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(10)大切なことはすべて君が教えてくれた [ドラマレビュー]

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『 大切なことはすべて君が教えてくれた 』
最終回
( 2011年 フジテレビ 公式サイト
演出:西浦正記(FCC) 脚本:安達奈緒子 出演:戸田恵梨香、三浦春馬、武井咲

テレビ業界に身を置くプロデューサーならば、このことは痛感しているはずですが、
最終回が最低視聴率だったなどということは、ドラマ制作者にとってもっとも恥ずべき事態ということになるでしょう。
このドラマ最大の失敗―これまでも散々列挙してきたが―は、最初から物語の結末が読めてしまう点です。
というよりもそもそもこのドラマのタイトルからその結末を類推することは十分に可能であり、
仮に「大切なこと」が二人が別れを選択する理由だとしたら、それは二人にとって「大切なこと」にはなりえません。
これはロジックの問題ですが、多くの視聴者が漠然とでも、そのことを読み取っていたのではないでしょうか

少なくともこのドラマのタイトルから得られる印象は、どちらかといえば「前向き」(=ハッピーエンド)なものだと思います。
ストーリー的にも最終回を前にして二人が別れを選ぶ理由が一切見当たらず、
我々はこのドラマの最終回を観て、どこに盛り上がりを見出せばよかったと言うのでしょうか。
最終回に向けてのいかなる「盛り上がり」も作れなかったことは、ドラマ制作のプロとしては最低の仕業であり、
このドラマのプロデューサーには、もう2度とラブストーリーを作らないでください、と申し上げたい。

私は、前回のレビューで佐伯ひかり(武井咲)の「心の成長」の描写は完了したと書きました。
前回、葉山裕記監督がひかりの心情を丁寧に切り取ってくれたのに、
どうして最終回に至ってもなお、ひかりの心を揺さぶるようなシーンを作らなければならないのでしょうか。
あれは「尺あわせ」のために無理やり作ったエピソードとしか私には思えません。
このシーンにおける柏木修二(三浦春馬)の言動が有する矛盾点を指摘し、
このドラマ―とりわけ脚本―の質を改めて問いたいと思います。

柏木修二が支離滅裂な人間であることはとっくの昔から知っていましたが、
今回、彼がひかりの電車旅に終点まで付き合う気になった目的は一体何だったのでしょうか。
前回、「北斗星」に思わず乗ってしまった修二は、ひかりに「行ってきます」と言わせることによって、
その本来の目的は達成しており、普通に考えれば大宮駅で降車するのがまっとうな流れというものでしょう。
それなのに修二は、嬉しそうに「キャンセルが出た」と言って、寝台まで取ってしまいました。
そして、ひかりに「ちゃんと君と話がしたかった」と言ったので、これが彼の行動の「目的」ということになるのでしょう。
それでは、修二がひかりに話したかったこととは何だったのでしょうか。以下に要点的発言を列挙します。

(1)「僕は君を愛していない」
(2)「僕との思い出なんか大事にしてはいけない」
(3)「もっとちゃんと愛して、愛される人に出会わなければダメだ」
(4)「僕は忘れない。君に会えてよかった」

なぜ改めてひかりに(1)を言わなければならないのか。
ひかりを突き放すためだろうか。だったら付いて来なければよかったんだ。
(2)も同様で、修二が付いてこなければそもそも「思い出」になんかならなかったんだ。
(3)については、自惚れるのもいい加減にしろと言いたい。ひかりにとっての「男」が自分だけだとでも思っていたのか。
修二に言われなくても、ひかりは新しい恋愛にも積極的に飛び込んでいけたはずだ。
このドラマはしっかりとひかりの精神的成長を描いており、それを象徴しているのが今回の一人旅なのである。

ここからは一般論になりますが、10代の恋愛とは忘れなければならないものなのでしょうか。
多くの人がこの時期に「失恋」というものを経験するのです。
ひかりの修二への恋愛感情だって、青春時代の淡い恋のひとつにすぎないし、誰もが経験する失恋と変わりはありません。
確かに思春期の失恋とは辛いものかもしれません。その時は必死に忘れようとするかもしれません。
しかし、大人になった時、あの経験があるからこそ今の自分がいると思えるようにしてくれるのが、
失恋の経験なのではないでしょうか。青春時代の恋は「思い出」にすればいい、それだけの話です。
確認しておきますが、実際、ひかりはそうしようとしていたのです。

