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夕凪の街 桜の国 [映画レビュー]

夕凪の街 桜の国 [DVD]

[DVD]
夕凪の街 桜の国

(東北新社/ASIN:B0012BLS02)

『夕凪の街 桜の国』
(2007年 アートポート 118分)
監督:佐々部清 脚本:国井桂、佐々部清 主演:田中麗奈、麻生久美子

          Official / Wikipedia / Kinenote          

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(C) 2007「夕凪の街 桜の国」製作委員会

佐々部清監督は、『チルソクの夏』(2003年 プレノンアッシュ)でも触れた通り、的確な時代描写でそこに生きる人々の心情を浮き彫りにする手法を得意としており、本作の監督は適任だったと思います。特に昭和33年の広島を描く前半部分においては佐々部監督の手腕が遺憾なく発揮されており、一見平穏さを取り戻したように思える広島に残る戦争の傷跡を丁寧さをもって随所に織り込んでいます。

本作の演出上のスタンスは、冒頭に登場する皆実の会社での風景に代表されるように、当時の広島に生きる人々のある種前向きな明るさを前面に出して描かれており、その重くなりがちなテーマとのバランス感覚は見事なものだったと思います。それでいて、その直後に皆実が防火水槽に手を合わせるシーンを何気なく盛り込むことによって、広島の復興が戦争の傷跡を内包しながら進んでいったことを表現しています。爆風に晒されて一部が破損したお地蔵さんに手を合わせるシーンや銭湯のシーンなども、当時の広島の日常に溶け込んだものとして描かれており、そのことは現代に生きる我々にはある種のインパクトを持って受け止められるところだと思います。

とは言え、それらの演出も本作のストーリー構成も、こうの史代さんの原作がすでに持っていた表現手法をそのまま踏襲した部分がきわめて大きいと考えられます。今日は、本作の秀逸かつ巧妙なテーマ表現に絞って、作品を深く掘り下げて行きたいと思います。

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「夕凪」(ゆうなぎ)は、海風から陸風へ交換するときの無風状態のことで、四方を山に囲まれ、もともと風が弱い瀬戸内海では継続時間が長く、夏にはこれがはっきりと現れる。----引用元:Wikipedia

「夕凪の街」とは、紛れもなく広島のことであり、夕凪が終わって吹く風はさわやかな清涼感を生み出し、広島の夏の風物詩となっています。主人公のひとりである皆実(麻生久美子)が、前半最後のシーンで「何度夕凪が終わっても、この物語はまだ終わりません」と語って、後半の「桜の国」へとつながっていきますが、本作最大のテーマは、この過去と現在の「つなぎ」に集約されていたと言っても過言ではないと思います。

本作をあえて類型すれば、「反戦映画」ということになりますが、この種の映画の表現方法は大まかに2種類あります。たとえば、『プライベートライアン』や『プラトーン』のようないわゆる「戦争映画」と呼ばれるものは、戦争そのものの悲惨さを直接的に描写することでその目的を表現しています。そして、もうひとつのアプローチは、『7月4日に生まれて』や『火垂の墓』のように戦争によって受けた傷跡を背負って生きる人々を描くことで戦争の悲惨さを訴えるものです。両者に共通する点は、切り取る時間区分は違っても、どちらも「過去」であることに変わりわなく、それらの表現から「反戦」というテーマ性をどれだけ汲み取れるかは、究極的には現代に生きる我々の想像力に委ねられているとも言えます。

本作は後者のアプローチとなりますが、「過去と現代のつながり」をテーマとして表現した点がこの種の映画としては斬新であり、一見アンバランスとも思える2部構成は、我々が戦争について考える際の想像力を補填してくれているものとなっています。したがって、本作のタイトルは、日常的に美しい桜を愛でることができる現在の平和な日本(=桜の国)の礎(いしずえ)は、先の戦争で多大な犠牲を払った広島(=夕凪の街)にあるということを暗喩しており、そのことを理解してしまうと、そのメッセージ性は極めてインパクトのあるものになります。

過去から現在への「つなぎ」は、冒頭でも述べた前半と後半をつなぐナレーションの変換によって見事に表現されていましたが、皆実の姪である七波(田中麗奈)が主人公となる後半においては、逆に現在から過去への「つなぎ」が大きなテーマとなっています。それを表現する上で重要な役割を果たしていたのが、七波が抱える「桜」に対するトラウマだったと思います。

本作における桜は、平和な現代の日本の象徴ですが、七波のトラウマは、桜というものが母と祖母の死を連想させるものであることから始まっており、父(堺正章)を追いかけて広島へ行くまでは、それ以上の意味はありませんでした。しかし、広島でおばの存在とその意思を強く意識することによって、過去と現在が結びつくと、七波は自然と母と祖母の死の意味と向き合えるようになります。東京に帰る頃には、桜が咲く季節を想像できるまでに至りますが、広島で七波がそのトラウマを克服していく過程は、そのまま過去と現在を結び付けるエピソードとなっています。また、過去と現在の連続性を象徴するオブジェクトが「髪留め」だったことは言うまでもありません。

