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(10)鈴木先生 [ドラマレビュー]

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『 鈴木先生 』
最終回
( 2011年 テレビ東京=アスミック・エース 公式サイト
監督:河合勇人 脚本:古沢良太 出演:長谷川博己、臼田あさ美、土屋太鳳、田畑智子、富田靖子、でんでん

ここにまたひとつ傑作ドラマが誕生した、といったところでしょうか。

私はこれまでのレビューを通じて、本作が学園ドラマの既成概念を打ち破ったドラマであるということを一貫して強調し続けてきたのですが、前回のレビューに書いたことをちょっと恥ずかしく思っていて、それ自体がテレビドラマの既成概念に陥ってしまっていたものだったと反省しています。それは鈴木先生と対峙する足子先生(富田靖子)の「心の変革」が成し遂げられるはずだという先入観に立ってこのドラマの最終回を予測しようとしてしまった点で、彼女が山崎先生(山口智充)の二の舞になってしまったら、このドラマは何も描けていないことになるとまで書いてしまったことです。

ご覧いただいたように足子先生は山崎先生と同様に鈴木先生への対抗意識と嫉妬心が増幅され、最終的には精神が崩壊するというまったく同じ道を辿ってしまいました。このことは、実は第5話で描かれた小川蘇美(土屋太鳳)が抱えていた苦悩とその根源を同じくしていて、すなわち我々が社会生活を営む上で避けては通れない、人間社会が抱えている不条理からくるものなんだと思います。鈴木先生は新しい価値観に到達した生徒たちの姿を見て、そんな大人社会の不条理についての感慨に至ります。

  「他者を批判することで、自らを正当化する者のなんと多いことか・・・
 自分の意見を押し付けようと躍起になり、相容れない意見は相手の人格までも否定する者のなんと多いことか・・・」

鈴木先生が喫煙室で流した涙は、人間社会が作った不条理に抗うことができない徒労感とそんな愚かしい人間社会に対する失望感が入り混じったものだったと思います。鈴木先生と足子先生の考え方は永遠に相容れないものなのかもしれませんが、価値観が多様化している現代にあっては、そのこと自体は大した問題ではないのです。重要なのは、世の中には多くの価値観が存在するということを認めることであり、それが面倒で苦悩を伴うとしても、目を背けずに互いの価値観を共有することを真摯に模索することができれば、自ずと新しい道は開けてくるということです。樺山あきら(三浦透子)が言うように、このことは嫌いな人が多いというたったひとつの価値観で廃止されてしまった給食メニューを尊重しようとすることとまったく同じことなのです。

テレビドラマの最終回とは、ちりばめられた伏線をすべて回収し、すべてのエピソードにはっきりと決着をつけなければならない、というのはテレビドラマの制作手法としては当たり前の価値観であり、私は本作を既成概念を打ち破っていると表現しながら、最終回が既成の手法で作られるものだという思い込みをしてしまいました。私はこのドラマが描こうとしているテーマに近づくことを目指してきたにもかかわらず、一面的な価値観でしかこのドラマの結末を予想できなかったことを恥ずかしく思います。やはり頭では理解できていても、一般的に広く認知され出来上がっている価値観を疑い、まったく別の側面から物事を捉えようとする姿勢を保持するということは、とても困難な作業なのかもしれません。生徒たちが新しい価値観に到達し、新しい人間に生まれ変わる瞬間を目の当たりにしたあの感動を常に忘れたくないものです。我々大人はこのときの彼らの姿を心に焼き付けておかなければなりません。

  「麻美さん、つくづく思うよ。大人は子供を見くびっているって。
 新しい知識を得て、新しい考え方を身につける・・・それは新しい人間に生まれ変わるようなものだね。
 きっと彼らには世界が昨日までとはまったく違ったものに見えていることだろう。
 その瞬間を目の当たりにすることほど教師にとっての幸せはない」

私は生徒の「心の変革」が今まさに成し遂げられる瞬間を見つめる鈴木先生の目の潤いと輝きも同じぐらい忘れられません。このドラマはあの表情を切り取るために作り上げられてきたものだと言ってしまってもいいと思うし、長谷川博己さんはあの表情を生み出すためにここまで鈴木先生を演じてきたと言っても過言ではありません。我々は生徒が「心の変革」を迎えるその瞬間に本作の集大成と言ってもいいぐらいの素晴らしい鈴木先生の表情を目の当たりにしました。