そして、度肝を抜かれたのが(4)の発言です。
ひかりに「忘れろ」と強要したことを自分は「忘れない」と言ったんですよ、この人は。
確かに「大切なことをすべて教えてくれた」のがひかりですから、
修二がひかりを忘れることは、このドラマの根幹を揺るがすことになるかもしれません。
でも、「お前は忘れろ、オレは忘れない」と堂々と宣言してしまうのは、どういう心理状態なのでしょうか。
一連の発言がひかりの将来を思ってのことであれば、嘘だとしても「オレも忘れるから、君も忘れろ」と言うのがスジでしょう。
好きな人に「君のことを忘れない、君に会えてよかった
」と言われてしまったひかりの気持ちはどうなってしまうのでしょうか。

つまり、修二は、ただ「カッコいいこと」を言って、自分の心の置き所を定めたかっただけであって、
結果としてひかりの心に自分の存在を植えつけてしまうという、まさに支離滅裂で矛盾に満ちた発言をしたにすぎません。
結局、修二の一連の発言は、ひかりの将来にとっては言っても言わなくても同じことで、大した意味は成しておらず、
上村夏実(戸田恵梨香)にプロポーズする前段階として、ただ単に自分の気持ちをスッキリさせておきたかっただけでしょう。
このシーンで修二は、「ジャイアン的論理」によって徒にひかりの心を揺さぶり、自分の心の置き所を見つけたわけです。

バカらしいのは承知で、真面目な解釈を試みましたが、
このシーンに対してどんなに真摯に向き合っても、以上のような解釈にしかたどり着けないと思います。
それとも、このドラマの作り手は視聴者に対して、このシーンをもっとざっくりと観てくださいとでも言うのでしょうか。
技術的に言えば、このシーンの意味は、ひかりを使って修二が出した結論(=夏実との結婚)に
説得力を生み出す役割があると考えられるわけですが、今さらそんなものが必要ないのは、冒頭で述べたとおりです。
したがって、このシーンが最終回の「盛り上がり」のためには何ら貢献していないのは言うまでもないし、
みんなすでに知っていることを最終回にして、散々確認させられてもシラけるだけです。
付け加えておきますが、「北斗星」に乗ってきた津島昭宏(尾藤イサオ)の存在は、
修二が結論を出す過程を補強するためのものだし、夏実に対しては序盤に平岡直輝(菅田将暉)を使って、
修二のどこが好きなのかを改めて説明させており、二人の結論がはっきりしているのに我々は盛り上がりようがありません。

このドラマの作り手が最終回に「盛り上がり」を付与するために用意した(と思われる)のが空港のシーンで、
どういうわけか夏実は「偶然」を狙って空港まで修二を迎えにきてしまうわけです。
案の定、陣痛を起こして倒れこむ夏実のことを修二が発見し、なりふり構わず走り出します。
製作者は修二を走らせたかったんでしょう。夏実のために修二が走れば盛り上がると思ったんでしょう。
このシーンは『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年 東宝)へのオマージュでしょうか。
はっきり言っておきます。盛り上がったのはあなたたちだけですよ。

「すごい、会えた・・・」

こんなに白々しい台詞があるでしょうか。
会えたことが「奇跡」みたいな言い方をされても困ります。
確認しておきますが、夏実は東京で待っていれば誰にも迷惑をかけずに修二に会えたのです。

このドラマのプロデューサーにラブストーリーの最終回を盛り上げる最良の手段をお教えします。
二人が出した結論を最終回の終盤まで隠しておくことです。
そんなことも知らない人間がドラマのプロデューサーをやってはいけません。
最後にもう一度お願いいたします。もう2度とラブストーリーを作らないでください。

(了) 

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ETERNAL WIND - 森口博子 [音楽]


森口 博子
『 ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~
作詞:西脇唯 作曲:西脇唯・緒野原洋子 編曲:門脇聡
( 1991年2月5日 / キングレコード )

