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瞬 またたき [映画レビュー]

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        (C) 2010 「瞬」製作委員会 

『瞬 またたき』
(2010年 スターダストピクチャーズ 110分)
監督・脚本:磯村一路 出演:北川景子、岡田将生、大塚寧々
          Official Wikipedia / Kinejun            

本作のプロットは、以前このブログでも取り上げた『群青 愛が沈んだ海の色』(2009年)に通じるものがありますが、本作の場合、主人公の「恋人の死」に対する向き合い方がとても前向きなものであり、積極的に恋人の死の真相に関わろうとする主人公の健気な姿に我々はいつの間にか惹き込まれています。この点において本作は、ラストシーンの最後のカットまで主人公の「再生の過程」が一貫して頽廃的ですらあり、文学的とも言えた『群青 愛が沈んだ海の色』とは一線を画しており、主人公の前向きさを前面に出して描いていく本作におけるテーマ表現の方法は、とても映画に相応しいものだったと思います。

主人公の園田泉美(北川景子)が弁護士の桐野真希子(大塚寧々)の力を借りてその記憶の空白を埋めようとする過程は、推理小説のように観るものの興味をつないでくれていますが、私の一番の興味は、事故死した泉美の恋人・河野淳一(岡田将生)が最後の瞬間に泉美に残したであろう「言葉」にありました。『虹の女神 Rainbow Song』(2006年)のレビューでも触れましたが、「故人から遅れて届くメッセージ」がもたらす切なさというものは、近年の映画作品では効果的に多用されている手法で、既成の作品におけるそのような「メッセージ」は、手紙やカセットテープ、ビデオといった物理的なものに託されることが多かったと思います。本作においてはそのようなメッセージが主人公の記憶という非物理的なものの中に存在しているところがそれまでになかった点であり、それがどんな言葉でどのように表現されるのかに、私の本作に対する興味の大半が奪われていました。

今年、NHKで放送されたテレビドラマ『八日目の蝉』でも、主人公が幼少期のトラウマのせいで、育ての母が別れ際に残した言葉を思い出せずにいますが、その記憶をたどる旅の中で明らかになったその「言葉」が持つ衝撃と、一人の女性のそれまでの人生をすべて表現し切ってしまう力強さに私は一気に涙をあふれさせてしまいました。

「その子、まだ朝ごはん食べてないんです!」

この台詞については、このドラマがすごいというよりも、作家さんの表現力に脱帽しなければならないところで、本作のラストメッセージに対して私の期待が大きくなってしまったのは、本作にも作家さんによる原作小説が存在していることを知っていたからかもしれません。しかし、ふたを開けてみると、角田光代さんほどの作家さんがそう多く存在しているわけではないことを確認する恰好になってしまいました。本作において淳一が泉美に最後に残したメッセージには、「恋人を心配する」以上の意味はなく(それで充分とも言えるが)、それはここまで作品を観てきたものであれば容易に想像がつく心情だし、淳一が事故の瞬間に取った行動が明らかになった時点で、そのような淳一の気持ちはすでに表現されていたとも言えます。主人公の記憶をたどる長い道程の先の先にあった「言葉」がこれでは、もったいぶったわりにインパクトを欠いていたと言わざるをえません。

しかし、本作のラストにはそのようなストーリーの根幹に対する「期待はずれ」を補って余りある衝撃のシーンが存在していることにも同時に言及しておかなければなりません。記憶から欠落していた事故直後の空白の10分間を思い出した園田泉美の回想シーンは、観るものすべてを黙らせてしまうような映画史上でも稀有な性質を有したシーンとなっています。ネタバレは常套の本ブログですが、まだ公開中ということもありますし、さすがにこのシーンの核心を紹介するのははばかられます。それはこのシーンが筆舌に尽くしがたいあまりにも衝撃的なシーンとなっているからということもあるかもしれません。

