて、病魔に冒された人や彼らをサポートする人の闘病生活などを描いていく感動の物語で、もうひとつは病気を通して新しい価値観に到達するまでを描いていく人間の成長物語です。両者は、似て非なるものであり、私は病気を題材とした作品を見るときはそのことをはっきりと意識して臨むようにしています。

 「病気」が感動のために存在する作品:
 『愛と死をみつめて』(1964年 日活)
 『私の頭の中の消しゴム』(2004年 韓国)
 『1リットルの涙』(2005年 東映)
 『そのときは彼によろしく』(2006年 東宝)
 『Life 天国で君に逢えたら』(2007年 東宝)
 『余命1ヶ月の花嫁』 (2009年 東宝)
 「病気」を通して人間の成長を描いた作品:
 『生きる』(1952年 東宝)
 『解夏』(2004年 東宝)
 『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年 東宝)
 『いま、会いにゆきます』(2004年 東宝)
 『タイヨウのうた』(2006年 松竹)
 『明日の記憶』(2008年 東映)
 
 ※『解夏』と『明日の記憶』は、両方の要素を兼ね備えており、その点が高い評価につながっていると考えられる。
※ちなみに『恋空』(2007年)は、そもそも単なる恋愛映画であり、「病気」という要素をもっとも安易に取り込んだ悪質な作品だと思う。
※あくまでも映画作品を評価したものであって、原作のあり方と必ずしも一致するものではない。また、分類は個人的な見解である。

前者には、「恋愛」という付加価値が付いている作品も多くありますが、それは「お涙頂戴」という製作者の目的を達成するために存在しているものであって、それをもって人間の成長を描いているとは言えません。それに対して後者は、人間の成長を描くために「病気」が存在しているのであって、「病気」という要素は映画製作上のテーマ表現のためのツールでしかありません。どちらの手法にも良作は存在しており、その手法をもって作品の優劣を評価するものではありませんが、「感動」を前面に出すか、「人間ドラマ」を前面に出すかには、大きな差異があることは間違いありません。

本作はそのタイトルからも「友情の意味」を問いかけるのが主たるテーマであり、後者に分類できると思います。ストーリー上は、リナ(北川景子)が病気を通してその生き方を180度転換していく「過程」こそが重要であり、その過程にマキ(本仮屋ユイカ)との「友情」が存在するところが本作の肝となっています。そして、本作の演出を語る上ではその過程に説得力を持たせることが重要であり、本レビューにおいてはリナの人物描写とその心情の変化を中心に主に演出面を掘り下げていくつもりでした。しかし、以下の「活字」で終わるラストカットを見て方針転換しました。

・・・・・・マキがついに力尽き
この世を去ったのは3ヵ月後だった・・・・・・
 

私は、このラストカットが現れるまでは本作の演出にはそれなりの好感を持っていましたが、正直なところこのラストカットを見てその気持ちは一気に冷めてしまいました。映画のラストカットが「活字」というのは、映画という表現メディアのアイデンティティを放棄したとも言える乱暴な手法とまで言ってしまいたいと思いますが、私はなんとなくここに監督の迷いと苦悩を見た気がします。

本作のテーマの捉え方は2種類あって、ひとつは「友情をもって病気と闘う」ということで、これは主にマキの視点となります。もうひとつは「病気と闘う中で友情の意味に気がつく」という捉え方で、これは言うまでもなくリナの視点となっています。微妙にニュアンスが異なることはお分かりいただけると思いますが、要は、「病気」を前に出すか、「友情」を前に出すかということになってきます。

私は、このラストカットを目にするまでは、かなりの比重を後者に置いて本作のテーマを捉えていましたが、このラストカットは明らかに病気「のみ」を前に出したものです。しかし、先にも述べたようにそのタイトルからも、本作はあくまでも「友情の意味」を問いかける作品であることは自明であり、監督もそのことは十分に理解していたはずです。それでもあのようなラストカットになってしまったのは、安易に「涙」を取りにいった結果かもしれません。

このカットは、リナのナレーションをかぶせている以上、活字は不要であり、黒味にフェードアウトしてエンドロールへ入っても全然違和感はなかったと思いますが、あえてそれを活字で表現してしまったところに監督の「涙が欲しい」という気持ちが表れているような気がします。仮にそうだとすれば、それはまったくの逆効果でした。本編が丹念に描いてきたリナが友情の真の意味に気がつくまでの過程が存在していれば、本作が前面に出すべき「友情」でまとめたとしても十分に涙を誘えたのではないでしょうか。推測ですが、監督は「友情」でまとめる方法にも当然、思考を巡らせたと思いますが、いい方法が思いつかなかったのかも知れません。

私は個人的にタイトルをラストにもう一度持ってくる演出が大好きで、『ラブファイト』(2007年 東映)でもそのことに触れていますが、本作のラストにはその演出がぴったりだったように思いますがいかがでしょうか。リナのナレーションの後に「Dear Friends」というタイトルがセンスよく登場したら、しっかり「友情」でまとまるし、マキの生と死がリナとの友情の中にあったものであることが伝わってきて、それこそ涙を落とさずにはいられなくなるかもしれません。こればかりは表現してみなければわからないことですが、タイトルに込められた意味を本編で的確に表現することに成功している本作においては、この演出はかなりの確率でその効果を発揮したのではないかと思っています。

総合評価 ★★★☆☆

北川景子ちゃんが映画でこんなお芝居を披露していたとは、驚いてしまいました。今年公開の『花のあと』(春公開予定 東映 中西健二監督)がとても楽しみです。


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コメント 1

Sho

>・・・・・・マキがついに力尽き
この世を去ったのは3ヵ月後だった・・・・・・

これは怒りますよ。もし映画館で見てたら頭に血が上ります。
やはりラストカットが「文字」だった外国の映画がありました、その画面が出て映画が終わった瞬間「全てがだいなし」。いったい今まで何を見せられていたんだ、という感じでした。

病気、しかも難病、そして亡くなるということを扱うときには、当事者や周りの人たちに対する「敬意」が絶対になければならないと思います。
カタルシスを求めて泣きたい人はどうかわからないけれど、作り手の「敬意」の有る無しは、やっぱりわかる人にはわかると思うんですね。
泣かせてお金儲けのために作られた映画なのか、何かを懸命に伝えようとした映画なのか、それは見ればわかりますもの。
「明日の記憶」に臨んだ渡辺謙の姿勢は、とても好きです。
by Sho (2010-06-20 12:45) 

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