          Official Wikipedia / Words          

アニメ『機動戦士ガンダム』の世界観がそれまでのロボットアニメと一線を画するのが、
その舞台設定は遠い未来でありながら、きわめて「現実的な戦争」を題材とし、
実写ではかえって描写しがたい「戦争の醜さ」からも目を背けずに積極的に盛り込んでいる点だと思います。
具体的に言うと、『ガンダム』ではシリーズを通じて、ほぼ例外なく民間人が戦争に巻き込まれ、殺されるのです。

象徴的な描写が最初のシリーズ『機動戦士ガンダム』(1979年 名古屋テレビ)の第1話に盛り込まれています。
主人公が暮らすスペースコロニーが突如として戦場となり、宇宙船が停泊する港に民間人が殺到しますが、
必死に逃げる民間人の列にミサイルが飛び込み、いきなり多くの民間人が露骨に死にます。
このミサイルというものが必ずしも「敵」によるものではなくて、
民間人を守るべき軍隊によって放たれた流れ弾かもしれないと思わせるところも戦争の理不尽さを強調しています。
この民間人の死者の中には主人公の幼馴染の母親も含まれていて、主人公の少年(=アムロ・レイ)は、
母親の死を受け入れられない幼馴染を勇気づけ、この理不尽な状況に立ち向かうべく、
自らモビルスーツと呼ばれるロボット兵器(=ガンダム)に乗り込み、戦うことを決意するのです。

この『ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~』という曲は、
1991年に公開されたガンダムシリーズの劇場版『機動戦士ガンダムF91』(松竹)の主題歌ということになります。
この『機動戦士ガンダムF91』においてもファーストシリーズの冒頭とまったく同じことが繰り広げられます。
平和なコロニーに侵攻してきた敵に立ち向かうべく武器を手に取った友人の死を目の当たりにしてしまった
主人公の少年シーブック・アノーは、モビルスーツの操縦席に乗り込み、生きるために為すべきことを探し始めます。
この映画でも、戦闘に巻き込まれた民間人が死傷する描写がこれでもかというぐらい多数盛り込まれています。
中でもモビルスーツが発砲したあとに排出される薬きょうが直撃して即死する、幼子を抱えた母親の絵は衝撃的で、
遠い未来を舞台としたSFアニメでありながら、理不尽で現実的な戦争を実感させられてしまいます。

そして、極めつけは終盤に登場する「バグ」と呼ばれる大量殺戮兵器の存在です。
これはスペースコロニーを掌握するためにそこに住む人間を一人残らず抹殺する(=コロニー掃除)ための兵器で、
「バグ」という自己完結した無人ロボットが、人間が発する熱や二酸化炭素などの生体反応を感知して、
自動的に人間を殺傷していきます。本編では「数日で掃除は完了する」などという恐ろしい台詞がありますが、
ロボットにやらせて人が直接手を下さない殺戮だからこそ感覚が麻痺してしまうのです。
私は、アメリカ人が「原爆」によって広島と長崎で行った非戦闘員に対する無差別大量虐殺も、
命令を下した人間(=アメリカ合衆国大統領)の感覚は、これと大差はないと思っています。

というわけで『機動戦士ガンダム』とはロボットアニメというよりもリアリティを追求した戦争ドラマに近いもので、
この『機動戦士ガンダムF91』を「戦争映画」に類型しても、なんらの違和感も感じません。そういう認識で
『ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~』の歌詞や曲を解釈してみると、そのメッセージ性は強烈です。
過去も現在も、そして未来においても人類共通の願いというものは変わらないし、
この「願い」を永遠の課題としていかなければならないのが人類の宿命なのかもしれないという、
ある種の達観した価値観がテーマとして組み込まれているのが「ガンダム」という作品なのかもしれません。

Pray don’t  break a peace forever... (どうかいつまでも平和の風が吹き止みませんように...)