ただ、このシーンを映画製作上の観点から評価すれば、「役者と監督のガチンコ勝負」が見られるシーンと言えるかもしれません。北川景子ちゃんは、日常表現についてはスバ抜けてうまい女優さんだとは思いませんが、ここ一番のシーンでの集中力と瞬発力、それに基づいた感情表現は、同世代の女優さんの中では抜きん出ていると思います。磯村一路監督は、そんな女優さんの特性を理解したうえでこのシーンの演出に臨んだのは間違いないところで、このシーンにおける数分間に及ぶ長回しは、女優さんの力量を信じていなければできないものだったと思うし、その期待にほとんど完璧に応えた北川景子ちゃんのお芝居には敬意すら抱いてしまいました。

以前、『おっぱいバレー』(2009年)のレビューで、ここ一番のシーンで女優さんのお芝居をぶつ切りにする監督の愚行を糾弾しましたが、そもそも映画監督に要求される仕事の根底にあるものは「カット割り」などの技術的なものではなく、俳優さんや脚本が持つ魅力と特性を理解し、それを引き出そうとする姿勢でなければならないと思います。あくまでも「技術」はそのためのツールでなければならないと思いますが、若手映画監督の中には自分の「技術」に基づいた映像表現を見せびらかせることに忙しい監督が多いのも事実で、それは大変残念なことです。彼らには映画が表現するべきものの本質が何なのかをこの映画のこのシーンから汲み取ってもらいたいものです。その意味では本作は、磯村一路監督が久々にその存在感を十二分に示してくれた作品になっていると思います。

総合評価 ★★★☆☆
 物語 ★★★☆☆
 配役 ★★★☆☆
 演出 ★★★★

 映像 ★★★★
 音楽 ★★★☆☆

(追記)
大変興味深いレビューを発見しました。私が持ち合わせていない視点なので紹介させていただきます。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id336304/rid82/p3/s0/c27/


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non_0101

こんにちは。
あのシーンの北川景子さんの演技は本当に見応えありましたね~
一瞬の判断と行動に愛の深さを実感させられました。
彼女が懸命に動いている姿は忘れられないものとなりました☆
by non_0101 (2010-07-10 23:08) 

ジャニスカ

non_0101さん、nice!&コメントありがとうございます!

本当に一口では言えないすごいものを見たという余韻がいまだに残っています。
ストーリーの粗や矛盾を探している方が多いようですが、
私は、この映画のストーリーはすべてあのシーンのために存在していると思っています。
「ありえない」と否定してしまうことは簡単ですが、
それによって自分の想像力(=大切な人を思う気持ち)を駆使することまで
止めてしまうのはちょっと寂しいですよね、、、
by ジャニスカ (2010-07-11 15:46) 

ジャニスカ

@ミックさん、いつもnice!ありがとうございます!
by ジャニスカ (2010-07-11 15:47) 

Sho

ええと・・実はこの原作を、ぱらぱらと立ち読みしました。
「その瞬間」に何があったか、私も知りたくなったので。
ご紹介いただいたリンク先も拝読いたしました。
ええ・・作品を見てもいないでいろいろ言うのは憚られますか、どうかお許しください。
「その瞬間」を、主人公は何も思い出す必要はないじゃないか、と私も思います。そして、それでも主人公が「なんとしてでも思い出すんだ!!!」という状態になっていたら、周りのプロたち、つまり医師や弁護士たちは、彼女がその瞬間を思い出したときのフォロー態勢に入るのが通常だと思います。
私はこの映画のラストシーンを存じませんが、もし主人公が「すっきりした気持ち」になって笑顔で終わっていたりしたら、怒りを覚えるかもしれません。
大切な人の死に立ち会う、ということは、ものすごいエネルギーを必要とします。そして、人の尊厳が守られなければならない時間だと思います。
現実問題として、主人公が「そのとき」を思い出したら、そこから医療行為が一定期間必要になるはずです。
それだけの打撃を、主人公に与えるはずです。
その打撃から主人公が回復するには、長い時間がかかるはずです。
気がふれそうな苦しみを、何度も味わうはずです。
なので彼女の神経はその時の「記憶」を消して、彼女を守っていたのです。

とにもかくにも最近人が死ぬ映画が多い。
人が亡くなるということはそれは大変なことですから、それだけで有る意味
観客を引っ張ることも可能かと思います。
でも、書く人・作る人には「責任」があると思います。
この作品に限らず、その根本的なことが忘れられているような気がします。
by Sho (2010-07-25 17:32) 

ジャニスカ

shoさん、コメントありがとうございます!

