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必死剣 鳥刺し [映画レビュー]

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     (C) 2010 「必死剣鳥刺し」製作委員会

『必死剣 鳥刺し』
(2010年 東映 114分)
監督:平山秀幸 脚本:伊藤秀裕、江良至 出演:豊川悦司、池脇千鶴、吉川晃司、岸部一徳
          Official Wikipedia / Kinejun          

「藤沢周平秀異の作」を映画化したという本作、確かに原作における「必死剣」とは、主人公が我流で編み出した剣技であり、「隠し剣」シリーズでは異色の作品となるでしょう。原作では主人公がなぜそんな技を生み出さなければならなかったのかという要素と主人公がなぜ藩主の妾を刺殺しなければならなかったのかという要素が解決されておらず、その意味でも多くの謎が残る異色の作品と言えると思います。映画ではそのあたりの「謎」についての製作者なりの解釈があったのか、原作にない描写を多数盛り込むことによって、主人公の「生き様」について、我々に想像の余地を与えるような構成になっている点を高く評価したいところです。とはいえ、あくまでも想像の余地を残しているのであって、核心に触れているわけではないので、以下の文章には、映画を観た上での私の解釈が含まれているということを断った上で、本作のテーマ表現に言及してみたいと思います。

藤沢周平作品が今なお根強い人気を保ち、積極的に映像化が試みられている理由は、時代物でありながら、現代に通じる日本人の心情や価値観といったものを物語に織り込んでいるからであり、ある部分では現代人が失ってしまった古きよき時代の日本人を思い出させてくれるからだと思います。その一方で、現代人には理解し難い時代背景や社会風俗といったものが少なからず盛り込まれており、それに基づいた登場人物の心情というものは時に我々には推し量れない場合があります。現代に生きる我々の価値観と最もかけ離れているのが、「武士の生き様」であり、主従関係が絶対である封建社会における武士の立場というものを理解して作品に臨まなければ、藤沢文学の奥深いところまでは到達できないと思います。

藩随一の剣豪が政争に利用されていくというストーリーは、藤沢作品のひとつのパターンとして多くの名作を残してくれています。映画化された作品では、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』や『隠し剣鬼の爪』がこのパターンであり、黒土三男監督の『蝉しぐれ』もこの要素を含んでいます。これらの作品では、主人公が自分の剣が政争に利用されることに憤りを感じながらも、藩命に従って自らに課せられた仕事を受け入れ、自らの剣で人生を切り開こうとします。そして、行き着いた先に「日本人の心」が存在してるところが我々に感動と深い余韻を残してくれます。それに対して、本作は、政争に利用されてしまった主人公が最終的に命を落としてしまうという悲観的な結末であり、感動というよりも複雑な余韻が残る作品となっています。本作の結末は「日本人の心」というよりも「武士の生き様」でまとまっている点が「異色」という作品表現に繋がっているのだと思います。

そのような「武士の生き様」の根幹を成すのが、自らの命に対する考え方で、武士にとって主君や藩のために命を賭すことは当たり前のことであり、名誉ですらあったわけです。それは現代の「命を大切に」という価値観からは想像もできない考え方ですが、近代に入ってからは「天皇のために」と言葉を変えて、ほんの65年前まで確実に存在していた価値観ということもできます。そのことは現在の価値観では「命を軽視している」と考えることもできますが、武士というものは「常に死を意識している存在」だと考えると、むしろ自分の命というものに日々向き合っていたのが彼らであるということもできると思います。本作における主人公の行動や考え方の真意とは、そのような武士固有の価値観に立ってこそより深く見えてくるもののような気がします。

映画では兼見三左エ門(豊川悦司)の人物像を掘り下げるために、亡くなった妻(戸田菜穂)との過去の日常を盛り込んでいますが、それは兼見が藩主の妾・連子(関めぐみ)を刺殺した動機のひとつと考えることができると思います。直接的な描写はありませんが、兼見にとって妻の死が人生に絶望するほどの出来事だったとすれば、自らの命を差し出すに値する場面を想定するのは、武士としての性(さが)だったかもしれません。そして、兼見は藩の悪政の元凶である藩主の妾を排除するために自らの命を賭します。しかし、その行為に対して藩が下した処分が兼見の意図に反して寛大なものであり、死を覚悟して凶行に及んだ兼見がそれに対して憤りを見せたのは至極当然のところだったと思います。

1年間の閉門を終えてもなお周囲との交わりを絶ち、兼見が隠遁に近い生活をしていたのは、自らの残りの人生を「死に体」と考えていたからに他なりません。そのような生活の中で、兼見は連子の墓を訪れますが、これは原作にはないシーンです。このシーンでかつて連子の側に仕えていた尼僧が兼見に連子を刺殺した理由を問いますが、兼見はこれに答えず立ち去ります。兼見にとって連子の命を奪ったことは、結果は別として藩のために及んだ行為ではなく、ましてや連子に対して個人的な恨みがあったわけでもありません。あえてその理由を明確にすれば、自分の死に場所を作るために他者の命を奪ったのであって、理由を問われても答えられない兼見の複雑な心中を我々は想像するしかありません。