たとえそれが「人類の宿命」だとしても、平和への祈りを止めてはならない・・・
この曲には「ガンダム」というドラマのメッセージ性が集約されています。

(参考リンク)Logo_YouTube.pngアニメ『機動戦士ガンダム』第1話
Logo_YouTube.png映画『機動戦士ガンダムF91』AMV
 Logo_YouTube.png大量殺戮兵器「バグ」
 Logo_YouTube.png森口博子「君をみつめて-The time I'm seeing you-」


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(9)大切なことはすべて君が教えてくれた [ドラマレビュー]

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『 大切なことはすべて君が教えてくれた 』
第9回
( 2011年 フジテレビ 公式サイト
演出:葉山裕記 脚本:安達奈緒子 出演:戸田恵梨香、三浦春馬、武井咲

私がこのドラマを観ることで得られた数少ない収穫のひとつが葉山裕記監督の繊細な演出を知ることができたことです。
第4話のレビューでも触れましたが、葉山監督は登場人物の感情の要所を捉えるのがとても上手な方だと思います。
主人公二人の感情についてはそもそも説得力を有していないので、
今回も佐伯ひかり(武井咲)についての感情表現から、葉山演出を掘り下げてみたいと思います。

来週に控えた最終回の焦点が主人公二人の結婚であることを考えると、今回は主人公の周囲の状況、
とりわけ佐伯ひかりを取り巻く状況に決着をつけることに時間を割かなければならなかったでしょう。
今回は佐伯ひかりの心情描写のためのシーンが3つありましたので、
それぞれのシーンを演出的側面から掘り下げてみたいと思います。

このドラマの序盤で描かれた佐伯ひかりの柏木修二(三浦春馬)に対する屈折した愛情表現の根底には、
自らが「欠陥」と表した先天的に抱える病気と交通事故で失った姉へのコンプレックスがありました。
ひかりがそれらを克服していく過程を描くことがこのドラマのもうひとつの側面ですから、
ひかりを取り巻く状況に決着をつけるためには、彼女の「心の成長」の到達点を明確に表現しておかなければなりません。
前回まででも、ひかりが辿り着いた答えのひとつとして、自分の過去、
とりわけ姉の死から目を背けずに真正面から向き合おうとするひかりの態度が描かれてきましたが、
今回も改めてそのあたりのひかりの心情を印象付けるシーンがしっかりと盛り込まれていました。

ひかりの母は、家族4人で過ごした家を売ることで、ひかりの姉・ゆかりの存在を必死に忘れようとしているわけですが、
ひかりは家のリビングの床についた傷を見て、姉の誕生日を家族で祝った幸せな日々を愛おしく思います。
このシーンでは合計5つのショットでひかりの表情を捉え、ひかりの「決意」を印象付けています。
下に示した3つのショットはいずれも、ゆったりとしたズームインを使用しており、
ひかりの表情をもって彼女の内面を表現し、「心の成長」を印象付けようとする演出が試みられています。

  A (Z.I.)
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 B (Z.I.)
2011032404.jpg
  C (Z.I.)
2011032405.jpg
 

Aのショットは、自身が辿り着いた答えが間違っていなかったというひかりの「確信」を表現していて、
床の傷を見て、やはり姉との思い出を消し去ってはならないということを強く実感した瞬間の表情です。
Bのショットでは、母を旅行に誘う時のひかりの穏やかな表情を捉えることによって、
彼女の気持ちには、もはやいかなる迷いも存在しないことが表現されています。
そして、Cのショットは、母の気持ちを翻せないことを知った直後の表情ということになり、
姉との思い出を自分ひとりで背負っていこうとする新たな決意と強い意思が読み取れます。

このような演出手法は第4話の冒頭でも試みられていて、ひかりの心情をその表情のみで語らせ、
ひとつひとつの表情を印象付けることによってはっきりと巧みにその内面を描くことに成功しています。
私は登場人物の表情をもってその心情を印象付けようとするこれらの葉山演出を高く評価しています。

ひかりの心情の変化を印象付ける2つ目のシーンが、佐伯ひかりが柏木修二と進路面談をするシーンです。
このシーンでひかりが見せる表情からは、序盤に修二に対して見せていた虚勢も強がりも鳴りを潜め、
白紙の進路表とは裏腹に、自分の生き方に微塵も迷いがないすっきりとした素直な笑顔になっています。