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足子先生の一件で人間社会の不条理という現実に打ちのめされた鈴木先生が、たった今「心の変革」を成し遂げたばかりの生徒たちというもうひとつの現実に勇気付けられるというラストシーンは、本当に清々しいものでした。私は、観終わった余韻の中で生徒ひとりひとりの顔を思い浮かべてしまいました。今回描かれた生徒たちの議論を見ればわかるように、生徒ひとりひとりの顔がはっきりと思い出せるぐらいの繊細なキャラクター作りがなされていたのが本作なのです。私はこのラストシーンを観て、本作が先生と生徒が主役の正真正銘の学園ドラマであり、個々のキャラクターを手を抜くことなく適確に描き出すことに成功した正真正銘の人間ドラマだったことを確信しました。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

このドラマを総括してみたいのですが、ひとつはっきりしていることは、本作はテレビ東京だから製作することができたドラマだということです。本作のテーマおよび内容は、地上波で放送するテレビドラマとしては明らかにリスキーなものだし、実際、視聴率だけで評価すれば、広告料で成立するテレビ番組としては、その商品価値は最低ランクと言われても仕方がないところでしょう。大手民放ならば、絶対にこのリスクは取らないし、あえてリスクを取る理由もありません。

テレビ東京の山鹿達也プロデューサーによると、テレビ東京がプライムタイムにドラマ枠を新設するにあたっては、他局が作り上げている伝統のドラマ枠と同じ手法でドラマを作っても埋没してしまうだけだから、既成概念にとらわれない挑戦的なドラマを作っていこうという大前提があったそうです。言われてみれば『モリのアサガオ』にしても、『最上の命医』にしてもテーマそのものは挑戦的ではあったと思います。しかし、その表現手法だけを振り返れば、他局との差別化が図られていたとはとても言いがたいものでした。特に『最上の命医』は他局で濫造されている医療ドラマの焼き増しでしかなく、それこそ埋没してしまった印象です。とはいえ、この2作品はコンスタントに4%前後の数字を出しており、商品価値としては及第点だったとも言えるでしょう。ただし、テレビ東京が敢えて激戦枠である月曜22時にドラマ枠を新設した本来の目的は実現できなかったわけです。

私は挑戦的という意味では当初からこの『鈴木先生』こそが本命だったのではないかと思っていて、実際、本作はテレビドラマでは珍しい製作委員会方式を採用し、本放送後に有料でネット配信したり、早々にDVDの発売を告知したりと、低視聴率というリスクに対する備えは万全だったとも言えます。つまり、テレビ東京は本作をもって視聴率だけで評価される視聴率至上主義的な番組制作のあり方に一石を投じ、視聴率を元に計算されるスポンサー収入のみで成立する番組ではなく、そこにネット配信や派生商品に由来する収入を加味して評価される新しいテレビ番組のあり方を提示しようとしているのかもしれません。

それを現実的なものにするためには、視聴率は振るわないとしても、クオリティの高い作品を作るという前提が不可欠で、本作が少なくともその条件をクリアしているのは間違いありません。そして、その結果としてネット配信や書籍・DVDといった派生商品が売れるという状況を生み出さなければなりません。その意味では、私はこのドラマが映画化される可能性は高いと考えています。なぜなら、可能な限り派生商品を生み出すことでしか、本作の低視聴率は挽回できないからです。また、本作が挑戦的な作品だとすればそこまでやらなければ、挑戦は終わらないとも思います。映画界では挑戦的なアスミック・エースが製作に関与している以上、大前提として映画化という意向があってもおかしくないし、テレビ東京にはそのバックアップをする用意があると信じたいところです。