これらの秀逸なテーマ表現力は、原作が持っている魅力であることは間違いなく、広島の歴史を現在に伝えたいという原作者の熱意が感じられ、本作はその意思を適確に汲み取って表現した良作と言えるでしょう。下のYouTube動画を是非ご覧ください。私は本作を見た直後にこれを拝見して、涙をボロボロ落としてしまいました。

関連記事:三本木農業高校、馬術部(2010-06-19)
(ご挨拶)(2010-01-20)
チルソクの夏(2009-09-09)

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★(麻生久美子さんのスクリーンでの存在感にはいつか触れなければと思っています。)
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★
 音楽 ★★★★


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コメント 7

魚河岸おじさん

麻生久美子チャン狙いで見た作品でしたが
原作まで追っかけてしまうほどの衝撃がありました
普通の生活の中に絶えずある「被爆」の事実
優しい絵の中で語られる反戦
コノ作品をきっかけにして、ヒロシマまで旅までしてしまいました

by 魚河岸おじさん (2010-05-16 08:54) 

ジャニスカ

魚河岸おじさん san、nice!&コメントありがとうございます!

「広島へ・・・」読ませていただきました。
私は長崎を訪れたことはあるんですが、
日本人なら広島も1度は訪れておかなければなりませんね。
by ジャニスカ (2010-05-16 14:08) 

むーにゃ

ジャニスカさん、こんにちは。お勧めいただいた「夕凪の街 桜の国」のDVDを昨日借りてきて視聴しました。
感想は、ただただ切なかったです。麻生久美子さん演じる皆実が語る言葉一つ一つが切なくて、淡々と語られる言葉一つ一つが重くて、やり場のない憤りをどこにぶつければいいのかわからなくて、ただ涙が流れるばかりでした。
一番ショックだったのは、
“わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ 思われたのに生き延びているということ”
という言葉でした。そんなことを考えていたんだ、とショックでした。私は、今までの生活の中で幸運にもそういうことを考えたことがありませんでした。戦争というものは国と国との争いであって、たとえ亡くなる人がいたとしてもそれは国益の争いに巻き込まれたに過ぎない犠牲者なのだと考えていました。でも、あらためて戦争というものは、人が人を殺す醜い戦いなのだと思い知らされた気がしました。
そして、わかっているつもりでいた原爆の被害は、私の浅い知識では計り知れないほどの、何年も何十年も何代にもわたって被害を及ぼすものだと知りました。被爆二世・三世という言葉を聞いたことはありましたが、表面的な知識でしかありませんでした。それに今も苦しめられている人がいるということ。戦争は遠い昔のように思っていたけれど、まだまだ終わっていない方々が今も沢山存在しているという事実。このことに思いを馳せることが出来る人がどれだけいるのでしょうか。

戦争を経験された方は、その辛くて苦しい経験から、なかなか当時の事を自ら語りたがらない方が多いと聞きます。そして、その方の身近な方も聞くことを憚られるようです。歴史の中に空白が生まれる瞬間。そして時間は流れ、時代は変わり、今、戦争を知らない世代が時代を担っています。また、同じ過ちを繰り返さないと自信をもって言い切れるでしょうか。今の私たちは、過去と未来の繋ぎ目とならなければいけないのだと強く思いました。

戦争を題材とした映画を観るのは、これが2本目です。いままで、無意識に避けてきたジャンルです。たぶん、ジャニスカさんに薦めてもらわなければ、観ることのなかった作品だと思います。
戦争というテーマに関心をもったのは、ご存知のように、最近公開された「太平洋の奇跡」です。竹野内さんが、「きっかけになってくれたら」という思いは、確かに伝わっていると感じます。私のように今まで関心のなかった方々が、少しでも目をむけ考えるきっかけになってくれればいいなと、心から願う今日この頃です。
by むーにゃ (2011-02-16 11:12) 

ジャニスカ

むーにゃさん、早速ご覧いただけて本当にうれしいです(^^)。
私はいろんな所でいろんな人にこの映画観てもらえるように、私なりの啓蒙活動をしているのですが、公開当時からあまり注目度の高い作品ではありませんでした。佐々部清監督もおっしゃっていましたが、批評家連中からはかなりの酷評をもらったそうです。私はそれらの批評がどんなものなのか存じ上げないのですが、やはり一見アンバランスにも見える2部構成が受け入れられなかったのかもしれません。ただし、この映画の作り手があえてそういう構成にして、何を訴えたかったのかを汲み取ろうとする作業をせずして、この作品を批評しているのだとすれば、それは的外れということになると思います。この映画は、現在でも全国各地の自治体で無料上映会などが開催されていて、佐々部監督もできるだけ足を運んでいるようです。私の地元近くにも来てくださいました。