 「私、ひとりじゃないから」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011032406.jpg

第6話でひかりが修二に言った「ひとりの方が楽」が100パーセント強がりだったことを考えると、
何の迷いもなくひかりの口から出たこの台詞は、彼女の成長を端的に表現したものということになるでしょう。
ここでいう「ひとりじゃない」の意味が、「姉と共に生きていく」という決意表明であることは言うまでもありません。
そして、このシーンでひかりが口にした「冗談です」というキーワードがその後のシーンにつながってきます。

ひかりが修二との関係を「冗談」にできるのは、
ひかりが修二への恋愛感情を彼女なりに処理することができた証であり、
ここにもひかりのひとつの成長を見出すことができます。
しかし、上野駅でひかりを見送る修二に対して、「恋人同士に見えるかな」とひかりが冗談を言ったのは、
修二を安心させるためであり、あくまでも「ひとりで」この旅に臨もうとするひかりの意思が窺えます。
前のシーンでひかりが口にした「冗談です」にこのシーンでは、
もうひとつの別の意味が込められているところは、大変巧みな趣向だと思います。

さらに、ひかりの「さようなら」という言葉を打ち消すために電車に乗ってしまった修二に対して、
ひかりが再度口にした「冗談」というキーワードには否定句が継がれ、表面的には正反対の意味となります。
しかし、この台詞の裏側を読めば、結局はこれまでと同じ意味を持つ言葉として投げかけられたものだと解釈できるのです。

 「・・・冗談・・・じゃなくて・・・」

ひかりがすでに修二との関係および修二に対する感情に折り合いをつけていることを考えると、
この状況で修二に対して素直に「もう少し一緒にいて欲しい」と言えるのは、
ひかりがさらにもうひとつ階段を上ることができたことを意味すると私は解釈します。

 「じゃあ・・・それまででいい・・・」・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011032407.jpg

私はこのときのひかりの表情から、彼女の「心の成長」の描写は完了したと感じました。

最終回についてこの方面のみ言及しておくと、
水谷亜弥(内田有紀)の説得を受け入れたひかりの父親(神保悟志)が、
母親(宮本裕子)との間に存在したわだかまりを解消すべく積極的さを見せ、
最終的に両親そろってひかりを旅先に迎えに行くというような流れを予想しています。

さて、このドラマをそれなりに丁寧に観てきた人ならば、
今回、佐伯ひかりが見せる表情や仕草、あるいは台詞から伝わってくる印象といったものが、
ひとりの女性としてかなりアカ抜けたものになっていることにお気づきかと思います。
このドラマのストーリーの一要素が前述のとおり、ひかりの成長記だとすれば、
演出的にはこのドラマを通じて序盤と終盤で彼女のビジュアルに変化を付与するのも重要な仕事になってくると思います。

 2011032402.jpg
第1話
 2011032401.jpg
第9話

これは印象の問題ですから、ちょっと曖昧かもしれませんが、
今回のひかりは、序盤と比して都会的で洗練された女性に成長したという印象を私は持ちました。
以前、『耳をすませば』(1995年 東宝)のレビューで、
主人公の成長が髪の毛の色の変化で表現されているということに言及したことがあります。
ひかりのヘアースタイルということで言えば、分け目を変えるだけで女性はとても印象が変わるものです。
ひかりの髪の毛の色が実際に明るくなったのかは確認できなかったのですが、
技術的にはライティング、美術的にはメイクアップなどによって
ひかりのビジュアルにも変化を印象付ける演出が施されているのは確かなような気がしています。

この低レベルのドラマにおいて、佐伯ひかりについての描写のみを振り返ると、
ストーリー上もキャラクター表現上も賞賛に価するものが多かったし、
さらに言えば、本作を通じて実感した武井咲ちゃんの女優としての大きな成長を思うと、
やはり佐伯ひかりを主人公にして別テーマでこのドラマを作り上げていれば、
どんなに魅力的なドラマに仕上がっていただろうかと思ってしまいます。

 2011032408.jpg 

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最後の10完歩 - JRA [CMレビュー]


JRA(日本中央競馬会)
『 最後の10完歩 』
( 2011年 / 博報堂 )
演出:岡田隆 音楽:小田和正「woh woh」 出演:武豊、シルバーウルフ

          Company site  / Commercial site  / Wikipedia          

JRAは、ギャンブルという要素が先行しがちな「競馬」というものに対するイメージ戦略として、
馬券を売るための商品広告とは別に、2000年より「ブランド広告」を積極的に展開しています。
JRAのブランド広告はとても美しいものが多くて、毎年楽しみにしているのですが、
それらの歴代のCMの中でも間違いなくもっとも美しく、もっとも完成度が高いのが本作ということになります。