本作が示したように視聴率というものが必ずしも作品のクオリティを反映したものではないとしたら、クオリティを反映する新しい指標や価値基準が必要です。視聴率にこだわってクオリティがないがしろになってしまったらテレビの未来は明るくないからです。その基準とはつまり、派生商品の売り上げではないでしょうか。私としては本作については映画化までこぎつけていただいて、テレビ局が固く信じ続けてきた視聴率という価値観にとらわれない新しいテレビ番組のあり方を完成させていただきたいと思っています。視聴率というテレビ界では絶対的とも言える価値観を疑い、まったく別の側面からテレビ番組の存在価値を考えてみる・・・ここにも『鈴木先生』というドラマが表現しようとしてきたテーマが通じてくるような気がするのは、果たして偶然だろうか。テレビドラマは今まさに既成概念を打ち破る時期を迎えているような気がしています。本作の「成功」がその大きな契機となることを願っています。

(了)

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< 付記 >
テレビ東京の山鹿達也プロデューサーのインタビューです。
http://dogatch.jp/interview/tsukuruhito/index.html?bclid=p-int_no.59

<参考 : 緋桜山中2年A組 人物関係図>
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/special/book/book_img03.html 

<参考 : ネット局>
 ・ テレビ東京(関東広域圏)
 ・ テレビ北海道(北海道)
 ・ テレビ愛知(愛知県)
 ・ テレビ大阪(大阪府)
 ・ テレビせとうち(岡山県、香川県)
 ・ TVQ九州放送(福岡県)
 ・ 岐阜放送(岐阜県)
以上が同時ネット。以下は放送日時が異なる。
 ・ テレビ和歌山(和歌山県)※13日遅れ
 ・ テレビ熊本(熊本県)※15日遅れ
 ・ 新潟テレビ21(新潟県)※40日遅れ
 ・ BSジャパン(全国)※7月2日(土)22:00より放送開始。
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/onair/index.html


タグ:鈴木先生

(P)小川の辺 [映画プレビュー]

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(C)2011「小川の辺」製作委員会

『 小川の辺 』
( 7月2日公開 東映 103分 公式サイト )
監督:篠原哲雄 脚本:長谷川康夫、飯田健三郎 出演:東山紀之、菊池凛子、勝地涼、片岡愛之助

※ この記事は、作品を鑑賞する前に執筆したプレビューです。

私としては藤沢周平の小説が映画化されれば、
観ないという選択肢はありえず、本作についても早い段階から注目していて、その期待は大きいです。
本作は『山桜』(2007年 東京テアトル)とほとんど同じ制作スタッフであり、
特に脚本のお二人は藤沢作品の映像化では絶対的な信頼を置いていいと思っています。
また、演出的側面から見ると、私は過去の藤沢作品の映画化では黒土三男監督の『蝉しぐれ』(2005年 東宝)が
もっとも的確に藤沢作品の世界観を表現していたと思っていて、
これは私の印象ですが、篠原哲雄監督は、著名な山田洋次監督の三部作というよりも、
黒土監督がライフワークとし、一連の藤沢作品で
完成させた表現手法を踏襲しているような気がしています。

そして、私が本作にあってもっとも期待を寄せているのが主演の東山紀之さんです。
私は決して出番が多くはなかった『山桜』における東山さんのお芝居を拝見したとき、
こんなにも武士らしいたたずまいをしっかりと表現できる俳優さんは今日の日本映画界では稀有だと率直に感じました。
台詞が極端に少なかったこともあって、その武士らしい凛とした表情とたたずまいが強烈に印象に残っており、
本作の主演が東山さんだと知ったときは大いに納得したし、当然の成り行きだったと思っています。

私は山田洋次監督が『武士の一分』(2006年 松竹)の主演に木村拓哉さんを抜擢した理由を永遠の謎だと思っていて、
あの作品が失敗したところをひとつ挙げるとすれば、真っ先に主演俳優の名前を言いたくなるぐらいです。
木村拓哉さんが決定的に表現し得なかったのは「武士らしさ」で、
これは言うまでもなく作品の根本を揺るがす重大な要素です。ちょっと失礼な言い方になるかもしれませんが、
私生活で自分を律したことがない人が武士を演じるとこうなってしまうという悪例だったと思っています。
彼の劇中での歩き方ひとつとっても、「正中」に対する意識がまったく感じられず、
それだけで武士に非ざる浮ついた印象であり、私は冒頭数分で早くも「この人、武士じゃない」と思ったのを覚えています。

