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e97h0017こちら、若尾文子さんです。溝口健二監督の『祇園囃子』(1953年)という映画で舞妓さんを演じた時のものです。とても可愛らしいということもありますが、お芝居が抜群に上手でとても驚きました。この当時、デビュー2年目、19歳ということです。 http://t.co/BH5YyziuTK02/22 20:51 e97h0017最近の10代の女優さんのお芝居にも驚かされることはあるけれど、そういうのとは全然違う性質の驚きがありました。とにかく芝居が上手い。所作や仕草、発声や台詞回しが完成されている。いろんな意味で人間が早熟だった時代なんでしょうけど、そういうことだけでは説明できない雰囲気がありました。02/22 20:59 e97h001719歳というと、橋本愛ちゃんと同い年ですね。比べる必要性はまったくないんだけど、インタビューで「映画の歴史を汚したくない」なんて言えちゃう子だから、昔の女優さんのお芝居を見て何かを感じ取ってほしいなぁというのはあります。絶対びっくりすると思うし、彼女なら感化されるものがあるはず。02/22 21:07 e97h0017この『祇園囃子』という作品は京都の花街を描いた映画としては名作中の名作で、これを越える作品は後にも先にも現れないと思います。周防正行監督が『舞妓はレディ』でミュージカルやコメディ要素を取り入れた理由は、正攻法で花街を描く難しさがあったからではないかと今になって思ったりしています。02/22 21:23 e97h0017古い映画を観ていると、俳優という仕事が今よりもずっと職人気質だった時代を感じます。与えられた役を監督のディレクションどおりにこなしていく。それ以上でもそれ以下でもない。俳優を動かして映画を作るのは監督の仕事であり、職責だから、作品の歯車であることに徹して、淡々と芝居をしています。02/22 21:54 e97h0017最近の若い俳優さんは、舞台挨拶とかインタビューなんかで「いい作品にしようと頑張りました」というようなことを言いすぎのような気がします。もう少し無責任でもいいのかなと。もっとも、俳優と同じぐらい職人気質の映画監督が存在してくれないと、この論理は成立しないということになるわけですが。02/22 22:01 e97h0017たとえば、『Shall we ダンス?』の草刈民代さんや『ディア・ドクター』の笑福亭鶴瓶さん、『そして父になる』のリリー・フランキーさんのように、役者が本業ではない俳優さんが「監督に言われたとおりにやっただけです」と言って、映画賞をもらったりするわけですよ。芝居って深いですよね。02/22 22:25 e97h0017俳優がいい作品にしたいと思うのは当然のことと思いますが、その「熱」が芝居に出てしまうのは決して良いことではないような気がします。02/22 22:40 e97h0017『バンクーバーの朝日』という映画にバントヒットで出塁した主人公が二盗、三盗してスクイズで生還するシーンがあります。映画祭で上映した際このシーンで外国人客が声を出して笑ったそうなんですね。これは俳優の芝居の「熱」が作り手の意図せざる笑いを誘ってしまったパターンではないかと思います。02/22 22:49 e97h0017外国人の反応は正直でピュアですよ。我々と違って俳優の芝居に対する先入観がないですからね。02/22 22:53 e97h0017常盤貴子さんが説明なくリテイクを求められることは俳優としてはとてもつらいことで、役の気持ちを全部理解して芝居に臨みたいと言っていて、これに対して大林宣彦監督がそんなことを考えてる時点で芝居は不自然なんだから、俳優は監督が必要だと思う表情をしてくれればそれでよい、と言っていました。02/22 23:21 e97h0017中井貴一さんが小津映画を引き合いに出して、究極的には棒読みかつ動きのない芝居でも観客に何かを伝えられるような俳優になりたいとおっしゃっていました。02/22 23:33
2015-02-22 23:59
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