もうひとつの謎、兼見が「必死剣」を我流で編み出さなければならなかった理由についても「武士の生き様」という視点に立つとある程度の解釈が可能と思います。武士というものが、この世に生を受けた瞬間から主君のために命を捧げることを厭わない存在であるとすれば、おのずと常に死を意識した行動を取るのが武士の生き方ということになります。彼らが平穏な江戸時代の後期にあっても、剣の腕を磨き続けるのは、それこそが武士としての彼らの存在意義であり、常に死と隣り合わせでなければならない自らの生き方を確認するためだったかもしれません。そう考えると、死を覚悟した瀕死の遣い手が最後に相手に一太刀浴びせる「必死剣鳥刺し」という技を考え出した兼見という男は、武士としての「覚悟」がはっきりと備わった生粋の武士であったということができると思います。

原作にはない表現として、映画には兼見が実際に鳥刺しをするシーンがありますが、兼見はそれを剣の修練のために昔はよくやったものだと説明します。鳥刺しとは、そもそも鷹匠と呼ばれる役職の武士が、藩主の鷹狩りに使用する小鳥を捕まえるために行っていた作業で、藤沢作品の中にはこれを題材とした作品も存在しています。私は鳥刺しを武士の剣の修練のために奨励したという話は初耳でしたが、江戸時代には家臣に魚釣りを奨励した藩も実際に存在していて、それらが要求する集中力や対象物との間合い、一瞬の判断と静から動への切り替えといったものが、剣の修練に大いに役立つことは我々でも容易に想像がつくところだと思います。兼見はそのような修練の中で鳥刺しを応用し、そこに武士としての覚悟を併せて「必死剣」を編み出したわけですから、兼見という男はやはり武士の中の武士ということができるのではないでしょうか。

そして、そんな「武士の生き様」をその人生において体現しきってしまった兼見にとって、残りの人生は「死に体」でしかなかったはずですが、中老の津田民部(岸部一徳)に近習頭取に取り立てられると、再度武士としての人生を強いられていきます。それでも兼見が姪の里尾(池脇千鶴)との関係の中で残りの人生に積極性を見出していくところが、藤沢文学らしい健全なところで、里尾という存在は兼見が行き着く先にあったはずの「日本人の心」ということになります。主演の豊川悦司さんは、兼見にとって里尾の積極さは「誤算」だったと解釈していますが、残りの人生に武士としてだけではない別の生きる価値を見出した兼見にもうひとつの「誤算」が生まれてしまいます。その結果、結局兼見が武士としての生き方を集約した「必死剣」を繰り出して息絶えてしまうところは、この物語のやりきれなさであることは間違いありませんが、「ひとりの武士の生き様」をこんなに鮮烈に表現する方法は他にはありえなかったでしょう。

さて、本作の演出については、是非深く掘り下げておきたいし、絶対に触れなければならないところですが、作品を1度しか観ていない状況でこの作品の演出面を批評するのは、ちょっと難しいと思っています。途中まで書いてみたのですが、やっぱり再度鑑賞して確認しなければならないことも少なからずあって、秀作なだけに中途半端な記憶で書くのは避けたいと思うようになりました。特に本作は殺陣、所作ともに非常に緻密な演出がなされているので、再度の鑑賞で細部を確認した上で、後日じっくりと言及してみたいと考えています。ラスト15分の殺陣はやっぱりもう一度じっくり見たいというのが正直な感想です。

関連記事 : 花のあと (2010-04-03)
山桜 (2009-09-27)

総合評価 ★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★
 映像 ★★★★
 音楽 ★★★★


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コメント 6

einstein

ご訪問ありがとうございました
by einstein (2010-08-01 23:28) 

hal

TBありがとうございました。
必死剣というネーミング自体、武士としての死に場所を探すという思考がはたらかないと絶対に出てくる発想ではないと思いました。
設定が強引な感じがしましたが、ラストの殺陣は緊張感があってよかったです。
by hal (2010-08-02 08:13) 

リンさん

nice!ありがとうございました。
邦画が好きなんですね。最近の邦画は面白いですものね。
私は、山田洋次監督の時代劇が好きなので、これはちょっとやりすぎかな…と思いました。
最後の殺陣のシーン。切られるのはせめて2回くらいでいいんじゃないかと、つまらないツッコミを入れてしまいました。
日本女性の、古き良き風習はよく描けていたと思います。
by リンさん (2010-08-02 16:37) 

ジャニスカ

einsteinさん、こちらこそ御来訪ありがとうございました!
by ジャニスカ (2010-08-03 09:06) 

ジャニスカ

halさん、TB&コメントありがとうございます!
私は原作では今ひとつわかりにくかった「必死剣」の意味を映画を通じて初めて汲み取ることができました。
製作者が原作にちゃんと向き合ったのが伝わってきて大変好感が持てる作品です。
by ジャニスカ (2010-08-03 09:15) 

ジャニスカ

リンさん、nice!&コメントありがとうございます!

私は、ほとんど邦画しか観ないんです。
特に藤沢周平原作の映画には思い入れが強くて、
「花のあと」のレビューでも好き勝手言わせてもらってます(^^;。
「最後の殺陣がやりすぎ」の件は、ある部分では同感です。
そもそも藤沢周平の小説における「殺陣」ってそっけないものが多いですからね。
隼人正との立ち回りのほうが藤沢作品っぽい殺陣になっていたと思います。

池脇千鶴ちゃんは、がんばってましたよね。正直あそこまでできるとは思っていませんでした。
公式サイトの千鶴ちゃんのインタビューをご覧になりましたでしょうか?
里尾という役をとても深いところまで解釈していて驚いてしまいました。
by ジャニスカ (2010-08-03 09:26) 

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