私は木村拓哉さんの初時代劇作品となった『忠臣蔵1/47』(2001年 フジテレビ)を観たときに、
この人はもう2度と時代劇に出演するべきではないと思いました。
初挑戦となった殺陣について、彼は「様式美に捕らわれない泥臭い斬り合いを表現した」というようなことを言っていましたが、
これは要するに「自分には殺陣はムリでした」ということを白状したも同然であり、
結局この方が俳優としては何も極めていない理由がなんとなくわかったのがこの時でした。
『武士の一分』のクライマックスにおける木村さんのへっぴり腰を見て、やっぱり極められなかったということを確認したのですが、
もっとも役柄が盲目だということを考えれば、これはある意味リアルな殺陣なのかもしれません。
なるほど山田洋次監督の狙いはそこにあったのか!・・・というのは皮肉です。
少なくとも木村さんが正攻法の殺陣をやらずに済んだのは確かですが。

それに対して、私は『山桜』で初めて東山紀之さんの殺陣を拝見したのですが、
たった1シーン、ほんの2分足らずの鮮やかな殺陣に完全に魅了されてしまいました。
「もっと見たい!」そう思わせる殺陣であり、私としてはその思いが数年越しに叶うことをとても喜んでいます。
また、『山桜』のメイキングや本作の宣伝のために東山さんが出演しているトーク番組などを拝見していると、
俳優という仕事にかけるプロフェッショナルな姿勢を垣間見ることができます。
ご自分では茶化し気味にお話されていますが、腹筋を1日1000回することを課すなど、
普段から自分を律するような生き方をされており、そういう目に見えない心構えは武士の生き様からもそう遠くはないはずです。
真に美しい武士のたたずまいというものは、「演じる」ことで表現するものではなく、「心構え」で表現するものだと思います。

Logo_YouTube.png 『山桜』メイキング
http://youtu.be/gYpvY7QxIbk
http://youtu.be/PyhwB3z-abc

「土台がしっかりしていれば、自ずとそういう男になっていくような気がしますし、楽しくというよりも、厳しく演じていきたい」

武士を演じるということは、我々の想像を絶する厳しさがあるに違いありません。
自分を律することができる俳優にしか武士を演じる資格はないのです。
東山紀之さんはそれを兼ね備えた近年では貴重な俳優さんであり、本作は待望の主演作品です。

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(9)鈴木先生 [ドラマレビュー]

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『 鈴木先生 』
第9回
( 2011年 テレビ東京=アスミック・エース 公式サイト
監督:橋本光二郎 脚本:古沢良太 出演:長谷川博己、臼田あさ美、土屋太鳳、田畑智子、富田靖子、でんでん

最終回も引き続き「鈴木裁判」が描かれることになりますが、今回の終盤に描かれた生徒たちの自主的な議論を見ていれば、鈴木先生(長谷川博己)はもはや「無罪」を勝ち取っているに等しい状況と言ってもいいでしょう。この「鈴木裁判」の始まりは、今回のことでもっとも傷ついた生徒・丹沢栞(馬渕有咲)が一方的な感情に任せて主導しようとした「吊るし上げ」の色彩が濃く、彼女の感情を理解し、彼女の行動に追随することは、他の生徒にとってはそもそもが困難な作業でした。そのあたりの丹沢と他の生徒たちの気持ちの齟齬を描いていたのが今回の生徒たちの議論だったわけですが、確認しておかなければならないのは、この間、鈴木先生は一言も発していないということです。そして、その結果として「鈴木裁判」は、鈴木先生が一方的に裁かれる場ではなく、鈴木先生と生徒が互いを新しい価値観へと導きあう健全な議論の場へと変化していくのです。

この一連の議論を黙って見ていた鈴木先生は、やはり中学生には高等な議論は不可能かもしれないと思い始めます。この流れを最初に変えたのは誰だったでしょうか。それは本作中もっとも多くのことを体験し、もっとも高い学習率を実現した竹地公彦(藤原薫)でした。自分が議長を引き継ぐ・・・あの「竹地事件」で醜態をさらし、クラスメートに対して大きなわだかまりを残している竹地にとって、この宣言はどれほどの勇気が必要だったことでしょうか。あの一件で感情を暴走させてしまった竹地が、感情をぶつけ合うクラスメートをさえぎって、冷静な議論の場に導こうとしている。これこそが鈴木先生が言うところの「実験の結果」の一端に他なりません。さらに、竹地の資質を疑う意見を親友の紺野徹平(齋藤隆成)が打ち消し、小川ファン五人衆の面々が追随して竹地をフォローしていきます。竹地の勇気が連鎖反応を起こし、まるでクラス全体が意思を持っているかのように、議論の方向性を自己修正していきます。

