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最後の忠臣蔵 (上) [映画レビュー]

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(C)2010「最後の忠臣蔵」製作委員会
最後の忠臣蔵 Blu-ray & DVDセット豪華版【特典映像ディスク & 解説ブックレット付き】 (初回限定生産)最後の忠臣蔵 [DVD]

[ DVD ]
最後の忠臣蔵

( ワーナー・ホーム・ビデオ / ASIN:B004FGLVU8 )

『 最後の忠臣蔵 』
( 2010年 ワーナー・ブラザーズ 133分 )
監督:杉田成道 脚本:田中陽造 出演:役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、安田成美、片岡仁左衛門
          Official Wikipedia / KINENOTE          

最後の忠臣蔵 (下)

近年、主に藤沢周平の小説を原作とした正統派時代劇が積極的に映画化されていますが、それらにほぼ共通するのは封建制が成熟しきった江戸時代における「武士の生き様」を描いている点で、本作のテーマは、たとえば『必死剣 鳥刺し』(2010年 東映)のそれとほとんど差異はないでしょう。ただ、ストーリー的にも演出的にもそのテーマへのアプローチがまったく異なるのです。これまで映画化された藤沢作品における武士のアイデンティティとは、大雑把に言えば「剣」だったわけです。剣をもって自らの武士としての生き方を体現し、自らの人生を切り開いていく。そしてその先、あるいはその根底には封建制の根幹を成す主君への忠義心もあったでしょう。それに対して本作は、武士のアイデンティティを表現するツールとしての「剣」を最初からほとんど捨てており、吉良邸討ち入り後も生きることを強いられた二人の赤穂武士の生き様を通して、ダイレクトに主君への忠義心を描いていきます。なるほど、ここまで描かなければ「忠臣蔵」は終わらないということになります。そして、『ラストサムライ』以来、ワーナー・ブラザーズがその本質を切り取ることに腐心してきた「日本人の心」というものを見事に表現しきった作品になっていると思います。

< ----- 以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。----- > 

本作を一言で形容すれば「美しい時代劇」ということになります。この映画の美しさは、たとえば山田洋次監督の時代劇三部作が持ち合わせていない性質のものであり、もっと言えば本邦時代劇史上、最も完成された「美」を表現しているとまで感じています。本作の「美しさ」は表面的な部分では京都を舞台とした景観描写や映像美ということになりますが、大石内蔵助(片岡仁左衛門)の遺児・可音(かね)(桜庭ななみ)の純粋で清らかなたたずまいというものが本作の印象に大きく貢献しているのは間違いないと思います。

私が桜庭ななみという女優を認識し、その存在を鮮烈に心に刻んだのは一昨年にNHKで放送されたドラマ『ふたつのスピカ』で、彼女の感情表現は同世代の女優さんの中では抜きん出ていると思っています。特に悲しみの表現、すなわち「涙」の美しさは天賦の才であり、彼女の黒目勝ちの瞳からあふれる涙はまさに感情の結晶とも言うべきものでしょう。とは言え、いきなり正統派時代劇でストレートに日本女性を演じなければならない本作のような作品に彼女が対応できるのか、私は甚だ不安でした。しかし、観終わってみれば、可音はななみちゃんにしか演じることはできなかったとまで思うようになっています。

私は、この「美しさ」の要ともなる要素を成功に導いた最大の要因は、杉田成道監督が可音という役柄に特別な設定を付与したり、桜庭ななみという女優に対して過剰な要求をしたりといったことをなさらなかった点だと考えています。つまり、「日本女性の心」を小手先の所作や説明的台詞といった表面的なもので表現するのではなくて、あくまでも等身大の桜庭ななみが、等身大の16歳の武家の女性を演じることから生まれるものを重視したのだと思います

花のあと』(2010年 東映)で同じく武家の女性を演じた北川景子ちゃんが数ヶ月かけて殺陣や所作を身に付けたという話を聞きましたが(実際には身に付いていなかったが・・・)、おそらく桜庭ななみちゃんはそこまでのことはしていないでしょう。それでも、本編が日本女性の心やその美しさといったものを切り取ることに成功しているのは、監督があくまでも武家の女性の内面と向き合い、それを表現するために桜庭ななみという女優がすでに持っているポテンシャルを最大限に生かそうと専心した結果だと思います。

本作の演出面を振り返ったとき、私がもっとも好感を持っているのがこの点で、本編では景観描写以外の表面的な「日本の美」についての表現を潔く捨て去っています。その表現とはつまり「殺陣」と「所作」のことで、殺陣については瀬尾孫左衛門(役所広司)と寺坂吉右衛門(佐藤浩市)の立ち合いのシーンがあるものの、これは冒頭で触れたような武士のアイデンティティを表現するためのシーンではなく、剣を交えることで二人が会話をするというような性質を持っています。所作については、もちろん基本的な動きという意味では、役者さんたちは武士および武家の女性のそれを演じておられるわけですが、演出的に所作そのものを見せようとする意図が感じられる場面は皆無だったように記憶しています。

以前『花のあと』における所作の描写を酷評したことがありますが、その本質を知りもしない監督があたかもそれがセオリーとばかりに、まったくできていない、つまり「美しくない所作」をこれ見よがしに盛り込んでいたのは本当に滑稽でした。時代劇に所作を真正面から盛り込もうとするならば、あくまでも所作というものが「日本人の心」を表現するためのツールのひとつにすぎないという認識を忘れてはならないと思います。所作を見せればそれだけで日本人の美意識を表現したことになると考えるのは大間違いです。