このCMは、2001年に「最後の10完歩」と銘打って通年で展開されたCMを再編集したもので、
2001年のものよりもジョッキーの美しい騎乗姿勢が余すところなく見ることができます。
このような映像は、競馬ファン、もっと言えば競馬サークルの中にいるプロでも目にしたことがなかったもので、
競走馬が走るときの躍動感やジョッキーの騎乗姿勢の美しさに多くの人が目を奪われました。

武豊という人は日本でもっとも有名な騎手ということになると思いますが、
同時に中央競馬で一番勝っている騎手であり、様々な記録にその名を刻む日本競馬界の至宝とも言うべき方です。
そして、このCMを見た誰もが、武豊が日本一美しい騎乗フォームのジョッキーであることを確認したのでした。
ぜひ注目していただきたいのが、ジョッキーの腰の位置で、
時速60km以上で疾走する馬上にあって、まったく上下動がないのは驚くべきことです。

馬の「完歩」とは、最初の前肢が接地してから次にその前肢が接地するまでのことで、
レース時に競走馬が1完歩で進む距離は7~8メートルにもなり、
名馬と呼ばれる競走馬はこの1完歩の距離が大きいと言われています。
記憶に新しい三冠馬・ディープインパクトは、200メートルを24完歩で走ったそうです。
この数字に基づいて1完歩で進む距離の平均を計算すると、およそ8.3メートルとなります。

競馬における「最後の10完歩」とは、すなわちゴールまでの100メートル弱(時間にするとおよそ5秒)となり、
競走馬が最後の力を振り絞ってトップスピードに到達する瞬間です。
サラブレッドの四肢が順番に大地を蹴って屈伸を繰り返し、1完歩ずつ確実にゴールへと近づいていく・・・
これが競馬の本質であり、真実というわけです。

(2011/04/15追記)
このCMに登場する馬を検索して訪れてくれる方か多いので補足しておきます。
この馬は、1996年日高産の牡馬で、シルバーウルフという名で競走馬登録されていました。
中央競馬未勝利に終わり、引退後はJRA競馬学校に在籍していたそうです。
お父さんは、タマモクロスと聞けば納得です。雄大な馬格と美しい芦毛は父譲りなんですね。
http://db.netkeiba.com/horse/1996105430/

 Logo_YouTube.png「最後の10完歩」完全版 リンク切れ
 Logo_YouTube.png「最後の10完歩」2001年版 リンク切れ
 Logo_YouTube.png「最後の10完歩」メイキング リンク切れ

 
ディープインパクト 伝説の若駒ステークス
(2005年1月22日 京都競馬場)


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(8)大切なことはすべて君が教えてくれた [ドラマレビュー]

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『 大切なことはすべて君が教えてくれた 』
第8回
( 2011年 フジテレビ 公式サイト
演出:西浦正記(FCC) 脚本:安達奈緒子 出演:戸田恵梨香、三浦春馬、武井咲

この脚本を執筆している人は、自分が創作した登場人物を愛せているのだろうか。

序盤に上村夏実(戸田恵梨香)と山下有悟(福士誠治)が会食するシーンがありましたが、
あの山下の言動というものは、女性から見て本当に魅力的に映るんでしょうか。
私は男ですが、あいつとは友達になりたくはありません。
たとえば、昨年NHKで放送された『セカンドバージン』における布施明さんの役柄が、
女性を口説く時に山下のような言動を為したならば、とてもスマートだったかもしれません。
しかし、夏実と同年代の男が慣れた手つきでワインを注ぎながら「中東では・・・」とか「外堀を・・・」などと言い出したら、
こいつこの若さでどんな人生送ってきたんだろうと思わずにはいられません。