そして、こちらもすでに「覚醒」を果たしている小川蘇美(土屋太鳳)と中村加奈(未来穂香)の二人は、今回の一件に対して努めて冷静に対処しようとします。この二人が鈴木先生に対して中立を宣言した理由は、おそらく鈴木先生のできちゃった結婚の是非を自分たちで判断できなかったからですが、その一方で丹沢たちが「裁判」という形式を採ろうとしていることに対しては疑問を持っていたと思われます。それでも二人はあえて机の移動に加担し、中村と小川は裁判を続行するべきだと意見します。クラス全員で鈴木先生に噛み付いてしまった以上、もう引き下がれない・・・私はこのとき二人が用いた論法にしびれる思いでした。

小川と中村は、裁判という形式にこだわって感情的になる丹沢と、彼女とは対照的に冷めた態度をとる男子生徒の議論、というよりも罵り合いをあえて静観していた可能性があります。感情を暴走させた丹沢は泣き出し、それを見た男子生徒は裁判を放棄しようとします。どうでしょう、これは鈴木先生がこれまで用いてきた「学びの場」を創造するための手法と何ら変わらないではありませんか。つまり、二人はクラスメート同士の感情がぶつかり合う状況をあえて作り出し、それを「止めない」(=体験)ことによって、クラス全員を議論の当事者に仕立て、確信犯的に鈴木裁判を「学びの場」に変えてしまったのです。

というわけで、これまでのエピソードで中心的に描かれてきた生徒たちに限って言えばすでに「心の変革」は成し遂げられており、それが巧みに織り込まれていたのが今回描かれた「鈴木裁判」の端緒だったと考えられます。最終回では、これまで中心的な役割を果たしてきた生徒以外の生徒―それは「クラス全体」と言い換えることもできる―がすでにはっきりと「学びの場」と変わっているこの「鈴木裁判」において、どのように「心の変革」を成し遂げていくかに焦点が移っていくと思われます。彼らがそれを成し遂げるのはもはや間違いないので、私の興味はその「過程」と「成果」をこのドラマがどう魅せてくれるのかにあります。今回の終盤をもってしても、もうすでにスゴイものを見せられてしまった感があるので、この点についての期待は否が応にも大きくなってしまいます。

一方で、結末が読めない要素も存在しています。あろうことか別室で鈴木裁判を観戦している足子先生(富田靖子)と神田マリ(工藤綾乃)の「心の変革」を無視してこのドラマが決着することはありえないでしょう。鈴木先生がクラス全体を見事に心の変革に導き、足子先生がそれを目の当たりにしてしまったら、彼女の精神はいよいよ崩壊し、山崎先生(山口智充)の二の舞となってしまう可能性があります。まったく同じことの繰り返しでは不毛だし、ドラマとして何も描けていないということになってしまいますから、この方面の問題解決では、もうほぼレールの上に乗っている「クラス全体の心の変革」とは裏腹に、鈴木先生自身の人間的成長が問われていると言えるかもしれません。神田マリについては入江沙季(松本花奈)を通じて何らかの影響力が及ぶと想像できますが、こちらもどのような結末を辿るのかちょっと読みきれません。

さて、ここからはちょっと技術的な話になりますが、今回終盤の鈴木裁判において生徒たちが発するひとつひとつの台詞が生き生きしていることといったら、それだけで感動ものでした。こんなにも生徒ひとりひとりのキャラクターがしっかりと立っている学園ドラマはいまだかつて見たことがありません。既成の学園ドラマでは、生徒たちの議論を描く場合、ひとつひとつの台詞がキャラクターを表現するためというよりも、そのシーンを展開させるために作られてしまっているのが当たり前でした。言ってしまえば、誰がその台詞を言おうと表現的に大差はなく、視聴者がそれらの説明的な台詞に引き込まれることはありません。