我々は、祖父や祖母の世代からあの戦争のことを伝え聞くことが困難になってきている代わりに、この『夕凪の街 桜の国』のような映画を観ることができることを喜ばなければなりません。そして、我々はこの映画を後世に語り継いでいくべきだと思います。また、NHKが目下取り組んでいる「戦争証言」プロジェクトは、NHKにしかできない賞賛すべき取り組みだと思います。BSで不定期に放送される極めて地味な番組ですが、もっと多くの日本人がこの番組を見るべきだと思います。ただ、これらは多くの日本人にとって、何かのきっかけであの戦争のことを積極的に知ろうしなければ、見向きもされない映画であり、番組ということになると思います。私は『太平洋の奇跡』がその「きっかけ」となる映画で、この『夕凪の街 桜の国』と並んでたくさんの人に自信を持ってお勧めできる映画であることを願っています。

by ジャニスカ (2011-02-17 19:00) 

NO NAME

ジャニスカさん、こんばんは。

「夕凪の街 桜の国」を観て、ジャニスカさんのレビューを
読ませていただきました。

観賞1回目は、「夕凪」の部での麻生久美子さんの存在感が
際立っていて、「桜」の部が物足りなく感じてしまいました。
3回目にしてようやく、ジャニスカさんの、

「この映画の作り手があえてそういう構成にして、何を訴えたかったのかを汲み取ろうとする作業をせずして、この作品を批評しているのだとすれば、それは的外れということになると思います。」

との言葉の意味が少し分かった気がしました。
過去のお話ではなく、現在の、そして未来へと連続性を持った
問題を内包する作品であることを強く感じました。

私もジャニスカさんの薦めがなければこの作品を観なかった一人
です。
この秀逸な、意義ある作品との出会いに感謝申し上げます。

一番衝撃を受けたのは、皆実の、
「なあ、嬉しい?13年も経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て、
『やった!また一人殺せた。』・・・て、ちゃんと思うてくれとる?」
との言葉です。
「原爆を落とした人」はそんなこと思ってはいない。
「原爆を落とした人」はそんな一人一人に思いを馳せたりしない。
戦争はあくまでマス感覚であることを、逆説的に訴えている言葉
であると思います。

連続性という意味で印象的なのが、旭が京花にプロポースする
シーンです。
髪留めを見せながら、「京ちゃんじゃないとダメなんじゃ。」と言う
旭。
一途さを表す、よくあるセリフですが、髪留めを見せることで、旭
が原爆と向き合って生きていく強い覚悟を持っていることを感じ
ました。
しかしそれは二人の間の子供にも宿命を背負わす可能性もある
のです。それも含めての覚悟であると感じました。

運命に翻弄されながらも、そこに生きる人々はとても優しい。
そして強く、ユーモアを持って生きている。
難しい問題を扱いながらも、そんな優しさに触れることが出来た
良作との出会いを、本当にありがとうございました。
自分も人に薦めていきます。
by NO NAME (2011-10-24 18:42) 

ジャニスカ

げんさんですよね?コメントありがとうございます。
本文の最後に書いたんですけど、この映画が秀作である最大の理由は
原作が持つ雰囲気とそのメッセージ性を正確に汲み取って映像化した点にあると思います。
げんさんが一番衝撃を受けたと感じられた台詞は原作にそのままあるものです。

>運命に翻弄されながらも、そこに生きる人々はとても優しい。そして強く、ユーモアを持って生きている。

そして、この点は原作が持っている雰囲気です。

原作者のこうの史代さんは広島ご出身の方ですが、このお仕事をするまで
郷土の歴史や原爆に強い関心を持っていたわけではないというようなことをあとがきで述べておられました。
戦争を知らない世代が戦争を知らない次の世代に伝えていかなければならない時代に我々は生きています。
どうやってあの歴史を後世に伝えていくか、
こうの史代さんが試行錯誤して辿り着いたのがこの表現手法だったんだと思います。

「映画」としての作品性を追求すれば、
もしかしたら「夕凪の街」だけを映像化すればよかったのかもしれません。
しかし、間違いなくこの作品が持つメッセージ性は半減してしまったことでしょう。
私はこの映画を繰り返し観れば観るほど「桜の国」も前半と同じぐらい味わい深いと思うようになっています。

先日、日本テレビで同じくこうの史代さんの「この世界の片隅に」がドラマ化されたんですけど、
これが目も当てられない出来だったんですよ。
原作の「メッセージ」を汲み取るという作業が全然できていないんですね。
これは完全に作り手の知的レベルの低さから来るもので、猛省してもらわなければなりませんが、
実はこのことは我々も決して他人事ではなくて、
作品に対しては決して「受け身」であってはならないなとつくづく思います。
作品が持つメッセージ性を積極的に汲み取ろうとする姿勢は常に持ち続けていたいものです。
この映画を誰かにお薦めするときは、
どうか「作品世界に積極的に飛び込んで、関わろうとしてください」と申し添えてあげてください。
そして、こうの史代さんの原作も多くの人に読んでいただきたいと思います。

by ジャニスカ (2011-10-25 22:30) 

げん

名無しで失礼致しました。
いつもご丁寧に返事を下さり、尊敬の念を禁じえません。
原作も是非手に取ってみたいです。
「魚河岸おじさん」さんのように広島まで旅するのは直ぐ
には厳しいですが・・・。
by げん (2011-10-26 01:04) 

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