ご推察のとおり、この映画のラストは主人公が「すっきりした気持ち」になって笑顔で終わっているわけですけど、、、(^^;、shoさんが映画における「人の死」の取り扱い方についてお怒りになるのもよくわかります。

ただ、映画における「人の死」というものをすべて否定してしまうと、「フィクションとしての映画」の存在意義を揺るがしかねなくなってしまうので、前にも申し上げましたが、我々はそれぞれの映画において作り手が「人の死」に対してどのように向き合ったのかを精査していく姿勢を忘れてはならないと思います。

私は原作を読んでいませんが、カウンセリングして薬を出すだけという精神科の描写といい、事故時に主人公の恋人がとった行動といい、この映画のストーリーには杜撰な描写が目立つのは確かです。ただし、磯村一路監督がこの原作を映画化したいと考えたその「想い」は、たとえば『余命1ヶ月の花嫁』の製作者のそれとは、まったく性質を異にしているということを声を大にして言いたいところです。

なんでそんなことがわかるんだ、と言われてしまえばそれまでなんですけど、あの「衝撃のシーン」を観てしまえば、この映画を通じて監督が何を伝えたかったはよく理解できるし、我々は作り手がこのシーンをどんな想いを込めて撮ったのかを汲み取る作業を放棄してはならないと思います。私はこのシーンは大げさに言えば作り手の魂がこもった名シーンだったと思っています。その意味では、この映画のあのシーンはむしろ、「人の死」を安易に扱おうとする日本映画界に対するアンチテーゼとなりうるシーンだったとすら思います。とはいえ、作品をトータルで見れば手放しで褒められた映画ではないということも、冷静に評価しておかなければなりません。
by ジャニスカ (2010-07-26 08:52) 

Sho

ジャニスカさん
真摯なお返事をありがとうございます。拝読いたしました。
確かに映画のことを語るときに、その作品を見ていないというのはルール違反とも思うのですが、言葉を変えて再度コメントさせてください。
私は、映画、ドラマ、小説その他で「死」を扱うことをいけないとは全く思っておりません。
100人が一つの映画を見れば、100通りの感じ方があって当然と思っています。ジャニスカさんの感想を否定するものでもありません。
あくまで「私」の感想として、お読みいただければ幸いです。

リンク先の方も語っておられましたが、私はこの話に― なんと言うか、真実味を感じられなかったのですね。少し強めに言うと、嘘っぽい感じがしました。人はそれぞれなので、彼女が遭遇した状況に置かれたときの対応も、人それぞれだとは思います。
ただ、もし私が彼女なら、おそらくそうはできなかっただろうなと思います。
又、その記憶を取り戻した後、すっきりと笑顔にはならないと思います。
この二行に尽きます。
家族を三人亡くした私の、正直な感想です。
by Sho (2010-07-26 23:06) 

ジャニスカ

おっしゃるとおり、「真実味」がないことはこの映画の最大の欠点となっているでしょう。
映画や小説においてはフィクションとリアリティのバランスは永遠の課題ですが、
あるテーマを伝えるために「虚構」を作り出すことは当然許される手法だし、
多かれ少なかれすべての映画や小説が物語を構築するために嘘をつきます。
この映画あるいは原作小説が、テーマを伝える過程で作り出したそのような「嘘」のつき方に失敗してしまったのは間違いのないところですが、だからといって私はこの映画が伝えたかったテーマを汲み取ることまで止めるつもりはありません。

私はこの映画のテーマは「主人公の再生の過程」を描くというよりも、
「あの瞬間とその後の行動」を描くことにあったと思っています。
我々がもし「あの瞬間」に遭遇したらどんな行動をとるのか、ということについては、
真実も何も「答えはない」というところがとても重要なところで、
映画では主人公が「ひとつの答え」を「あの衝撃のシーン」で示してくれているわけです。
観るものがそれぞれの想像力を駆使しなければその「答え」は見つからないし、
あるいは想像しても結局答えには辿り着かないかもしれません。

私は「いい映画」とは「リアリティのある映画」ではなくて、
「観るものに想像力を要求する映画」だと思っています。
by ジャニスカ (2010-07-27 17:21) 

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