本作においては、大前提としてひとつひとつの台詞にそれぞれのキャラクターがしっかりと織り込まれており、この台詞をこの生徒が言う、というところにも重要な意味づけがなされています。これによって、そのシーンをしっかりと展開させながらも、議論が生み出す起伏やうねりのようなものまでも表現することに成功しており、こうして生み出された生徒たちの議論の生々しさやリアリティといったものは我々の気持ちを引き込むには十分すぎるものでしょう。もちろん生徒を演じているひとりひとり俳優さんの目に見えない繊細な役作りとこのシーンに臨む集中力も賞賛しておかなければなりません。そういう生徒たちの生きた台詞とお芝居が最終回でも引き続きがっつり観られそうなのは本当に楽しみです。

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< 付記 >
堀の内七海役の松岡茉優ちゃんによる橋本光二郎監督のインタビューです。
http://odoroku.tv/vod/0000041CE/512.html (前編 24:08)
http://odoroku.tv/vod/0000041D6/512.html (後編 20:43)
視聴するにはWindowsMediaPlayerが必要です。

<参考 : 緋桜山中2年A組 人物関係図>
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/special/book/book_img03.html 

<参考 : ネット局>
 ・ テレビ東京(関東広域圏)
 ・ テレビ北海道(北海道)
 ・ テレビ愛知(愛知県)
 ・ テレビ大阪(大阪府)
 ・ テレビせとうち(岡山県、香川県)
 ・ TVQ九州放送(福岡県)
 ・ 岐阜放送(岐阜県)
以上が同時ネット。以下は放送日時が異なる。
 ・ テレビ和歌山(和歌山県)※13日遅れ
 ・ テレビ熊本(熊本県)※15日遅れ
 ・ 新潟テレビ21(新潟県)※40日遅れ
 ・ BSジャパン(全国)※7月2日(土)22:00より放送開始。
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/onair/index.html


タグ:鈴木先生

Twitter 20110622 [Twitter]

  • e97h0017e97h0017大河ドラマ『新・平家物語』(1972年)デジタルリマスター版。仲代達矢さんのお芝居が凄すぎる。比べてはいけないのはわかっているが、若輩の松山ケンイチくんがこのレベルに到達できるわけがない。主演のみならず現代の名だたる俳優をどんなに並べようとも、こういう重厚な表現には程遠いだろう。06/21 22:12
  • e97h0017e97h0017「一族の絆を描く平安のゴッドファーザー」だって。ただのキャッチコピーなら結構だが、時代劇という表現に現代的価値観を投影させようとするのはもう勘弁していただきたい。近年の大河はそういう趣向がないと企画が通らないかのようだ。時代を正攻法で描く大河ドラマでどんな不都合があるというのか。06/21 22:20
  • e97h0017e97h00172013年大河ドラマは綾瀬はるかちゃん主演で新島八重の生涯を描く「八重の桜」に決定しました。主人公は会津藩出身で、戊辰戦争では銃をとって戦い、維新後は従軍看護婦となった才媛。http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/86512.html06/22 16:46

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(8)鈴木先生 [ドラマレビュー]

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『 鈴木先生 』
第8回
( 2011年 テレビ東京=アスミック・エース 公式サイト
監督:河合勇人 脚本:岩下悠子 出演:長谷川博己、臼田あさ美、土屋太鳳、田畑智子、富田靖子、でんでん

やはりこのドラマが表現しようとしているものは我々の想像をはるかに凌駕しているようです。漠然とではありますが、これまでのストーリーは最初からこれをやりたいがために構成されていたと感じています。私はこれまでのレビューにおいて、本作がつむぎだすエピソードは我々が生きる現実社会に当てはめて考えるべきもので、大人が自らの価値観を見直すきっかけとしなければならないということを述べてきました。今週はそういう本作の大きなテーマが投影されている登場人物が実は鈴木先生(長谷川博己)で、彼自身が一般的な「大人」を代表する存在だったという事実が明らかになった回だったのではないでしょうか。可能であれば、第7話までを再度見返していただき、面倒でなければ、これまでのレビューを再度読み返していただきたいのですが、今回鈴木先生が陥ってしまった教師人生最大の危機とそこに至る過程には、これまで描かれてきたエピソードが集約されているような気がしています。