ただ、殺陣と所作というものはビジュアル的にわかりやすいので、それらを使いこなせる演者がいれば、実はテーマ表現のためのツールとしてはこんなに楽なものはないのかもしれません。それでも本作があえてそれらを使用しなかったのは、作り手が本作のテーマに真っ向から取り組んだ証拠であり、同時にもっとも困難な表現方法を選択したということになると思います。先に触れたように、本作が「殺陣」と「所作」という時代劇における表現の2大ツールを放棄しているのだとすれば、本作のテーマ及びその先にある日本人の本質は、あくまでも登場人物の内面からあふれ出る感情をもって表現されていたということになると思います。

また、本作の演出を語る上では、冒頭から登場する「人形浄瑠璃」が持つ意味は非常に大きいと思います。本編に登場する人形浄瑠璃の題材は近松門左衛門の「曽根崎心中」で、これは元禄文化のひとつの象徴と言ってもいいものであり、時代描写のツールとしてもその役割は大きかったと思います。他方、テーマ表現のためのツールとしては、その演目が現代でも歌舞伎などで再演されているように、時代を超えて日本人の精神といったものを表現していて、いかにも日本的な悲観的結末を迎えるという点がとても重要だと考えられます。「曽根崎心中」の結末はその題名が示すように実に単純明快、観客の誰もがある結末(=登場人物が命を絶つ)に向けて物語が進行していることを認識して臨んでいるのです。すなわち本作の随所で挿入される人形浄瑠璃の断片は、本作の結末そのものを暗示しているということになると思います。

劇中で人形浄瑠璃が登場するシーンは、ストーリー上は茶屋修一郎(山本耕史)が可音を見初(みそ)めるシーンとなっており、その後、人形浄瑠璃を最後まで見ることができなかった可音が孫左衛門にその結末を尋ねます。可音は登場する男女二人がともに命を絶つことを知るわけですが、同時に我々もその結末をはっきりと認識するのです。さらに、可音は恋仲の二人が最終的に命を絶たなければならないことについての感慨をもらします。

「うちは、恋というものがわかりませぬ」

恋とは理屈では説明が付かないものである、ということがわかった時点ですでに恋というものの本質を理解したも同然であり、実際、可音はこの次のシーンで孫左衛門に対する特別な感情を率直に露わにし、人形浄瑠璃を観劇したことをきっかけにして彼女自身が生まれて初めて恋の当事者になったことが描かれています。可音がその種の感情を「わがまま」という形で孫左衛門にぶつけるのは、16歳の女の子ならではのものということになるでしょう。そして、これまでどおり孫左衛門とずっと一緒に暮らしたいと願う彼女の望みは、とてもささやかなものであり、かつきわめて純粋な感情です。可音は、その種の感情を「涙」という形に結晶化させることによって、孫左衛門に自らのささやかな望みを懇願するのです。

「うちは嫌や・・・うちは孫左と一緒に暮らしたい・・・」

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この「涙」が本当に美しい。いろんな女優さんの涙を見てきましたが、こんなにも心揺さぶられる美しい涙を目の当たりにしたのは初めてと言ってもいいかもしれません。私はこのシーンを観て、可音がななみちゃんで本当によかったと心の底から思いました。このシーンにおける可音の感情は、紛れもなく桜庭ななみという女優が役柄の感情と自らの内なる感情をオーバーラップさせることで生み出したものであり、特別な台詞や特別な所作といったものを用いることなく、正攻法で日本女性の心根の美しさを完璧に表現しています。

次回、本作のテーマ表現の核心となる「武士の生き様」についての描写を掘り下げてまとめとしたいと考えています。 

(つづく)

最後の忠臣蔵 (下)


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コメント 3

Sho

嬉しいです!!何年ぶりに、お金を払って映画館で見たいと思った映画です。(未見です)
この映画のサイト、予告を見たとき、「この美しい女の人は誰だろう」と思ったのが
桜庭みなみさんでした。彼女のことは知りませんでしたが、本当に適役だと思います。
Youtubeに「桜庭みなみが可音になるまで」というタイトルの、彼女に的を絞ったメイキングがupされていて、通してみたのですが、非常に興味深くおもしろいものでした。

この監督さんはまさに、”心”を感じ取られようとしているように思いました。
ジャニスカさんが指摘しておられるように、所作や時代背景よりも、可音という女の人の
その時々の心を、桜庭みなみがどこまで感じ取り表現していけるか、ということに標準を絞り、様々な指導方法を試みていらっしゃいました。
そして桜庭みなみという、少女から女に移行しつつある人は、気負うところ無く
しかし実に確かに、可音の心情を把握、演じていっていました。

性行為を描かなくても、非常に密度の濃いエロスを感じられると期待をしています。
そして人形浄瑠璃というものも、究極のエロスを表現できるものと思っています。
ますます見たくなりました。
ジャニスカさんのレヴューの続きが待ち遠しいです。

by Sho (2011-01-14 23:14) 

Sho

大変失礼しました。女優さんのお名前を、間違って記載してしまいました。
「桜庭ななみ」さんが、正しいお前でした。ごめんなさい。
by Sho (2011-01-15 06:41) 

ジャニスカ

Shoさん、ありがとうございます!
もうそろそろ上映終了という劇場も出てくると思います。ぜひ映画館でご覧ください!
この作品は間違いなく映画館で観るべき映画だと思います。

私は昨年の暮れは「流れ星」にかかりっきりでして、
12月に放送されたこの映画のメイキング番組を見逃してしまったのを本当に悔いていたのですが、
Youtubeで見られるんですね。レビューを完成させたらゆっくり拝見してみたいと思います。

いい映画というものは、書かなければならないことがたくさんあって、本当に大変です。
レビューの続きはもう少し時間を頂戴したいと思います。
また、できればShoさんには映画をご覧いただいた上でお読みいただきたいと思っています。
日曜日お休みでしたら是非映画館へ!(^^)

by ジャニスカ (2011-01-15 22:34) 

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