そんな山下を見つめる夏実は前回に続いて、彼の言動にドン引きするでもなく、
東堂さやか(篠田麻里子)に山下の「品定め」を依頼します。さやかは山下の言動について、

「絵に描いたような素敵さ」

と評し、さらに、

「夏実とのことをなんとかしたいって、必死だった」

とまで言って、山下の人物像を掘り下げます。これはまさに「外堀」が埋まった感じ・・・。

今に始まったことではありませんが、
この脚本家はやはり登場人物に言わせればそうなると思っているとしか考えられません。
直前に見せられたあの山下の言動が「絵に描いたような素敵さ」だって?「必死だった」だって?
ある意味山下は本当に「必死」なのかもしれないが、彼の必死さには不純なものを認めざるをえません。
前回も見せられたとおり、彼が感じた「運命」が直接夏実に対して向けられたものだとは私には思えませんから。

百歩譲って山下は前回登場したばかりの新参者で、
技術的には物語に新展開をもたらす役割を担う「脇役」と考えて目をつぶりましょう。
私が今回それ以上に「大問題」だと思ったのが、いよいよ学校内での立場が危うくなった柏木修二が
「依願退職」を迫られたとき、何を思ったのか、理事会にて「解雇してください」などと言い出したことです。

教頭の鶴岡悟司(風間杜夫)は、苦渋の思いで、修二に辞表を書くように求めます。
そして元教え子への温情から「退職金付きの依願退職」という形で決着をつけようとしてくれたわけですが、
なんと修二は理事会の場で、「退職金は要らないので解雇して下さい」とのたまうではありませんか!
こいつ「退職金付きの依願退職」が本当に温情だと思ってやがる・・・。

修二が「解雇」という形を取りたいのは、自分を貶(おとし)めることで、自分の気持ちが楽になると考えたからで、
これを自分の生き方を貫く、と言ってしまえば聞こえがいいですけど、修二は「そういう自分が好き」なだけでしょう。
社会においては「自分」よりも優先しなければならないことがあることを彼は知らないのでしょうか。
彼の中には学校の体面や尽力してくれた教頭の立場を思いやる気持ちがまったくないようです。
なぜ学校側が「退職金付きの依願退職」という条件を提示したのかといえば、
「一身上の都合で自主退社(校)」の方が波風が立たなくて望ましいと考えたからではないのか。
そういう想像力を働かせることができない人間が今まで教師をやっていたとは、確かに「解雇」が相応しいな・・・。

どうやらこのドラマの中にはそのあたりの社会通念が存在しないので、
解雇だろうと、依願退職だろうと、別にどっちでもいいのかもしれませんが、
今回の彼の行動はある意味では純粋・・・裏を返せば世間知らず・・・
これらは少なくとも実社会においては、とても「めんどくさい」性質のものであり、
現実世界で社会生活を営んでいる視聴者にとっては、こんなやつとは絶対に関わりたくないということになるでしょう。

今さらながら言いますが、このドラマの脚本担当者は、実生活でこういう男がいたとしたら、本気で愛せるのでしょうか。
そう思っているとしたら、多くの人の共感を得て、感動を生み出すことを目的とするテレビドラマの仕事には向いていないし、
仮に「こんな男、最低だよね」という意識で作っているとしたら、今度は視聴者をバカにした最低の仕事ということになります。

結局解雇となり、我を通すことに成功した修二を見守っていた夏実は、大いに彼に同情したらしく、
これまた「めんどくさい」ことに雪の中、修二のマンションの前で彼の帰りを待っており、
修二に「大切なことは夏実がいることなんだと気づいた」という甘い言葉を囁かれて、惚れ直しちゃったみたいです。
あの山下に好感を持ち、この修二を愛してしまう夏実・・・
我々はこのドラマの登場人物をどこの世界に存在する人たちと考えればいいのでしょうか。
ひとつ確かなことは脚本担当者の頭の中には何の違和感もなく存在しているということです。

もう一度言います。脚本家がこのドラマの主人公を本当に魅力的だと思って書いているとしたら、
多くの人の目に触れるゴールデンタイムのドラマを執筆する資格はないし、
逆に自らが主人公に魅力を感じることがないまま書いているとしたら、
これは主人公に感情移入しようと毎週テレビに向かっている視聴者に対する背任行為です。
どのみち、とてもレベルの低い仕事に3ヶ月もつき合わされたということを私は今回はっきりと認識しました。

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