たとえば、足子先生(富田靖子)の鈴木先生への対抗心と嫉妬心は、第3話までで描かれた山崎先生(山口智充)のそれとほとんど差異はないし、さらに言えば、第5話で描かれた小川蘇美の苦悩、すなわち自分らしさを封印して仮面をかぶって生きていかなければならないという現実社会の不条理にも通じるものがあるかもしれません。つまり、鈴木先生が実践した「鈴木式教育メソッド」とは、言ってみれば自己主張に他ならず、足子先生の中に醸成された嫉妬心とは、鈴木先生が社会生活を営む上での暗黙のルールを侵してしまった(=いつの間にか仮面を脱いでしまっていた)結果とも言えるかもしれません。また、第4話の「竹地事件」で巧みに描かれていた事象のように鈴木先生は意図せざるところで足子先生を傷つけていたとも言えます。これは第2話で描かれた食事マナーに関するエピソードにも通じるところがあって、自分の行動の結果を見届けるということは、社会人の責任であり、鈴木先生はこの点を疎かにしてしまった可能性があります。

今回、鈴木先生が陥った危機のうち最大のポイントは、恋人の秦麻美(臼田あさ美)の妊娠が生徒たちに発覚してしまったことですが、第6話で描かれた鈴木先生の性に対する価値観に立てば、ある意味、「できちゃった結婚」は必然だと思います。つまり、双方に「覚悟」が伴っている以上、それによって「生まない」という選択肢はありえないし、それによって二人の関係が壊れることもありえませんから、どちらが先でどちらが後だという話はあまり意味がありません。しかし、それはあくまでも鈴木先生の価値観に立ったときに成立する話であって、竹地の母親の反応に代表されるように現実社会のおいては容易に受け入れてもらえるものではないでしょう。ましてや鈴木先生は教師なのです。第7話で鈴木先生が語った「許されているに過ぎない価値観」とは果たして何だったのでしょうか。鈴木先生独自の恋愛観および性理論は、彼がそれらをどれだけ信じていようとも、彼が教師であるが故に許されない可能性が出てきました。

今週はクライマックスに向けての助走的な意味合いが強い回で、言うまでもなく鈴木先生がこの窮地をどう切り抜けていくのかが今後の焦点となってきます。鈴木先生が置かれた状況とは、上述のとおり極めて複雑であり、私自身頭の中でうまく整理できていないのですが、少なくともこのドラマが描こうとしていることは、たとえばあのドラマのように主人公が結婚するとかしないとか、主人公が教師を辞めるとか辞めないといった表面的な問題ではないのは確かです。表面的なエピソードの裏側に存在するテーマを読み取る・・・もちろんこれまでもそうだったのですが、我々はこれまでにも増してその事を肝に銘じ、残された第9話と最終話に心して向き合わなければなりません。

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(1)鈴木先生 (2011-04-29)

< 付記 >
第4話で竹地の吐瀉物を掃除した堀の内七海役の松岡茉優ちゃんが河合勇人監督にインタビューをしています。
http://odoroku.tv/vod/0000041E8/512.html (前編 20:41)
http://odoroku.tv/vod/0000041F7/512.html (中編 15:05)
http://odoroku.tv/vod/000004204/512.html (後編 21:31)
視聴するにはWindowsMediaPlayerが必要です。

<参考 : 緋桜山中2年A組 人物関係図>
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/special/book/book_img03.html 

<参考 : ネット局>
 ・ テレビ東京(関東広域圏)
 ・ テレビ北海道(北海道)
 ・ テレビ愛知(愛知県)
 ・ テレビ大阪(大阪府)
 ・ テレビせとうち(岡山県、香川県)
 ・ TVQ九州放送(福岡県)
 ・ 岐阜放送(岐阜県)
以上が同時ネット。以下は放送日時が異なる。
 ・ テレビ和歌山(和歌山県)※13日遅れ
 ・ テレビ熊本(熊本県)※15日遅れ
 ・ 新潟テレビ21(新潟県)※40日遅れ
 ・ BSジャパン(全国)※7月2日(土)22:00より放送開始。
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/onair/index.html


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